お店を建てるにあたって
軽井沢のペンション
別荘のイメージが強く
山小屋風に
昭和53年暮れ完成
昭和54年3月に店開き
42年間を経て閉店
お店のかたずけ中に出てきた
オープン当時の写真
暖炉のある談話室 時代
ホタテガイのボンファン
伊勢海老冷静
サーモンショーフロア
鴨のロースト
平目の冷静マリネ
などなど
当時のレセプション料理
和牛フィレ極上肉
当時のフィレ肉 半丸牛から抜きっぱなしの状態で
キロ当たり5500円入荷
きれいに脂肪 筋をナイフで削ぎ落す と
キロ当たり9000円
昔は安かった
沢山売れました
当時 一人前フィレステーキ・・¥7000円
舌平目
当時 ¥2500円
昭和54年~
暖炉のある談話室
フレンチ ファミリー時代
30人前後の宴会予約が多かった
自営同業者 店主が
ソースやタンシチューを
仕入れに来た
メニュープロデュス迄した事も
50万円の金額で料理を請け負い
依頼されたお店で調理
結婚披露パーティーなども
このころは
銀行などでも大きな銀盆皿
オードブル料理の予約も
お得意様の定例会が年に数回
他店と同じ様な事は嫌いな性格で
独創的な料理で走った
お店を終え 現在知人が言葉にする事は
早すぎた 当時料理内容が飛びすぎ
お客様が付いてこられなかった部分が
どうもナイフとフォークは苦手などと
多かった様だ ここ土浦は
当時 まだまだ洋食 調理技術も乏しかったし
洋食店も少なかった
結構 田舎
四日坊主を他人店と見る
いきずまった時 何時もこうして自分の店を
見直し乗り越えた
自分だったら利用した
四日坊主のようなお店は
あまりない いい意味で
好みの料理を金額が合えば作る
これが本来の料理屋
数々の独創料理を発案メニューに
終えてしまった今
本当に楽しかった
平成11年頃
めしや 一里房(いちりぼう)時代
めしや 一里房時代に見えた
松本医院の
看護師実習生 立派な看護師に
なっているんでしょうね
この後四日坊主 平成17年から
2020年12月26日迄
閉店 後継者がいない事
大きなケガが調理に影響があり
同時に四日坊主店舗を譲ってほしい
そんな事もあって
2020年12月26日 廃業
42年間この地に
令和2年フレンチ
シチュー屋 四日坊主は
この店で通算42年間の料理人生の舞台をおりる
やりがいのある いい思い出が残る
貸店舗として賃貸料を沢山稼いでくれた店
三度 店の名を変え
実働30年自営 12年賃貸店舗
(お店を貸していた頃は思い出に残る
ゴルフ場のチーフもいい経験と)
再度 再々度と出世魚の様に名前を変え
同じオーナーとは思わない人もいた
でも料理の癖を覚えていて
料理を食べて以前のオーナーときずく人も
ありがたく思っていた
低料金の理由
一人仕事 配膳 注文受け 時間がかかる為
料理 注文などを進めていた
来店前にTELなどをもらい
結構 お客様の負担も
その為 わざわざ 四日坊主に足を
向けてもらえることが 低料金と・・・
谷田部の棟梁 広瀬氏が請け負った
力作
オープン当時とは大変な変わりよう
外装は一度も手を入れていない
梁は40センチもある丸太
建て方は伝統の木造 日本建築です
まだまだ存在感のある建物です
当時はハイカラな店だった
令和2年12月26日をもって卒業
閉店 40代の夢のある実業家のてに
譲りました
おそらくあと 50年は
びくともしない建物です