今日は娘が「初任給で奢ってあげる」ということになっていたので、茨城で学生やってる長男を除いて久しぶりに家族揃って、新浜の「スピナッチ」へ。
スピナッチって「ほうれんそう」って意味なんだよと教えてくれたのは、今は夫となっているその頃は彼氏だった人。
マスターが夫の知り合いで、よくデートの場所として通い、結婚してからも、ちょくちょく子供たちも誘って出かけていたのだが、家族でつるむ(って、下品かな)
のを子供たちが嫌うようになってからは、ご無沙汰気味だったのだ。
わたくしは、サービスメニューのハンバーグ&エビフライセットをいただいたが、かわらず、ハズレのない美味しさ。
しかし、少しずつ回りの状況というのは変化していってるなと感慨深いものがある。
時空連続体の意識は若いままだが、夫はこの春退職し、娘は社会人となり、彼女から食事を馳走になる・・・幸せな図といえば言えぬことはないだろう。
しかし誰が言った?年を取ると時間が追いかけてきて、追い越していくようになるのだと。時間と並走は出来なくなるのだ。
忌野清志郎の訃報はショックである。ファンだったのだ。
手塚治虫や石ノ森章太郎、星新一や半村良、みんな身体の一部になってるかの如く慣れ親しんだ時代の仲間が、突然、彼岸の世界の住人になってしまう。
いずれ我が身、分かっているようで、実感なんぞあるわけないから、自分はといえば日常に流され、ただ漫然と生きているという域を出ない。
それでも、神様はそんな人間にもそれなりに恩恵というものを分け与えて下さるようだ。
好きな人や好きなものと出会えた喜びは、それを失っても記憶に残り、人の心を慰めてくれるからだ。
そのうちだんだんわたしはおばあちゃんになって行く。そして一緒の時代を生きた人たちが、少しずつ少しずつ異空間へ移動して行く。
寂しさを感じずにはいられない。しかし、繋いでいくものはあるのだ。子供たち、孫へと。
バトンを渡すほんの入り口をかいま見た気はするが、生涯現役、一生青春、このモットーは貫きたい。