日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

師走の京都(その3)・・・

2012-12-05 05:46:49 | Weblog
 平成24年12月5日(水)、朝早くホテルを出て、「京都駅」から地下鉄南北線で「烏丸御池」まで行き、そこから地下鉄東西線に乗り換えて、「三条京阪」まで行きました。そこで、京阪電車に乗り換えて「三条」から「出町柳」まで行きました。そこで又叡山電鉄に乗り換えて「一乗寺」まで行きました。(こんな感じで、鞍馬寺や比叡山に行けばいいんですね・・・)
 「一乗寺」からテクテクと歩いて、洛北の名所を家内と一緒に、ゆっくりと散策しました。
 まず、「金福寺(きんぷくじ)」に行きました。そこで、松尾芭蕉を与謝蕪村がとても尊敬していたことがよく理解できました。15分間の説明も拝聴しました。与謝蕪村のお墓もありました。ここで一句と出るといいのですが、全く出ませんでした・・・。
 「金福寺」からちょっと歩くと、「詩仙堂」に行けました。東西南北に9枚ずつ、中国詩仙の絵が掲げてありました(名前の由来となっていますが・・・)。
 その後、宮本武蔵が決闘したと伝えられている「八大(はちだい)神社」に行きました。若い時の宮本武蔵像の銅像がありました。
 そこを出ると、直ぐ傍に「野仏庵(のぼとけあん)」がありました。入口に、一服500円と書かれていたので、喜んで頂きました(ここは、水・土・日しか利用できませんが)。紅葉、想像以上で、とても良かったです!
 「圓光寺(えんこうじ)」も、そんなに遠くなくてありました。宝物館では、貴重なものがあり、又、徳川家康のお墓があったので、驚きました(ちょっと階段を昇った高い所にありましたが・・・)。
 それから「曼殊院」まで、結構距離がありました。途中で下って、「鷺森(さぎのもり)神社」に寄って行きました。
 空腹気味でしたが、「曼殊院(まんしゅいん)」までの急な坂道、何とか元気に歩いて行きました。ここでの抹茶接待期間(10月26日~11月30日まで)は、もう終了していました・・・。
 「曼殊院」見学後、タクシーに乗って、「一乗寺」まで行き、叡山電鉄で「一乗寺」から「出町柳」まで行き、そこで、京阪電車に乗り換えて、「神宮丸太町」まで行きました。「新宮丸太町」から歩きながら、食べる所を見つけて、やっと昼食が摂れました。
 昼食後、又、歩いてい行って「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」に行きました。広くて、驚きました。
 最後に、その近くにある「真如堂(しんにょどう)」に行きました。洛北だと、まだ、紅葉がいいのではと思っていたのですが・・・昨年だと良かったのですが、今年は、ここでも少し最盛期を過ぎていましたが・・・この「真如堂」、落ち葉が素晴らしくて、最高の景色に思えました。
 9カ所も行ったので、記憶が不明瞭になっていて、それを家内と思い出しながら、脳の老化を予防しています・・・?! 

