日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

教 育・・・

2009-12-03 09:55:09 | Weblog
  小学校低学年の時に、放課後、授業に付いていけない同級生が、担任の先生からマンツーマンで遅くまで教わっていた光景を思い出す。別に先生がお金を取る訳でもない。当時は、学校の先生と言えば、とてもとても偉かった。医者も偉くて、せめて、最後死ぬ時ぐらいは、医者から診てもらって死にたいと思っていた人も多かった様だ(事実です!)。
 それが、変わった。教育がお金儲けになったのだ。塾がアチコチに出来て、放課後、お金を取って教える様になった。その多くは、落ちこぼれ救済が目的でなく、単なる受験の為に。(しかし、どんなに受験勉強しても、入る数は決められているのだから、・・・そこでは、相対的に受ける受験生よりも成績がいいことが必要となる!)
 教育が二本立てで行くモノだから、目先のことに捕らわれると、当然、先生の尊敬度は下がっていく。どうせ塾で教わるから、塾の方が楽しいから、・・・ってケースも起きてくる。(学校教育では、点数に出ないことの方が多いのだが・・・?!)
 入試は、東大を頂点として、日本の子ども達がそれなりに強いられる。出来る子と出来ない子が区別されて教育される。6カ年一貫教育が入試に有利だとか言って。これって、全体から考えると、ホントにいいことなんだろうか?
 フィンランドでは、大学過程を6年間も経て、先生になる。子ども達のなりたいものの第1位は、医者や政治家を抜いて、「学校の先生」だ。そこでの教育では、大学までお金は無料だ! 
 フィンランドの経済が落ち込んでしまった時、それを立て直す為に、時の政府は、「教育」に主眼を置くことを決めたのだ。教育をして、その人間がちゃんとした能力を持てれば、それ相応の仕事が出来る。仕事が出来れば、立派な納税者になれる。当然、それにより、国に沢山の税金でのお金が入ってきて、国は立て直せる。そう考えたのだ。そして、その通りになったのだ!!
 そこでの教育では、今の日本の流れと違って、出来る子と出来ない子をはっきりと区別しない。出来ない子であれば、出来る子になる様にと、担当の先生が一生懸命に学校で指導して行く。
 日本の義務教育では、よほどの事がない限り、落第がない。これは、珍現象なのだ。土台、義務教育とは、子どもに教育を受ける義務があるという意味ではなくて、子どもにちゃんとした教育を社会が教育する義務があるという意味だと思うのだが。
 外国では、出来ない子は、当然、落第する。アメリカでもオーストラリアでもインドネシアでも、日本以外は、どこでもそんな感じだ。又、落ちた子も親も、それを当然の如く受け止めている。
 落とす理由は、次に教える先生が困るし、何よりも、本人自身が付いて行けなくて困るだろうからとのことで。(日本では、出来ないことよりも、まず、落ちると恥ずかしいと考える・・・しかし、大学で、遊び惚けて留年した場合は、恥ずかしくないのかな・・・東大法学部では、沢山の人が留年して、司法試験や国家試験一種などの受験勉強に精を出していますが・・・?!外国では、留年する場合は、大学での生活費を稼ぐ為にやむなく留年している例が多いみたいだが・・・?!)
 今の日本の現場の教育では、小学生の3割が、中学校では、5割が、高校では、何と7割もが、授業に付いて行けないってデータがある。大学だと、もっと多いかな。東大の教養部でも、物理や化学だと、いきなり難しい式が出て来て、ただ、講義に出ているだけって格好になって、それ等にホントに付けてる生徒は、わずかだとか。
 ある大学では、大学に入ってから、高校の内容の補習って感じでしている所もあるぐらいだ。大学を卒業して会社に入っても、又、会社が一から教え込む感じになっている例もある(大学で学んだことが、あまり役に立っていない・・・)。(日本の教育には、無駄が多過ぎるのでは?!)
 もう、受験中心の勉強は、止めましょう。ホントに学力が上がる教育をしましょう。入試前にいやいやながら覚えた事なんて、入試後、すっかり忘れていること、多いはず。
 ホントにやる気になれば、どんな子も、よほどのことがない限りは、ある程度までは必ず出来ます。やる気が問題です。
 そのやる気を出すには、やはり、尊敬に値する立派な先生がいること、授業がとても面白いこと、生徒の評価が一人一人それなりに与えられることが大切です。そんな環境だと、生徒自らが、どんどん自分なりに勉強して行くでしょう。
 先生の人事評価の仕方、生徒の評価の仕方、教育制度の仕方、・・・教育百年と言われますが、今正に、教育変革の時ではないでしょうか。


