
【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㊽
老いてからの夫婦
岩崎邦子
私達夫婦は歩いても行ける町医者に通っている。月に一度の検診とそれぞれの体調に合わせて処方薬を出してもらうためだ。その日、タクシーから老夫婦が降り立ってきた。旦那さんの方は腰も曲がり、足取りもかなりおぼつかない。奥さんはやっと待合室の椅子に座らせてから、周りの患者に話しかけた。
「この人、すぐにマスクを取ってしまって」
コロナ禍が続くので、病院では受付の前に手の消毒・検温は必須である。もちろん、マスクの着用も当たり前だ。奥さんはバッグから取り出したマスクを旦那さんの顔にかけようとするが、少し逆らう旦那さん。
「ダメなの! ここは病院なんだから!」
奥さんが小声ではあるが、厳しい声で叱責した。
ちょっと異様とも思える光景である。私はそちらを見ないようにしていた。しばらくすると、旦那さんは奥さんに手引きをされて診察室に近い席へと移動した。まだ何かをしきりに注意をされている様子で、旦那さんは「はい」「はい」と小声の力ない返事を繰り返す。
私の隣に座っていた我が夫が、何やらメモ用紙に書いて私に手渡した。え~っ! そこには「Оさんだよ」と書かれていたのだ。もう信じられない。あの旦那さんがОさんだったとは…。でも、声掛けをすることは出来ない。
先に診察の番が来た私達、特に悪い所もないことで、あっさりと終えた。廊下に出た際にそっとОさんを見た。う~ん、面影はあるが、その目や表情は私の知っているОさんとは、大きく違う。
私がОさんと出会ったのは、確か12年も前のことだった。夫は当時、酷い腰痛に悩まされていたので、大好きなゴルフなど全く出来ない状態である。
散歩の途中、公園でグラウンド・ゴルフをしている人たちを見学していると、誘われて道具を借りて試しプレーをさせてもらうことに。なにせ、「ゴルフ」と名が付いていることで夫は大喜び。やがてパークゴルフの方がさらに楽しいことを知った。
そうした矢先に我がマンションの中に「パークゴルフの会」を立ち上げた人がいると知る。名を聞けばIさんだとか。だが、私の知らない人である。その人の地下駐車場の番号だけを知ることができた。我が家の車とは筋向いだ。
ある日、その車から降り立つ人を見かけたので、私は無謀にもいきなり声を掛けてしまった。
「あの~、Iさんですか?」
「ええ、そうですが…」
「私達夫婦を、パークゴルフの仲間に入れてもらえませんか?」
かなり驚かれたようだったが、Iさんはこう言ってくれた。
「あ~、仲間にも聞いてみますよ」
次の日、マンションの玄関先でIさんが誰かと話をしている場面に遭遇した。
「あっ! 昨日は失礼しました!」
と、私。Iさんが話していた相手がОさんだった。
その「パークゴルフの会」は、まだ発足したばかりだから、会員の集まりに私も参加することに。白井駅・西白井駅付近に住む人たちの男性が大半だが、女性はたったの3人。総勢で15人位だった。
会の運営は、私と同年齢のIさんと5歳上のОさんが中心である。夫婦揃って会員なのはIさんと私達だけ。Оさんの奥さんは陽気な人と聞いたが、運動は苦手とか。
やがて、立派な会則が出来た。スポーツ保険にも加入し、近隣のあちこちのパークゴルフ場へ行ったり、1泊しての遠征ゴルフも楽しんだり。
さらにスコア上級者やホールインワン賞への報奨制度、年間優秀賞、出席多数賞、区切りの良い回数には記念賞を設けるなど、プレーを楽しむための行事がオンパレード。まぁ、よくぞ考えられると思うほどだ。
パークゴルフを定期的に参加するようになってから、夫はどんどん元気に。それどころか、「本ゴルフ」も楽しめるようになったのである。それが何よりの収穫というか、喜びであった。
この会もいつの間にか発展して新規入会者も増える。その一方で、会員の中には家庭や体に事情があって退会する人も。役員の交代で、私には会計の仕事が振られてしまった。当たり前のことだが、年会費の徴収、保険の加入、賞金の用意や記念品の購入も会計の仕事である。
お金の出し入りを金銭出納帳につけるだけでは済まないことが分かった。年度末の総会の時には年間の収入・支出を詳細に明記し・次年度繰り越し金などを、きちんとした表にして印刷し、発表しなければならない。
会計未経験の私には超難解であったが、会計監査役のОさんに助言と教えを受けて、やっとこさ役目を果たしていた。Оさんは、大手企業の経理をされていたらしい。
会の金銭管理の面だけでなく、プレーの仕方など様々なことにも几帳面そのもの。口数は少ないが、とても優しい人だった。Оさんから言われた忘れられない言葉がある。プレーで一緒の組になった時に、こう言われたのだ。
「あなたは明るい人ですねぇ~、第一印象からそう思いました」
私のことを「明るい人」だった。そんなことを言われたのは初めてだったのでびっくり。子供の頃の通知表には、「誰とでも仲良く話せるように」「何事も積極的になりなさい」と書かれることが多かった。周りの人には暗い子供の思われていたのだろう。
さてさて、月日は流れ、所属していた「パークゴルフの会」では、数々の楽しかった思い出もある中、何かと頑張ったこと、悔しかったこと、今ではすっかり浄化され、気分はすっかり軽々としている。
70歳位からの月日を過ごす中、健康面には個人差がどんどん現れてきた。夫のゴルフ仲間には、あっという間に命を落とした人、内科系の手術をする人、連れ合いを亡くす人もいる。
しっかり者であった人に認知症の症状が出てきたことも。時には仲良し夫婦たちで、北海道や九州へのゴルフツアーに行ってきたという、パワーと豊かさが羨ましい話もある。
私達も歳を重ねてきたが、今のところ二人とも元気だ。そのせいか、人前でも、ついつい夫への辛辣な言葉を投げかけてしまう私。すると、「喧嘩できる人がいて、羨ましいわぁ」と、言われることが少なくない。
笑いながらだが、本音の言葉だろう。そう思ってハッとさせられた。「明るい人」と言われてきたことで、私の中に慢心があったのかも。
Оさんから私は「明るい人」と言われた。でも、病院で見かけた、そのОさんに、私は明るく話しかけられなかった。あの時、私は一体どうすれば良かったのか。
白井健康元気村の「健康教室」が先日行われた。テーマは「認知症」。私達夫婦も、いつ「認知症」になってもおかしくはない。そうなった時、どうすればよいのか。
当日は6人の認知症専門家が語り合っていたが、認知症になっても、落ち込まず、本人も家族も明るく前向きな気持ちになることが大切なんだそうだ。そうか。私達夫婦も、そうしよう。また、公的機関への相談の場が、身近な所にあることも知った。いざという時は遠慮なく相談したい。
【岩崎邦子さんのプロフィール】
昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。