NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

NHK狂育

2010-04-07 | 休み
NHK教育のこの春の新番組ラインナップ凶悪過ぎて、素晴らしすぎる。


Eテレ


「0655」(NHK教育)
朝のたった5分なのに濃密な5分。アホかと思うほどのハイセンスとお金のかけ方。子供向けかもしれないが、大人でも見ます。ハイ。影の薄い芸人さんが歌う「おはようソング」は狙いすぎのきらいもあるけど、続けて「シャキーン!」も見ればニュースなんて見ることない。目が覚める。

「ハーバード白熱教室 」(NHK教育)
ハーバードの政治哲学の授業。この大教室の中で議論を作り上げるサンデル教授も凄いが、2階席まである大教室が満杯の状況で臆することなく挙手をし議論を成立させている学生は凄いな。しかもちゃんと議論になってる。編集しているのかもしれないけれど。ソクラテスとかのギリシャ哲学みたいな問答が面白い。しかも全編吹き替え。中学生とかでも観られる。

「schola 坂本龍一 音楽の学校」(NHK教育)
バッハから音楽の流れを解説。でも調性のくだりはよくわからん。浅田彰が出演していたり無駄に豪華。

「デジスタ・ティーンズ」(NHK教育)
高校生くらいまでのティーンのクリエーターが作った作品を特認教授(今回はティム・バートン)に褒めてもらう番組。クリエーターの作品は面白いけれど、ティム・バートンに変な、不毛な質問したり、無理から褒めさせようとするのは何だかなぁと思う。後半の現役クリエーターが高校生に教授するコーナーはプロとアマチュアの技術以前の違いが垣間見れて面白かった。

「ベーシック10 シーズン2」(NHK教育)
基本は教育テレビの教育番組風で、オードリーが司会だけれど。中学の復習VTRがこれもまたアホかと思うくらいに豪奢。くだらなくて面白くてためになる?のかも知れない。別にためになる必要は無いけれど。復習になるような、ならないような。そしてウェブでも無料で公開というのも。

「1155」(NHK教育)
夜のたった5分なのに濃密な5分。アホかと思うほどのハイセンスとお金のかけ方。「おやすみソング」がそのアニメーションもあわせてまさに”おやすみ”的で心地よいです。一日の終わりに、のはずなのに何故かNHK教育ではエコのためとして休止していた深夜の放送を4月から再開。寝られません。



正直だましだまし消しながら使っていたハードディスクが満杯です。BD大量購入です。こんなラインナップをやられて「地上波はつまらない」だとか言う人はもったいなさ過ぎる。教育は平日の通常ラインナップも過激で面白すぎる。

月に囚われた男

2010-04-05 | 休み
『月に囚われた男』(日本版映画公式)



噂には聞いていたけれど、宇宙での密室モノ、今風ではあるけれどそれにしても”未来的”デザイン、そして何よりもディストピア的な物語背景で時代への批評性まである。ゾクゾクする。そして何より画が美しい…デヴィッド・ボーイの息子とかもはや関係無い、本当に魅力的な映画に見える。ただ東京での上映は恵比寿のみ。恵比寿ガーデンシネマズまでは遠いなぁ。

俺たちに明日はない

2010-04-03 | 休み
名前は聞いたことあるけれど、観たことがない映画を観るブーム。原題は『BONNIE & CLYDE』なのに邦題が『俺たちに明日はない』って凄い良いセンスだ。昔の邦題はセンスに溢れてる。


俺たちに明日はない


クライド役のウォーレン・ベイティはともかくボニー役のフェイ・ダナウェイの肢体が綺麗で格好良すぎる。やっぱ背が高い女の子は得だわ。


田舎町のトラックドライバーがたむろするレストランのウエイトレスがチンピラに魅せられる。で付いていく。『愛と青春の旅立ち』のヒロインたちもそうだったけれど、アメリカの作品には閉鎖的な田舎町で適当な男との付き合いやその延長での結婚しかない田舎の女の子の現実が絶望として描かれる。日本の映画とかだと田舎はノスタルジーでしかない。『おんなのこ物語』とかは田舎の絶望を描いてるっぽい。

大した仕事もないから大したお金も得られない。大したチャンスも得られない。あるのは適当な男との出会いだけ。そこで高校を卒業したら、工場に勤めるか、良くてパチンコホールくらいしか選択肢しかなく、適当なところで出来ちゃって結婚する。ユニクロやしまむらで買い物をして、レジャーはジャスコやイトーヨーカドーなどの大手のスーパー。若しくはパチンコとラブホテル。ムーブをローンで買って乗り回す。そんな感じ。


ボニーもご他聞に漏れず、そういう現実からの逃避を求めてそこから連れ出してくれるクライドに付いていく。非日常を実現してくれるクライドにしたがって次々と銀行強盗までやってしまう。銀行から奪った金での逃避行は確かに非日常であり、退屈とはかけ離れたものだった。けれどもやってることはただの犯罪。強盗の中で何人もの銀行員や警官を射殺してる。正当性は無いので終局的には悲劇しかありえない。

