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なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02008年011月024日(月)振り替え休日

2008-11-24 | 休み
一昨日の事件の顛末は衝撃的でした。ニュース番組オタクなので、何だかんだ文句を言いつつ安住さんの「ニュースキャスター」を見ていたのですが、ちょうど同事件の特集の途中でニュース速報が流れました。けれどニュース速報でありながら、肝心のテロップが出てこず、ニュース速報の”音”だけが当初流れました。それだけこのニュース速報の速報性が見えたような気がしました。


でネットを見てみると案の定というか、マスコミ叩きでした。確かに新聞、テレビやラジオでも、この事件がテロルであるとの前提で語られていました。ナイフで殺害するのは難しく、訓練を受けた者の犯行だから、警察官や自衛官だとか一件目の被害者の山口さんと二件目の被害者の吉原さんが上司部下の関係だったのを知っているから、厚労省関係者だとかの推論が展開されていました。コメンテーターでも写真家の勝谷正彦さんなどは一件目の事件の時からテロだと思っていたと仰っていました。

でも、田母神論文を6割が支持したとして有名なヤフーニュースのコメント欄では、マスコミのテロル仮説を前提にこの事件への少なくない共感に基づいたコメントにあふれていたと思います。少なくない人が今回の事件を必然のテロルと捉え、また犯人への共感を示していました。またラジオの聴取者アンケートなどでもその傾向が顕著でした。加えて昨晩の「NC」での元内閣安全保障室長官の佐々淳行さんのようにコメンテーターの方でも「もっと悪い官僚は居たのに」との趣旨で暗にテロルを容認するかのような発言も多かったです。そんな中での民主党、長妻昭さんへのコメントを求める取材は印象的です。


(いつも困惑するのですが、この種のネット世論の大半はいわゆる”名無し”さんによって作られています。”名無し”さんは誰もであって、誰でもない。大きな主体のようで、実態は個々のユーザーな分けでAに反対の”名無し”さんが居て、またBに賛成の”名無し”さんも居ます。一見同じ主体に見えたり、感じられたりするのですが、実際はその主体は毎回異なります。だからといってネットの空気が世論を反映していないとは思わないですが、やっぱり変な違和感、掴み所の無さを感じます。)


あの人が何でやったのかはわかりませんが、1つだけ分かったのはテロルというのは、少なくとも日本では、非常に社会的なものだったということです。犯人が犯行声明などを出さなくとも、その犯罪なりが社会的文脈の中である種の整合性が認められた時にはそれはテロルと見なされてしまうみたいです。例えそれが後から何の思想性も含意していないと判っても、付加された意味からは簡単に逃れられないように思います。今もマスコミ、ネットともに陰謀説が囁かれているみたいに、です。


少なくとも今の状況を見る限り、ドラマ『相棒』のエピソードのようなオチです。