NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年008月013日(月)空気を読まない、あえて

2007-08-13 | 休み
NHKで竹内浩三と云う人の特集を見た。
彼の戦時下での振る舞いを見ると
手塚治虫のそれに似ているような気がした。


戦時下にありながらも、国家の大事をまるで
他人事のように、客観視することが出来
且つそれに対して、臆せず否定的な評価を
下せるということが、だ。

明治維新によって日本が近代化を迎えた、と
云っても、やはり当時の日本人は貧しく
近代的な個人足り得なかったのだろう。
だからこそ、多くの人が旧来通り
伝統にくびきをうたれ、自らを国家に
結びつけなければならなかったんだろう。
生きては行けなかったのだろう。

それ故の日清戦争であり、日露戦争であり
日比谷焼き討ちであり、2・26事件であり
盧溝橋事件であり、詰まる所太平洋戦争なんだろう。


そういった貧しい社会状況の中で
個人足り得たのは、国家から自らを
切り離すことが出来たのは
手塚や竹内のように明日の生活に追われない
経済的に恵まれた人々だけだったのだろう。

もっと云うと、映画や小説、演劇もしくは
漫画など芸術文化体験に恵まれた者たちであった
からこそ、国家から自立した個人足り得たのだろう。
この特集で挿入された軍国への憧れをまるで称えない
竹内や、『紙の砦』などで紹介される
戦時下、軍事工場でも漫画を描き続け
敗戦の知らせを聞いて。「漫画が描けるっ!」と
歓喜の声を上げた手塚のエピソードを
目の当たりにすると、そう考えたくなる。