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師走の京都(その2)・・・

2012-12-04 20:30:53 | Weblog
 平成24年12月3日(火)、(ドーミーイン京都駅前のホテルの)美味しい朝食を摂った後に、10:00から、「スカイプ」をしました。ホテルの人が好意的に場を提供してくれました。
 ニューヨークの長女家族3人と、こちらは長女の配偶者の両親と私と家内の4人とで・・・→とても楽しい30分が過ぎて行きました。
 11カ月の女児が、覆った布を自分で取って、「バアッ」とちょっとタイミングが遅れる感じで、可愛く言っていましたが・・・これを近々、この子の芸として、披露するそうですが・・・(←私の芸人としてのDNAがここで初披露となるのか?!)。(日本の3日の10:00は、ニューヨークでは、12月2日の20:00となります。)
 その後、4人で、鈴虫寺→苔寺→大覚寺と行きました。
 「鈴虫寺」は、現在、若い女性に(縁結びの寺として)人気上昇中となっていて・・・帰る時に、ズラッと長い列が出来ていましたが・・・。
 「鈴虫寺」の鈴虫、タクシーの運転手さんの説明では・・・→常に、8000匹を2000匹ずつ4組に分けて飼育していて、保温器で常に秋らしくして、1年中鳴かしているそうですが(メスの気を引く為に、オスが鳴いているのですが・・・)、この日も、お坊さんの30分の訓話中、鈴虫がずっと高い声で鳴いていましたが・・・。
 お坊さんの話された内容(←時々、内容を変えてるそうですが・・・)・・・→「80段の階段を登れた事、京都に来れてここに来れた事、時間が取れてここに来れた事・・・当たり前と思わずに、感謝すべきです。幸せになろうとするのでなく、幸せであることに気が付くべきです・・・知足の精神が大切です。即今只今・・・今ベストを尽くすことが大切で、明日ベストを尽くそうするアスベストではいけません(ドッと笑々)。自分が見る目は2つですが、自分が周りから見られている目は、山ほどあります。和顔愛語が大切です。」
 「苔寺」に行く前に、前もって予約していた所で昼食を摂り、13時前に「苔寺」に行きました。262文字の「般若心経」を子筆で書きました。又、そのお経も唱えました(←それまで、般若心経の内容ばかり調べていただけで、初めて全部書きました。)。
 その後、苔ばかりって感じの景色を見て周りました。正に、そこは、ワビ・サビの世界でした。(←苔に関しては、苔が一番元気になる6月が一番いい景色になっているとのことですが・・・周りの景色を考えると、秋もある時期には見頃だそうですが・・・?!)
 最後に、以前行ったことのある「大覚寺」に再び行き、「大沢の池」の周りを4人で元気に散策しました。
 天気にも恵まれ、楽しい1日でした。

http://www.youtube.com/watch?v=QEa-URbElI4(←鈴虫寺)
http://www.youtube.com/watch?v=nF61u-e0ZOo(←苔寺)
http://www.youtube.com/watch?v=GdEHimJBTQM(←苔寺)
http://www.youtube.com/watch?v=vUDQhB_ErIQ(←大覚寺)
http://www.youtube.com/watch?v=1G0hk4VKI_U(←イナイ・イナイ・バー) 平成24年12月3日(火)、(ドーミーイン京都駅前のホテルの)美味しい朝食を摂

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師走の京都(その1)・・・

2012-12-03 20:12:47 | Weblog
 平成24年12月3日(月)、朝7時半前のバスに乗って、龍ケ岳町を出発して、10時過ぎに熊本駅から新幹線に乗り、博多駅で乗り換え、更に、新大阪駅で乗り換えて、15時前に、京都駅の前にあるホテル(ドーミーイン京都駅前)に着きました。
 荷物をホテルに置いて、「渉成園(しょうせいえん)」に行きました。京都駅の近くにあり、歩いて10分もしなくて行けるので、いつもで直ぐに行けると思って、なかなか行かずじまいで、今日に至りました。
 良かったです!もっと早くに行っておくべきでした。四季に応じて、それなりに楽しめることが分かりました。
 その後、「京都タワー」に行くと、あいにく、何と今日(12月3日)から工事で利用できない状態になっていました・・・。
 今年は、紅葉が今の時期に盛んと予想されていたのですが、もう、京都の多くの所が最盛期を過ぎていました。
 人生いろいろで、予想外の事がよく起きますが、自然の変化もいろいろですね・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=lWFiY3dHIEs
http://www.youtube.com/watch?v=v_SG_G43fww
http://www.youtube.com/watch?v=mlkHgaKhEeM
http://www.youtube.com/watch?v=jFzyVcocR0A

