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PS4の最後の大傑作、『The Last of Us PARTⅡ』

2020-07-26 | 備忘録
-『THE LAST OF US PART Ⅱ』(公式)
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前作、『The Last of Us Remastered』をプレイしそびれていたので、発売直前に前作を『Left Behind』を含めてクリアして『PART Ⅱ』に挑み、24時間ほどで怯えつつ、叫びながらクリアした。巷では評価がざっくり分かれているが(Amazonレビューは荒れすぎて今やレビューは投稿出来なくなっている。)、私個人としては、とてつもない労力をかけられて作られた信じられない大傑作だったと感じた。

ゲームとしても、物語としても、強烈な体験をもたらすエンターテイメントだったと信じている。また、一部で"鬱な展開"と評されているが、私は辛い展開は多いものの、"鬱な展開"とは感じなかった。

■参照すべき対象としての『The Last of Us』と『Left Behind ‐残されたもの‐』
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『The Last of Us』の主人公ジョエルは仕事として抗体を持つエリーを反政府組織、ファイアフライへ送り届ける旅路に赴く。しかし送り届けた結果、ジョエルはエリーの命と引き換えにワクチンを開発することを知り、ファイアフライからエリーを奪還し、その帰路で物語を終える。

『Left Behind ‐残されたもの‐』は、『The Last of Us』の中で瀕死の状態に陥ったジョエルがどのように復活したのか、本編で描かれなかった背景を描いたダウンロードコンテンツ。『The Last of Us Remastered』では標準搭載されている。

このDLCでは、エリーがジョエルを助ける為に医療器具を探しに行く過程を、現在の状況と関連したエリーの過去のフラッシュバックと行き来する構成で作られている。『The Last of Us』が基本的に時系列で語られていたことと比べると、ナラティブの複雑化と物語的な深度を増したと感じた。

『The Last of Us PART Ⅱ』は、『The Last of Us』のような単純な時系列ではなく『Left Behind ‐残されたもの‐』同様エリーの現在と過去を都度都度フラッシュバックしていく形で物語が構成されて行く。

そして本作では更に一歩進め、エリーに加えて対立する存在、発売まで明らかにされなかったが本作ではジョエルとエリー以外もう1人の新たなプレイヤーキャラクターがおり、その人物のナラティブもエリーと同様に、現在と過去を都度都度フラッシュバックしていく形で物語が構成されて行く。

■『The Last of Us PART Ⅱ』のもう1人の主人公、アビゲイル
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プレイ開始して、数時間してエリーが友達以上恋人未満であるディーナとハッパを決めて、セックスをした後で、突然カットが変わる。

プレイヤーキャラはエリーではない、体格の良い女性キャラクター、アビゲイルに切り替わる。プレイヤーは何も情報与えられず、アビゲイルを操作することになる。直ぐに明かされることになる彼女の正体は、前作の終盤でジョエルがエリーを助けるために手にかけたファイアフライ所属の医師の娘だった。彼女は父親を殺したジョエルを敵(かたき)として探しており、シーンの終盤、彼女はその仇討ちを果たす。それもエリーの眼前で。父のような存在であるジョエルを目の前で殺害されたエリーは復讐の鬼と化し、アビゲイルを殺すために彼女が所属する組織があるシアトルを目指す。それが本作の全体のストリーラインとなっている。

■エリー≒アビゲイル
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前作からのメインキャラクター、エリーと本作からのキャラクター、アビゲイルは双方の仇討ちと言う関係の中で対立する。ただし、それぞれの事情はそれぞれ知らない。

もちろん意図的であると思うが、エリーとアビゲイルは見た目こそ異なるものの、彼らが持つ人間関係は極めて似ている。エリーは父親のような存在であるジョエルを殺害された。幼馴染のジェシーの元カノであるディーナと恋人関係になる。ディーナはジェシーと分かれる直前にジェシーの子供を妊娠している。

一方で、アビゲイルは父親を殺害された。幼馴染であるオーウェンと付き合ったものの現在は別れて、オーウェンは所属組織の女性医師メルと恋愛関係にある。そしてメルはオーウェンの子供を妊娠している。にも関わらず、アビゲイルもオーウェンもお互いに対して気がある。物語中盤、ジェシーとオーウェンはそれぞれアビゲイルとエリーによって、劇的ではなく淡々と山場でも無い場面でサクッと無残に殺害される。

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もちろんこれは意図的であろう。エリーとその敵(かたき)であるアビゲイルを相似形として描くことで、双方それぞれの事情・背景を描きつつ、それぞれの復讐を描こうと意図しているのだろう。

