日本三名城と云えば、名古屋城、姫路城、熊本城と一般的には云われています。
その姿かたちの美しさに、一度は訪ねてみたいとの想いに駆られるのではないでしょうか?
☆ ☆ ☆ ☆
ところで、「日本100名城」が選定されているのをご存知ですか?
「フリー百科事典ウィキペディア」には次のようにありました。
《日本100名城とは財団法人日本城郭協会が2007年に迎える設立40周年の記念事業の一環として2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので歴史や建築の専門家などにより、観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に審査の上選定、2006年2月13日に発表したものである(認定は4月6日「城の日」)》
財団法人日本城郭協会とは、文部科学省生涯学習政策局社会教育課所管の公益法人だそうです。
しかしですよ、それにしても国の外郭団体は、いたるところに顔を出しますよねぇ。
4月6日を「城の日」などと駄じゃれていますけれど、ここもお役人様の天下り先なのでしょうか?
☆ ☆ ☆ ☆
その「日本100名城」の中に、私の住んでいる地元の佐倉城も入っているのですよ。
佐倉城は家康の命によって土井利勝が築城したもので、当初は城主の入れ代わりが多かったのですが、その後、堀田家が藩主となってからは11万石の城下町として繁栄しました。
お城は印旛沼と鹿島川、高崎川を天然の外堀として三方囲まれた高台にあります。
水堀、空堀、土塁も残っていて、堅牢な城郭の様子がうかがえます。
城内は、城の中心である本丸、二の丸、三の丸などと、家臣の屋敷の曲輪がありました。
大手門(追手門)から三の門、二の門、一の門の跡を通って進んで行くと、広い本丸の跡に出ます。本丸の周りには天守閣、銅櫓、角櫓などの建物もありました。
しかし、明治維新以降、廃城令によってお城の建物は全て壊されてしまい、城跡は佐倉連隊と呼ばれる軍の駐屯地になったのです。
1962年に市の史跡に指定され、今では城址公園として整備され、その一部には「国立歴史民族博物館」がドデ~ンと建っています。
春には桜の名所として、秋にはモミジの大木がライトアップされるなど、市民の憩いの場として観光名所になっています。
☆ ☆ ☆ ☆
本丸のあった広場は高い土塁で周囲を囲まれています。
その土塁の斜面にモッコクが植えられていて、樹高11.6m、目通り幹囲2.6mもの大木です。
モッコクの成長は遅いので、これほどの大樹のものは珍しいと云うことで県の天然記念物にも指定されていて、「夫婦(めおと)モッコク」と名付けられています。
佐倉市のホームページには次のようにありました。
《この夫婦モッコクは3本が接しており、そのうち幹の株で2本が合体していますが、もともと2株植えられたものの1株が夫婦モッコクとなったものか、3株寄植したものの2株が癒合したものかは明らかではありません》
☆ ☆ ☆ ☆
でも、少し変じゃありませんか?
夫婦とは二人のはずですが、このモッコクは“3本”なんですよ!
間男か、お妾さんか知りませんが、 “三角関係の夫婦モッコク”と呼び名を変更すべきじゃないですか? 市長さん!
その姿かたちの美しさに、一度は訪ねてみたいとの想いに駆られるのではないでしょうか?
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ところで、「日本100名城」が選定されているのをご存知ですか?
「フリー百科事典ウィキペディア」には次のようにありました。
《日本100名城とは財団法人日本城郭協会が2007年に迎える設立40周年の記念事業の一環として2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募したもので歴史や建築の専門家などにより、観光地としての知名度や文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などを基準に審査の上選定、2006年2月13日に発表したものである(認定は4月6日「城の日」)》
財団法人日本城郭協会とは、文部科学省生涯学習政策局社会教育課所管の公益法人だそうです。
しかしですよ、それにしても国の外郭団体は、いたるところに顔を出しますよねぇ。
4月6日を「城の日」などと駄じゃれていますけれど、ここもお役人様の天下り先なのでしょうか?
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その「日本100名城」の中に、私の住んでいる地元の佐倉城も入っているのですよ。
佐倉城は家康の命によって土井利勝が築城したもので、当初は城主の入れ代わりが多かったのですが、その後、堀田家が藩主となってからは11万石の城下町として繁栄しました。
お城は印旛沼と鹿島川、高崎川を天然の外堀として三方囲まれた高台にあります。
水堀、空堀、土塁も残っていて、堅牢な城郭の様子がうかがえます。
城内は、城の中心である本丸、二の丸、三の丸などと、家臣の屋敷の曲輪がありました。
大手門(追手門)から三の門、二の門、一の門の跡を通って進んで行くと、広い本丸の跡に出ます。本丸の周りには天守閣、銅櫓、角櫓などの建物もありました。
しかし、明治維新以降、廃城令によってお城の建物は全て壊されてしまい、城跡は佐倉連隊と呼ばれる軍の駐屯地になったのです。
1962年に市の史跡に指定され、今では城址公園として整備され、その一部には「国立歴史民族博物館」がドデ~ンと建っています。
春には桜の名所として、秋にはモミジの大木がライトアップされるなど、市民の憩いの場として観光名所になっています。
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本丸のあった広場は高い土塁で周囲を囲まれています。
その土塁の斜面にモッコクが植えられていて、樹高11.6m、目通り幹囲2.6mもの大木です。
モッコクの成長は遅いので、これほどの大樹のものは珍しいと云うことで県の天然記念物にも指定されていて、「夫婦(めおと)モッコク」と名付けられています。
佐倉市のホームページには次のようにありました。
《この夫婦モッコクは3本が接しており、そのうち幹の株で2本が合体していますが、もともと2株植えられたものの1株が夫婦モッコクとなったものか、3株寄植したものの2株が癒合したものかは明らかではありません》
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でも、少し変じゃありませんか?
夫婦とは二人のはずですが、このモッコクは“3本”なんですよ!
間男か、お妾さんか知りませんが、 “三角関係の夫婦モッコク”と呼び名を変更すべきじゃないですか? 市長さん!