俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『情景写真を撮るために』

2011-05-28 18:07:23 | Weblog
「日の出日の入りの前後30分が一日のうちで一番美しい情景に出会える」ということで、写真撮影には早起きが肝心!

昔から、「写真ロケの旅」に出たいと思っていました。
その練習として、富士山一周の旅へ行って来たことは前回報告した通りです。
練習の第二弾として、今回は「富津岬」と「九十九谷」へ行ってきました。

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こないだは「足柄SA」で、「金時湯」に入り野宿したのですが、今回は「小糸川温泉」に入り、富津岬公園で野宿しようと計画して出かけました。


富津岬の突端から第一海堡を左側に入れて富士山方向に沈む夕日を撮りました。

散歩中の子供連れのお父さんが話しかけて来ました。
落日後20分に撮ったのが、このちょっと不気味な写真ですが、“情景”がありますよね。

「江戸時代には第一海堡第二海堡第三海堡が作られ、敵の船が江戸に入れないように、その間をクサリでつないで封鎖していたのだ。それで鎖国と云われていたのだ。ペリーの黒船が浦賀にまでしか入れなかったのはそのためだ」という。
妙に納得したのですが、あとで調べたら、海堡が作られたのは明治大正になってからでした。

日もとっぷり暮れた頃、富津岬公園に戻ると、あの大駐車場に4台しか車がいない上に、軒を連ねている食堂は皆閉まっている・・・
君津市街へ行って夕ごはんを食べてこなきゃ・・・

途中の交番に立ち寄って、公園での野宿の可否をたずねると、免許証の提示を求められ、住所や車のナンバーを控え書きし、携帯電話の番号まで聞かれました。
しかも二人掛かりで
その上、何泊するのか?だと・・・ こりゃ、完璧に浮浪者扱いです。

夕食後、君津市内のコンビニの店長さんに頼のんで、駐車場の片隅をお借りしました。
明るいし、不安はないし、トイレも借りられるので、安心してぐっすり眠りました。

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朝、3時半起床。
コンビニで、朝食とお茶、リポD2本購入。
一宿一飯の礼を厚く言ってから、「鹿野山・九十九谷」とナビに入れて4時に出発。
まだ真っ暗だが、三日月が天空にかかって天気は良さそう。

ところが、ナビに従って走ると道が別れる度に、だんだん細く曲がりくねってきました。
急な山道に入ると、車がやっとの細い砂利道になり、木の枝や竹が倒れ掛かっています。
戻ろうかとも思いましたが、車を転回する場所も無さそうだし、この心細い道に入ってから、もう大分走ったので、仕方無しに構わず走り続けました。

何年か前に神野寺で飼っていた虎が逃げ出し大騒ぎになったことがありました。
虎はもういないと思うし、房総半島に熊はいない筈です。
山賊はいないと思うけど・・・ イノシシはいます。
頼りはナビだけですが、あと2.7km先で大きい道と合流するらしい。

やっとの思いで出ましたが、そんなに大きくも無い道は鋭角で右折が出来ません。
仕方が無いので左折して、資材置き場の入り口でターンして、再び山道を上りました。
見覚えのある鹿野山CCに入り口のところへ出ました。
左折し、もうすぐ目指す「九十九谷公園」です。

東山魁夷画伯の「残照」を描いた舞台です。


いい絵じゃないですか! 早起きは三文の得ですね。


もっといいのもあるのですが、フォトコンテスト用なので出せません。
ブログに載せてしまうと、“未発表”にならないのだそうです。悪しからず!

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鹿野山の麓にある山田べにこさんおススメの「小糸川温泉」へ立ち寄りましたが、生憎お休みでした。


ならばと、米美智子さんのお気に入りの「梅ケ瀬渓谷」へ行くことにしました。

小湊鉄道・養老渓谷駅から細い道を入り、女ケ倉で大福山方面への道と別れると、またもやだんだん細くなり砂利道となりました。
途中、写真を撮っていた方に聞くと、「行き止まりの標識が立っている所に数台の駐車場があって、そこでターンできる」と聞いたので安心して車を進めました。

明治の教育者・日高誠寶が「梅ケ瀬渓谷」と命名し、若者を集めて理想郷を建設しようとした邸宅跡もあります。
垂直に切り立った侵食崖の連なる渓谷で、紅葉の名所です。


「宝探しの旅・第二弾」
ここで撮った“情景写真”もフォトコンテスト用なので掲載しません、悪しからず!