■愛はどこまで人を駆り立てるのか
本作のテーマに関して、ノーティドッグのニール・ドラッグマンはファミ通紙上のインタビューで以下のように語っている。

「つまり、愛はどこまで人を駆り立てるのか。それをテーマにストーリーを考えています。ただ、今回違うのは、”あなたの愛する人がひどく傷付けられた場合”という条件がつきます。これによってエリーは、愛が大きいぶんだけ、愛する人を傷つけた者に対して、復讐したい気持ちに駆り立てられて旅をすることになります。」(週刊ファミ通2020年7月2日号32ページより一部引用)

そう、本作のエリーもアビゲイルも”あなたの愛する人がひどく傷付けられた場合、愛はどこまで人を駆り立てるのか”と言うテーマを描くためのキャラクターとして立ち現れている。

正直、特にアビゲイルは、テーマにキャラクターが殉じさせられていると感じた。映画の批判でよくあるアレだ。キャラクターが物語の語りのためだけに、駒のように配置されると批判される。アビゲイルのキャラクター設定も、エリーのドッペルゲンガーのように創作されたキャラクターと言う認識が強く、その物語に入り難かった。またアビゲイルのキャラクターも魅力的に感じることが出来なかった。

ところが、アビゲイルの事情を追体験させられて行く過程で、彼女の複雑な人間像が丁寧に描かれ、且つプレイヤーとして生死に関わる体験を通じて彼女に登場人物としての親近感を抱き、感情移入するようになってしまった。確かにそもそもは製作者たちのテーマを体現するために作られたキャラクターであったのだと思う。アビゲイルにしろ、オーウェンにしろ、ジェシーにしろ、だ。

だが、その過程で彼らの感情を丁寧に描写することで彼らそれぞれの喜怒哀楽や悩みを目の当たりにするにつれ、テーマを伝播するための”機能”としてのキャラクターではなく、実際に存在する”登場人物"として存在し始めるになった。少なくとも私の中では。

アビゲイルは十分に複雑で、一筋縄ではいかなくて、魅力的なキャラクターだ。完全に余談だが、アビゲイルとオーウェンのセックスシーンが存在するが日本版ではカットされている。北米版だと二人のリアルなセックスシーンがカットされていない。これはカットは止むを得ないが、アビゲイルのキャラクターを掘り下げるには必要な描写だと思う。

■進化したグラフィックとゲームメカニズム
本作のグラフィックは、AAAタイトルに相応しい隙のない美麗なグラフィックに進化している。

スーパーフォトリアリスティックなビジュアルでありながら、輪郭にコミック雰囲気を宿していて、グラフィックにしても本作がゲームであることの意味を表現しているように思う。

またゲームメカニズムもスーパーフォトリアルなグラフィックに相応しいリアリスティック、且つゲームとして更に面白いシステムに進化している。

加えて、キャラクターの描写がリアルになり、残虐度が増している。人間をステルスキルする場合、ナイフで喉を掻っ切った場合、血が喉に詰まって苦しそうに絶命する。感染者の髪の毛は抜け落ちている。

ブローターの様なより異質な感染者は更にグロテクスな姿形をしている。それがゲームの没入を更に高めている。

本作で新たに導入された犬はステルスを更に難しくするアクセントになっている。アクションは更にスムーズになり、挙動もリアル。それぞれのモーションがゲーム的な嘘はありつつも、一々細かく描写される。特に武器の強化シーンは、そこまでするのか?と思うほど解体・組み立てを描写している。

本作では遂にホフク前進がアクションとして追加されたことで、ステルスが更に深度が増した。印象としては、『メタルギアソリッド3 SNAKE EATER』を髣髴とさせる。ホフクが加わったことで、草むらに隠れることが可能になり、更に浅い水辺では潜ることが可能になり、ステルスの幅が増している。それだけゲームの幅が広がり、ユーザーの自由度が増している。

個人的に一番の衝撃は殆どのガラスが割れるようになったことと縄状のものを投げるアクションが加わったことで探索の自由度が上がった(と感じさせる)ことが感動的だった。これまでの色んなゲームではガラスは存在しても割ることは出来なかった。

だが、本作ではガラスを割ることでルートを開くことが出来る。さらにはガラスを割った上で、そのガラスが設置されていた骨組みに縄状のものをかけることで縄状のものを上ることが出来る。アクション映画などでは良くある(と思われる)シーンをゲームのムービーではなく、ユーザーが介在できるゲームプレイの中で再現出来るのだ。

また、QTEは前作よりも、もっと言うと『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』以上にゲームプレイ上で自然に導入され、且つゲームプレイとして面白く、驚くべき演出が施されている。感染者の恐怖と相まって、大声を上げながらプレイし続けて、面白かったが心底疲れた。でも、本作は物語に注目が集まりがちだが、ゲームプレイ自体が操作していて楽しい。それが本作が一番優れた点であると私は思う。