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続・相対性理論・・・

2012-12-02 14:47:46 | Weblog
 3歳の頃、ある男性が不慮の事故で化学薬品が目にかかって、両眼失明してしまいました(海外の話しですが・・・)。それから30年して、眼が見える様にと、手術が施されました。目が見えなくて、白い杖を用いて歩いていたので・・・とても楽しみにしていたのですが・・・→驚いたことに、手術して見えるのに、前よりも上手く歩けないのです。距離感が掴めないのです・・・例えば、階段を下りる時も、どの程度の落差があるのか、見えているのに、しっかりと対応出来ていないのです。
 後頭葉にある視覚の中枢が、体験により学習して、ちゃんと機能が出来上がるのは、6歳~9歳までで、それまでに出来あがっておく必要があるとのことですが・・・。
 それと同じ感じで(?!)、アインシュタインの「相対性理論」も、実体験がないので、どうもピンときませんね・・・。
 急に乗り物が走り出すと、後ろに引っ張られる感じになり、又、逆に急に止まると、前に押し出される感じになります。それは、「慣性の法則」があるからで、加速度が初めに加わる時は、後ろに引っ張られる感じになりますが、しばらくして、等速直線運動って感じになると、加速度が加わわらなくなるので、それがなくなりますね・・・。
 高校の物理では、F=mαと教わります。Fは力で、mは質量で、αは、加速度です。乗り物の初めと終わりに、正に、それを体で実感できるかと思います。エレベーターで上下する時も、それなりに実感できるかと思いますが・・・。
 又、電車に乗っていて、自分が乗っている電車が止まっているのに、隣の電車が動き出すと、隣の電車が止まっていて、自分の乗っている電車が動き出したと勘違いすることがありますね・・・!救急車が前から来る場合と後ろに行ってしまう場合、サイレンの音が、ドップラー効果で、はっきりと違いますね。しかし、光だと、それが当てはまらなくなり、どうしてもアインシュタインの相対性理論が必要となるのです。
 我々は、地図で、北半球が上で、北極星が上の方にあると思いがちですが、この宇宙では、実際のことは、誰にも分かりませんね・・・。そもそも、光って何なのでしょうか?それまで、光が波(波動)と考えられていたのを、アインシュタインは、光子(光量子)なる物質であるとしました。(←波だと、光の媒質のエーテルがないといけないので、つじつまが合うのです・・・)。
 アインシュタインの相対性理論では、まず、「光速度不変の原理」があります。動いていると、空間は縮み、時間は遅れるとしました。つまり、光速が不変であるとすると、時間と空間(時空)が変わらざるを得ないのです。

・動いているものの時間=止まっている時間×√1-(動いているものの速度/光速度)の2乗
・動いている時の長さ=止まっている時の長さ×√1-(動く速度/光速度)の2乗)
・速度=V+Wを1+V×W/C2乗で割る(V:小惑星から診た宇宙船の速度、W:宇宙船から見たロケットの速度)
・動いている時の質量=止まっている時の質量/√1-(動いている速度/光速度)の2乗
*(√は、1-から2乗までずっとかかる)

 と明快な式がありますが・・・光の速度に近くなればなるほど、動いているものの時間が短くなり、又、長さも短くなりますが、光速度以上にはなれません。 

 更には、アインシュタインは、E=m×C2乗なる有名なエネルギーと質量の関係の式を導き出しました。

 1939年8月、アインシュタインは、当時のアメリカ大統領のルーズベルトへ、原子爆弾開発の進言書にサインしました(←ナチスが開発中と思い込んで)。そして、「マンハッタン計画」が進行し、原子爆弾の開発が進んで、1945年7月16日に、ニューメキシコ州の砂漠での原子爆弾実験に成功しました。
 皮肉なことに、それから3週間後、既に降伏しているドイツにではなく、日本に、それも、広島と長崎の2カ所に、違ったタイプの原子爆弾が投下されたのです。そして、今も、多くの国が核を保有し、又、福島の原発事故の再来も、危惧されています・・・。

