国道296号線を自転車でツーリングしていたのですが、渋滞車両の排気ガス臭が嫌になって一筋裏側の住宅地の狭い道へ入りましたら、つい見逃してしまいそうな小さな公園に出会いました。
☆ ☆ ☆ ☆
公園の谷底には細長い川というか池があり、その周りには木が覆いかぶさり、更にその外側の周りの斜面には住宅がぎっしり建て込んでいて、そこにいるだけで気分的に押し潰されそうな日当たりの悪い小さな公園です。
きっと、夏場には蚊がわんわん飛んで来そうな薄暗い公園です。
猫の額ほどの小さな広場の木の杭に「加賀清水公園」とありました。
その横の立て看板には、次のような講釈を垂れていました。
《この清水は第八代城主大久保加賀守忠朝(1678~1678)が愛飲し、江戸への往来の時に必ず立ち寄ったところから、加賀清水、または井野清水と呼ばれるようになったと伝えられる。
その後、成田街道脇の林屋という茶屋がこの清水を客に振舞っていた。現在、国道296号線脇に加賀清水道路標があり、往時の林屋の繁盛振りが偲ばれる。
昭和57年3月 佐倉市》
えっ! 由緒正しき処じゃないですか・・・
☆ ☆ ☆ ☆
ヘヘーぇッ! お殿様のお気に入りの休憩場所だったんですか・・・
ヘヘーぇッ! 成田山参りのお休み処だったんですか・・・
ヘヘーぇッ! 道理で由緒のありそうな雰囲気だったんですねぇ・・・
道理で、小さな祠も鎮座ましましておられるじゃないですか!
道理で、泉がこんこんと湧き出ているじゃあないですか!
道理で、桜の大木が植えてあって、春には花見も楽しめそうな・・・
道理で、一休み出来るように腰掛などもあって、夏などには涼も楽しめそうな・・・
子供たちがザリガニつりなどして元気に遊びまわっているじゃないですか。
お年よりも木陰でゆったり休んでおられます。
昭和も四十年代以前は、この辺りは林が生い茂り、畑ばっかりだったそうで、「加賀清水」もこんこんと湧き出していたそうです。
その四十年代後半ごろから住宅建設が増えだし、森が切り開かれて宅地となり、畑にもどんどん家が立ち並んだそうです。
でも、その住宅開発で「加賀清水」は涸れ果ててしまったのだそうです。
“歴史に残る「加賀清水」を残そう”と、住民の皆さんが結束して「雨水浸透槽」を各戸に設置して雨水を地下に戻して、見事「加賀清水」を復活させたのだそうです。
☆ ☆ ☆ ☆
「加賀清水」の復活で、注ぎ入る印旛沼の水質もきれいになって来たのだそうです。
散策には、ちょっとした良い話がついてまわるものです。
表面だけではなく一歩中に入ると、そこには物語があるのですね。
地元の古老の話を聞いていると、悪口の得意なワルポンも少しは反省した次第です。