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流 れ・・・

2009-12-02 09:17:15 | Weblog
 11月29日(日)のプロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチで、亀田興毅が内藤大助チャンピオンを3対0の判定で、破った。ずっと最後の12回まで見ていたが、亀田選手の方が、終始、内藤の動きを冷静に落ち着いてよく見ていた。いい試合だった。試合後の二人の態度も立派だった。
 それにしても、内藤選手、鼻血を出し、顔を腫らして、最後の12回まで積極的によく頑張ったと思う。お疲れ様でした。両者とも、多くのファンに、勇気を与えてくれたと思います。
 J1の大分トリニータ、J2に下がるのが決まっているが、最後までよく頑張っていると思う。土台、今までJ1であまりにも立派に活躍し過ぎていたかな。又、来年這い上がれることを期待しています。
 千代大海、負け越して、途中で休場してしまった。やはり、歳と怪我には勝てないみたいだ。今までもよく持ち応えてきたと思う。次の場所、勝ち越しても負け越しても、悔いのない感じで頑張って欲しい。
 人間、いつまでも全盛でいられない。いつかは、下り坂になる。引き際が大切と思います。いい仕事をしてきていても、後輩に譲るべき時は、潔く譲るべきでしょう。
「政権交代」と言う言葉が、今年の流行語として、注目されている。政権交代しても、直ぐに政治が変わる訳ではない。それなりに時間が掛かる。今まで掛かった時間が長ければ長かった程、修正にも、それだけ時間が掛かるだろう。
 組織って言うのは、リーダーがまずいて、リーダーがちゃんしたビジョンを持っていて、それを支える人がいてって感じで、まとまって行く。今の民主党の党首が、まず、党内をまとめられるか、そして、それに多くの国民が付いていけるかどうかで、今からがホントの正念場だなあ。

 

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お受験・・・

2009-12-01 09:43:44 | Weblog
 11月29日(日)に、民放のテレビで、「お受験」のカリスマ的な女性が出ていて、「お受験」に付いて話されていた。
 (孟子三遷の如く)子どもの「お受験」の為に、住所変更をした人も知っているが、・・・?!ニュージーランドのオークランドに行った時に、子どもの英語教育の為にか?、日本や韓国からはるばる来て、母子だけでそこに住んでいる家族もいたが。それまで、「お受験」とは、知識偏重の教育だと思っていたが、・・・?!

 今の子ども達の特徴を次の3つに集約して言われていた。
1、人の話が聞けない。
 しっかりと人の話を聞いて理解することが苦手な子が多い。
 ・・・そんな親の場合、親が早口で口数が多いケースが多く、それだと、子どもがよく聞き取れない。そんな子どもの場合、理解できなくても、気にしなくなっているのかな?
2、自分で自分のことができない。
 ・・・そんな親の場合、大半は、子どもを過保護で育てている。靴の紐が結べない、服のボタンが留められない。ちゃんと箸が持てない。
3、他人と会話すること、協調すること、集団行動が苦手。
 ・・・そんな親の場合、それまで、子ども同志で喧嘩をしたり、話し合ったりすることを出来るだけ避けさせていたから?

 他人を気遣うこと、他人に相談すること、他人と協力することが出来ない子ども達が、お受験の塾に来ると、それなりに、ちゃんと出来る様になっているとのこと。
 「お受験では、人間としての躾を大切にしていて、子どもはお母さんに付随しているアクセサリーじゃないので、子どもを一人の人間として扱って欲しい・・・」と言われていた。

 子どもの基本的な躾は、親が中心になって付けさせると思っていたが、ここでは、他人が親に代わって子どもを躾けている、・・・托卵するホトトギスみたいだなあ・・・?!

 私の茶道の師匠がかって次の様に言われたことがあった。
 「しつけ」と「おしつけ」は、全く違う。躾は、身を美しくすると書いて、字の如く、親が子に、生きる上での基本的なことを教えること。挨拶をすることや箸の持ち方などは、躾。おしつけとは、押付と書いて、教えられる方は迷惑に思っているのに、周囲から押しつけられること。子どもに小さい時から塾通いさせたり、いやいやながら英才教育をさせ様とするのは、おしつけ。正に、しつけにおがついたものは、不必要のおしつけ。
 今の時代は、「しつけ」と「おしつけ」を混同している親が多い。昔の様に、三世代が同居していると、いい躾が出来ることが多い。しかし、核家族では、それは、難しい。核家族で、親が仕事に出ているとなると、尚更難しい。それに、飽食の時代で、モノが豊富になっているから。

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