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相対性理論・・・

2012-12-02 11:40:29 | Weblog
 「相対性理論」・・・多くの人がその本質を知りたいと願っていますが・・・その関係の本を読んでも、何か、ピンと来ないですね・・・。
 NHK教育で、「100分de名著」で、「アインシュタイン・相対性理論」が4回に渡って放映されました。やはり、分かりませんでしたが・・・前よりは、少しは前進したかなと思っていますが・・・?!
 望遠鏡で空を見て、ずっと先まで見えるとすると、その先には、後ろ頭が見える、それが宇宙の姿だとか・・・この世には、光の速度以上のものは存在しないとか・・・光の速度は、常に一定との話は、高校生の時にも、何となく知っていましたが・・・ここから殆ど(相対性理論の理解が)進むことなく、経過していました・・・。
 アインシュタインは、目立たない子どもで、落ちこぼれで、「のろま」と言われてからかわれ、ギムナジウムに入ったのに、学校の勉強が嫌で(特に、暗記科目が苦手で)、15歳の時に退学してしまいます。その後、名門チューリッヒ連邦工科大学を受験しましたが、(英語が出来なくて・・・)失敗し、アーラウの州立学校に入学することになります。
 大学では、講義には殆ど出ず、物理実験室で実験ばかりしていて、全般的な成績は、「中の上」でした。卒業後も、大学に残りたかったのですが、物理学部長に嫌われていたので、それが出来なく、家庭教師のアルバイトや臨時の代理教員などをしていました・・・学生時代から付き合っていたミレーバーと結婚したので、知人の口利きで、ベルンのスイス特許庁の三級技術専門職として働くことになりました。
 就職して3年目の1905年3月に「光量子仮説」の論文、更に1カ月後に「ブラウン運動」、そして、同年6月に「特殊相対性理論」を発表しています。(その後、1915年~16年にかけて、長年の宿願の「一般相対性理論」を書き上げています)
 アインシュタインは、特許局の仕事が如何に素晴らしいかを、以下の様に友達に書いて勧めています・・・→
 「うまくすれば、君を特許局の職員の中に押し込むことが出来るかも知れません。そうしたら君は来てくれますか?考えてもみたまえ、8時間労働の他に毎日ひまな時間が8時間残り、そのうえ日曜日があるんですよ・・・(←しかも、この手紙、アインシュタインの理論が大反響を呼び起こしている最中に!)」
 アインシュタインは、6歳からバイオリンを習い、一生手放さなかった。苦闘の連続ともいえるアインシュタインの探求生活で、いつも彼を支えてくれたのは、そのバイオリンでした。


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イスラム・・・

2012-12-01 11:57:24 | Weblog
 今まで、イスラムの国に行ったことが3度あります。バングラデシュとインドネシアとトルコです。トルコは、家内と一緒に行きました。
 バングラデシュの首都のダッカには、2005年の1月22日~2月8日まで、(2年近く)ベンガル語を教わった人の家でホームステイをさせてもらいました。そこは、正に、イスラムの世界で、肌でイスラムを感じることが出来ました。私が小さかった時と同じ感じで、子どもが沢山いて、貧しさと活気が共存していました。
 その後、日本に直ぐに帰ることなく、そのまま、ダッカからマレーシアの首都のクアラルンプールに行き、2月17日まで、マレーシアに滞在しました。マレーシアでも、いろんな文化が混在する中で、イスラムの世界もありました(マレーシアでは、英語が通じ、建物も近代的で、驚きました!)。
 インドネシア(世界で一番ムスリムの数が多い国)には、2005年3月1日~3月31日まで、滞在しました。ヒンドゥー教のバリ島だったので、イスラムの世界に接することは、ありませんでした。しかし、日本にいる時に、インドネシアの人で(←私が教える茶道をしっかりと覚えて、お茶会で、お点前までしましたが・・・)、ムスリム(イスラム教徒)の人から、アラビア語を少し教わりました。
 トルコの首都のイスタンブールには、2012年5月に、連休が明けた後に、15泊しました。この時、トルコ語をちょっと教わった人の家を訪問しました。政教分離のトルコ、とても魅力的で、観光地としてのイスタンブールを充分に満喫出来ました。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1197
 イスラムの世界は、日本では、多くの人に誤解されている様ですが・・・欧米人の生き方と極めて対照的です。常に相手のことを考え、日本人の心と似通ったところがある様に、私には、思えてなりません(←実際にイスラム教徒の人と接してみるといいと思いますが・・・)。
 ムスリム(イスラム教徒)の旅人に対する接待は、異常と思えるほど(←日本のおせっかいおばさん以上って感じで・・・)です。家族や親戚のつながりをとても大切にし、旅人には、一番いい部屋を与えてくれ、一番いい食事を惜しむことなく提供してくれます(←イスラムの世界では、ケチが一番嫌われるとか・・・?!)。今の日本人にとっては、日本人が忘れていた大事なことを思い出すいい機会になるかも知れません・・・?!
 今の職場に就職する前に、エジプトのカイロに、(アフリカのコロモ出身で、高校時代にカイロに住んでいた私のアラビア語の先生と一緒に行動しながら)1ヶ月間(安い宿で)住んで、アラビア語を勉強するつもりだったのですが・・・今は、出来ませんね。
 しかし、私にとっては、イスラムの国は、とても魅力的に思え、数年後には、モロッコかチュニジアかアラブ首長国連邦などのイスラムの国に何とか工面して行くつもりにしていますが・・・。
 
*私なりに、28文字を覚えやすく分類しています。これだと、直ぐに文字が覚えられる感じですが・・・?!

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