結婚して、だんなの親達の使う難しい言葉に接する事が度々ある。
だんなは下伊那の人だから、方言かと思って、その場の雰囲気で解釈していた。
私は国語を学ぶのが好きなので、同世代のレベルなら多少難しい言葉を使う方だろう。
方言の例なら、
おかしまする→ 正座をする
切り板→ まないた
など。
ところが、
勘考して作った→ 創意工夫して作った
とか、
熟柿→ 熟した柿
とかは、方言と思い込んでたら辞書に載っている‥。
今、70歳前後の世代で、戦中・戦後のあらゆる方面で恵まれなかった世代の人だから、中卒で社会人になっている人ばかりである。
内容も今ほど難しいものはないだろう。
上の学校に行けなかったからと言って、自分で学問に勤むことはできなかったはずだ。
義父は、3男なのに、病で上の兄を二人も亡くして、ずっと長男として家を守っている。
姉妹弟たちの、その子ども達が小学校に入学する度にランドセルを皆に贈ったと聞く。
代々の資産家なら、なんとも普通な話だろうが、全くそうではない。
よくそんな事を持続できたと感心する。
そんな状況だから、どうやって難しい言葉を日常的に学んだのか不思議である。
昔の人の方が難しい言葉を遣いこなしていただろうが感心してしまう。
だんなは下伊那の人だから、方言かと思って、その場の雰囲気で解釈していた。
私は国語を学ぶのが好きなので、同世代のレベルなら多少難しい言葉を使う方だろう。
方言の例なら、
おかしまする→ 正座をする
切り板→ まないた
など。
ところが、
勘考して作った→ 創意工夫して作った
とか、
熟柿→ 熟した柿
とかは、方言と思い込んでたら辞書に載っている‥。
今、70歳前後の世代で、戦中・戦後のあらゆる方面で恵まれなかった世代の人だから、中卒で社会人になっている人ばかりである。
内容も今ほど難しいものはないだろう。
上の学校に行けなかったからと言って、自分で学問に勤むことはできなかったはずだ。
義父は、3男なのに、病で上の兄を二人も亡くして、ずっと長男として家を守っている。
姉妹弟たちの、その子ども達が小学校に入学する度にランドセルを皆に贈ったと聞く。
代々の資産家なら、なんとも普通な話だろうが、全くそうではない。
よくそんな事を持続できたと感心する。
そんな状況だから、どうやって難しい言葉を日常的に学んだのか不思議である。
昔の人の方が難しい言葉を遣いこなしていただろうが感心してしまう。