■映画的演出
エリーはアビゲイルの元恋人オーウェンと彼の今の彼女であり、彼の子供を身篭っていたメルを殺害。アビゲイルもエリーの幼馴染であるジェシーを殺害、ジョエルの弟トミーの目をつぶした。エリーを倒したアビゲイルは、葛藤の末エリーとディーナを開放する。そこで物語は一旦の終局に至る。農場でディーナとその子供、J.Jと共に暮らすエリーだったが、ジョエルの死に様がフラッシュバックするエリーは、復讐に取り付かれたトミーの誘いに乗る形でディーナの制止を振り切り再び復讐へ向かうエリー。

終局、エリーはアビゲイルへの復讐を果たそうとするもののジョエルの穏やかな表情を思い出し、復讐の最後を思いとどまる。その戦いの過程で、エリーはアビゲイルに左手の薬指と小指を噛み千切られていた。農場に戻ったものの、ディーナもJ.Jもそこには待っていなかった。

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左手の薬指はナディーン、小指はJ.Jの暗喩であり、それらを復讐に赴いたことで永遠に失ってしまったことを示しているのだと私は解釈する。ゲームとしては珍しい、とても映画的な演出だと感じた。この映画的な演出は本作に通底している。例えば、アビゲイルも父親が殺害されるシーンをフラッシュバックしてしまっており、繰り返される当時記憶ではジョエルがアビゲイルの父親を殺した手術室への道順が悪夢的に描かれるが、彼女が希望を見出した後そのフラッシュバックは光に向かって進む希望の象徴として描かれる。本作は単なるゲームであることを拒否している。感情を描くことに腐心している。私はその企みは大成功したと感じている。

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また、雪のとき以外はお気に入りのオールスターのハイカットを履いていたエリーだが、農場に帰ってきた際には、ブーツを履いていた。これは完全に私の憶測だけれども、スニーカーではなくブーツを常用することになった=エリーの成長を現しているのではないか。

■鬼子としてのアビゲイルと『メタルギアソリッド2 SONS OF LIBERTY』の雷電
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PS2用ソフトとしてリリースされた『メタルギアソリッド2 SONS OF LIBERTY』発売直前まで、主人公は前作同様スネークとされていたが、実際のところ本当の主人公は雷電という新しいキャラクターだった。当時、雷電の存在は『The Last of Us PART Ⅱ』のアビゲイルと同じような反応だったと記憶している。プレイヤーは従来の主人公である、スネークを操ることを期待していたのに、全く見ず知らずのキャラクターだったため、近年再評価されるまで評価は芳しくなかった。

『メタルギアソリッド2 SONS OF LIBERTY』や雷電がそうであったように、『The Last of Us PART Ⅱ』もアビゲイルも後年評価を改められるだろうと思っている。完全に余談だが本作のラストバウトは『メタルギアソリッド4 GUNS OF PATRIOT』のそれを髣髴とさせる肉弾戦だ。そしてもっと蛇足だが、エリーがWLFの拠点に潜水して潜入するシークエンスは『メタルギアソリッド』の冒頭のシーンを彷彿とさせる。そして更に更に余談ではあるが、本作のテーマである”復讐"は『メタルギアソリッドⅤ Phantom Pain』のテーマと重なる。色々なところで『メタルギアソリッド』シリーズの影を感じるのは気のせいだろうか。

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今、『The Last of Us PART Ⅱ』も同じような状況に直面している。前述したアビゲイルやアビゲイルにまつわるシナリオがその理由であろう。また、エリーがレズビアンであることやエリーのレズビアンの恋人ディーナがユダヤ系であること、ディーナがアジア人との子供を生んだこともその中傷に近しい否定的なレビューと関係無くは無いのではないだろうか。更にアビゲイルの男性的な容姿に対するルッキズムな批判も目にした。アビゲイルがエリーの系統であれば、また反応は違ったのかもしれない。また、一部登場人物が性同一性障害を持つように描かれていることも更なる反撥を産んでいるのかもしれない。

Amazonの商品ページを見れば、その状況が端的に理解できるものになっている。そこでは本作に対する強烈な憎悪の言葉が開陳されている。期せずして、本作のテーマである”愛はどこまで人を駆り立てるのか”をユーザーが最悪の形で披露してしまっている。これは日本に限らずアメリカでも同様のようではある。ある種、多様性と呼べるような点も含めて(加えて言うと、グラフィックの進歩のためか本作では"感染者"も人間もアジア系の比率が増している)、私は本作が傑作を超えて、大傑作であることを信じて止まない。今すぐには無理でも後々評価が好転することを願って止まない。『メタルギアソリッド2 SONS OF LIBERTY』がそうであった様に。


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