倖田來未“羊水腐る”発言で活動自粛(スポーツニッポン) - goo ニュース
>>問題となったのは、1月30日午前1時から放送されたニッポン放送の特番
「倖田來未のオールナイトニッポン」。パーソナリティーの倖田が冒頭で
「35歳ぐらいをまわると、お母さんの羊水が腐ってくる。
(結婚したマネジャーに)できれば35歳までに子供をつくってほしいな
という話をしたんです」との趣旨の発言をした。
同局には「不快な思いをした」「不適切な発言」などの抗議がメールで約40件、
電話で数件寄せられたという。(上記記事内引用)
本当にこういうことが多いなと、コミュニケーションって難しいなって
思うわけです。社長と話をしていると僕はたびたび怒られる。
「余計なことが多い」とか「一言余計」とか「そういうこと言うな」とか。
直接接してる人にすらなかなか本意は伝えづらく、伝わりづらく。
(まぁその一方であんたもな、とか心の中で毒づくわけだけれども)
以前、ナイナイさんのオールナイトでも徳永英明のモヤモヤ病の話題の時に
その病名のひびきから、からかいの言葉を発したものの番組内の謝罪で
済んでいたけれど、今だったらきっと活動自粛に追い込まれるんだろうな。
こわいな、現代。てか何でも過敏だよなとか思うわけですよ。
同じ深夜放送でも伊集院さんというラジオのおばけは600回を超える
放送の中で、「羊水が腐る」なんて発言なんて問題にも値しないような
強烈な毒を吐いているけれども、今までほとんど問題化していない。
少なくとも、新聞に載ってしまうような表面化はしていない、と思う。
現代のマスコミさんが敏感で、いろんな意味で過剰なことも活動自粛に
繋がっているとは思うけれど、でも根本のところで倖田さんとナイナイが
伊集院さんと違う点を持っている、あるいは持っていないところに大きな
と問題というか、問題になるか、ならないかというのがあると思うです。
倖田さんのは毒というか、ある種のたとえ話ですがナイナイさんの話は毒。
伊集院さんのそれは毒としか言いようの無いものだけれども、同じように
見えて重大なところで異なっている。それはその毒の矛先と立ち位置。
倖田さんの発言やナイナイさんのモヤモヤ病に関する発言は世間では少数派の
人たち。倖田さんの発言は高齢出産をした、あるいはひかえた女性。
ナイナイさんの発言の矛先はあまり聞きなれない特殊な病名の患者さんに。
翻って伊集院さんは「羊水が腐る」とかモヤモヤ病をからかうようなこと
以上に過激なことを言ってる。特定の人物、特定の人たちに向けて
「死んじゃえば良いのに」とかそういう類のことを言っている。
けれどもその矛先を向けられる人や人たちは社会の中で一定の地位を
得ているマジョリティであって、前述のような女性や患者といった
マイノリティではない。マジョリティを叩いてもあまり反発は少ない。
何より伊集院さんの毒には、それなりの理解を得うるロジックが発言の
根底にある。毒づく理由をちゃんとリスナーに伝えている。コミュニケート。
倖田さんやナイナイさんにはそれが無い。単に糊で内輪話としか考えてない。
内輪であれば、その場に発言を向けられる当事者がいなければ容認される
だろうけれども、話しているのはスタジオであって、公共であるのだから
誰が聞いているのか分からない。受け取る側の気持ちを考える必要がある。
伊集院さんはそこのところはきちんと理解していて、「死んでしまえ」
見たいな事を言うときにでも、レトリックでユーモアに還元している。
何より予防線をしっかり準備してから発言する。だから問題化しない。
(五味一男さん何かをゴミ屑男と言ったら、エンタ大好きな中高生女子
辺りが抗議のメールを送らないではないだろうけれど、多分聴いていない
ので、字面通りサイレントマジョリティで済んでくれるんだろうなと。)
結局何が言いたかったのかと言えば、芸能人に限らず一歩内輪から出て
社会の中にいれば、自分の発言が誰にどう理解されるかは分からないので
誤解されないようにコミュニケーションには気をつけるのがよさそうだな
