彦根城は、徳川四天王のひとり井伊直政が関ケ原の合戦でなした功により徳川家康の命を受けて建てた城です。
400年前の築城で、松本城、犬山城、姫路城と共に国宝となっています。
譜代大名では破格の35万石の大大名でした。
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
敵の攻略がしづらいように作られたという不揃いな階段を汗を拭き拭き登ると、やがて天秤櫓があります。
そこに渡された橋は敵が攻め入って来た時には焼き落して侵入を防ぐのだそうです。
幸いにも彦根城では一度も戦は無かったそうです。
これが国宝彦根城の天守です。
城山を下りると、下屋敷である「槻(けやき)御殿」(現・楽々園)に連なって玄宮園があります。
池泉回遊式庭園で茶会などが開かれ大名の社交場となっていたそうです。
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
西の丸の三重櫓に上って琵琶湖からの清々しい風に吹かれて景色を眺めていると、解説の方が話しかけてくれました。
琵琶湖からの攻め来る敵の監視のための櫓で、彦根城では一番西の見張り所であることや、最初は石田三成の居城があった佐和山を家康から賜ったが、三成の祟りがあるということで現在の場所になったことなど詳しく話してくれました。
歴史に疎いワルポンが「石田三成を裏切って徳川に付いた功績を買われたのか?」と聞くと、「冗談じゃない!、裏切ったなどとトンデモナイ。徳川四天王のひとりで、常に先鋒をつとめて手柄を立てていたんだ。それまでは高崎城主だったんだ」と、かなりご立腹のご様子。
地元自慢の井伊家の悪口に聞こえてしまったらしい。
「いや、大老の井伊直弼のことは知っていましたが、代々井伊家は大老を出すようなすばらしい名家だったのですね」と、繕うと、少しは気分が治ったのか上機嫌で「楽しい旅を続けて下さい」と送り出してくれました。
旅は歴史を知らないと恥をかきます、失敗します。勉強、勉強、・・・
400年前の築城で、松本城、犬山城、姫路城と共に国宝となっています。
譜代大名では破格の35万石の大大名でした。
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敵の攻略がしづらいように作られたという不揃いな階段を汗を拭き拭き登ると、やがて天秤櫓があります。
そこに渡された橋は敵が攻め入って来た時には焼き落して侵入を防ぐのだそうです。
幸いにも彦根城では一度も戦は無かったそうです。
これが国宝彦根城の天守です。
城山を下りると、下屋敷である「槻(けやき)御殿」(現・楽々園)に連なって玄宮園があります。
池泉回遊式庭園で茶会などが開かれ大名の社交場となっていたそうです。
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西の丸の三重櫓に上って琵琶湖からの清々しい風に吹かれて景色を眺めていると、解説の方が話しかけてくれました。
琵琶湖からの攻め来る敵の監視のための櫓で、彦根城では一番西の見張り所であることや、最初は石田三成の居城があった佐和山を家康から賜ったが、三成の祟りがあるということで現在の場所になったことなど詳しく話してくれました。
歴史に疎いワルポンが「石田三成を裏切って徳川に付いた功績を買われたのか?」と聞くと、「冗談じゃない!、裏切ったなどとトンデモナイ。徳川四天王のひとりで、常に先鋒をつとめて手柄を立てていたんだ。それまでは高崎城主だったんだ」と、かなりご立腹のご様子。
地元自慢の井伊家の悪口に聞こえてしまったらしい。
「いや、大老の井伊直弼のことは知っていましたが、代々井伊家は大老を出すようなすばらしい名家だったのですね」と、繕うと、少しは気分が治ったのか上機嫌で「楽しい旅を続けて下さい」と送り出してくれました。
旅は歴史を知らないと恥をかきます、失敗します。勉強、勉強、・・・
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