ということです。社長の言ってたことと丸かぶりだ・・・
>>問題となったのは、1月30日午前1時から放送されたニッポン放送の特番
「倖田來未のオールナイトニッポン」。パーソナリティーの倖田が冒頭で
「35歳ぐらいをまわると、お母さんの羊水が腐ってくる。
(結婚したマネジャーに)できれば35歳までに子供をつくってほしいな
という話をしたんです」との趣旨の発言をした。
同局には「不快な思いをした」「不適切な発言」などの抗議がメールで約40件、
電話で数件寄せられたという。(上記記事内引用)
本当にこういうことが多いなと、コミュニケーションって難しいなって
思うわけです。社長と話をしていると僕はたびたび怒られる。
「余計なことが多い」とか「一言余計」とか「そういうこと言うな」とか。
直接接してる人にすらなかなか本意は伝えづらく、伝わりづらく。
(まぁその一方であんたもな、とか心の中で毒づくわけだけれども)
以前、ナイナイさんのオールナイトでも徳永英明のモヤモヤ病の話題の時に
その病名のひびきから、からかいの言葉を発したものの番組内の謝罪で
済んでいたけれど、今だったらきっと活動自粛に追い込まれるんだろうな。
こわいな、現代。てか何でも過敏だよなとか思うわけですよ。
同じ深夜放送でも伊集院さんというラジオのおばけは600回を超える
放送の中で、「羊水が腐る」なんて発言なんて問題にも値しないような
強烈な毒を吐いているけれども、今までほとんど問題化していない。
少なくとも、新聞に載ってしまうような表面化はしていない、と思う。
現代のマスコミさんが敏感で、いろんな意味で過剰なことも活動自粛に
繋がっているとは思うけれど、でも根本のところで倖田さんとナイナイが
伊集院さんと違う点を持っている、あるいは持っていないところに大きな
と問題というか、問題になるか、ならないかというのがあると思うです。
倖田さんのは毒というか、ある種のたとえ話ですがナイナイさんの話は毒。
伊集院さんのそれは毒としか言いようの無いものだけれども、同じように
見えて重大なところで異なっている。それはその毒の矛先と立ち位置。
倖田さんの発言やナイナイさんのモヤモヤ病に関する発言は世間では少数派の
人たち。倖田さんの発言は高齢出産をした、あるいはひかえた女性。
ナイナイさんの発言の矛先はあまり聞きなれない特殊な病名の患者さんに。
翻って伊集院さんは「羊水が腐る」とかモヤモヤ病をからかうようなこと
以上に過激なことを言ってる。特定の人物、特定の人たちに向けて
「死んじゃえば良いのに」とかそういう類のことを言っている。
けれどもその矛先を向けられる人や人たちは社会の中で一定の地位を
得ているマジョリティであって、前述のような女性や患者といった
マイノリティではない。マジョリティを叩いてもあまり反発は少ない。
何より伊集院さんの毒には、それなりの理解を得うるロジックが発言の
根底にある。毒づく理由をちゃんとリスナーに伝えている。コミュニケート。
倖田さんやナイナイさんにはそれが無い。単に糊で内輪話としか考えてない。
内輪であれば、その場に発言を向けられる当事者がいなければ容認される
だろうけれども、話しているのはスタジオであって、公共であるのだから
誰が聞いているのか分からない。受け取る側の気持ちを考える必要がある。
伊集院さんはそこのところはきちんと理解していて、「死んでしまえ」
見たいな事を言うときにでも、レトリックでユーモアに還元している。
何より予防線をしっかり準備してから発言する。だから問題化しない。
(五味一男さん何かをゴミ屑男と言ったら、エンタ大好きな中高生女子
辺りが抗議のメールを送らないではないだろうけれど、多分聴いていない
ので、字面通りサイレントマジョリティで済んでくれるんだろうなと。)
結局何が言いたかったのかと言えば、芸能人に限らず一歩内輪から出て
社会の中にいれば、自分の発言が誰にどう理解されるかは分からないので
誤解されないようにコミュニケーションには気をつけるのがよさそうだな
ということです。社長の言ってたことと丸かぶりだ・・・