銀行強盗を盛んにやっている前半では、ボニーは初めてクライドに出会ってから一目惚れでぞっこんで、クライドもまんざらでもないのにクライドがEDでセックスが出来ない。この時点では銀行強盗ゆえ永久に逃げ続けなくてはと怯えていた。けれども警察に銃撃され負傷した後半、銀行強盗も出来ずに隠遁していたときに初めて二人がセックスできる。この隠遁期のシークエンスではしきりに逃亡後の平和な暮らしが語られる。


ロクでもない犯罪者の映画であるので終局的に悲劇でしか終わらないのは当然なのだけれど、一瞬無軌道で自分勝手に見える彼らの行動も根本では二人の状況や生い立ちに起因しているようにも描かれる。また彼らのいた時代は恐慌時。映画の中でも彼らの単なる犯罪を英雄視して描く部分もある。銀行からは巻き上げるが、庶民からは奪わない。ピカレスクロマン的であり、義賊的な側面からも破壊とカタルシスが得られる。そして退廃も。

ラストシーンのあっけなさが犯罪者の単純な末路でありつつも、悪漢どもの末路としてはこれ以上ないくらいな華のある幕引きになっている。警官による強烈な銃撃を受けて絶命していく二人の姿はとっても美しい。主人公が死んだにもかかわらず悲しさはなく、かといって処罰感情が満たされたというようなそういったものでもなく、これもまた青春映画的な爽快さをもって映画を見終わることができる。「THE END」がこれほどまでにピンと来るのも珍しい。

新世紀エヴァンゲリオン vol.12

2010-04-02 | 休み
出るのが4月過ぎだと思ってたら何故か3月31日だった。でも公式には4月3日発売。奥付も4月3日。1巻が出たのが95年…15年で12巻って…第1巻を買ったのは中1だったなぁ。結構探さないと置いてなかったコミックも今じゃどこの書店でも平積みって凄いな。


新世紀エヴァンゲリオン


貞元コミック版は当初からテレビアニメ版とは少し違う物語ということだったけれど、連載が即効でテレビアニメに抜かれてからはよりその傾向が強くなり始めてた。なので一般的に多い映像化に単純に追い抜かれた原作という位置づけからは逃れ始めていたけれど…あんまりにも長い連載と休載で辟易。95年に連載開始で、旧エヴァが終わったのが97年。そして今2010年。あと5年で作品世界と同じになっちゃう。(『ヱヴァンゲリヲン』は西暦設定を廃止)

今じゃエヴァと言えば『ヱヴァンゲリヲン:新劇場版』なわけで、”アニメ版と異なる展開”という売りすらも今やどちらかといえば貞元版ではなく、新劇場版の売りなわけで。当初は当時の絵コンテを再利用し映像的に再構築する(なので当初はrebuild of evangelionだった)だけだったはずが、途中から物語的にも再構築するものに。だからこそ『序』のDVD販売以降、『破』公開以降の盛り上がりだった。

エヴァにはテレビアニメ版・旧劇場版を総合した「旧エヴァ」、貞元義行コミック版「貞元エヴァ」、『序』・『破』・『Q』からなる新劇場版三部作の「旧エヴァ」の3つの種類が存在することに。個人的には貞元さんは止め画の人でマンガの人ではないなぁとは思う。一枚絵ではこれほども魅力的な絵を描き、色センスも良いのに、マンガになった途端にパースペクティブがおかしくなったり、画に動きがなくなってしまう。殴るシーンとか本当に下手だと思う。


ちょっと前にネットで貞元版の衝撃的な展開が張られていたのを忘れてた。連載追ってないので、コミックス版が初見。展開が微妙に違って、しかも微妙なくせに衝撃的。そしてゲンドウにしてもミサトにしてもネームが多いので、良く言えば分かりやすく、悪く言えばかなり説明的になってる。でも格好良い画だ。ラストあたりのミサト良すぎ。そしてまた旧劇とはディティールが微妙に違ってる。そして『スラムダンク』後半みたいにネームの無いコマが増える。



であっという間に読み終わる。面白いかと問われれば、そういう類ではないような。ようやく終わりそう。『Q』公開直前くらいに終わるんじゃないだろうか。というかコミック版もループ設定というか、パラレル設定とかだったら良いのに。『Q』公開前にPS3版出ないだろうか。

ファイトクラブ

2010-04-01 | 休み
名前は知ってるけれど、観たことの無い映画を観るブーム。これって11年も前の映画なのか。エドワード・ノートンはこんな感じの役ばっかりだったんだなぁ。というか何でこの映画を今まで観てこなかったんだろう。ちょっと前に話題になった海外のフリスクのCMはこれのパロディだったと分かった。


ファイトクラブ


面白くて、すっきりする。陰々滅々とした日々を消費財で欲求を満たすことでその他の欲求をすべて代替させてしまっているって少しでも思えたら、映画を観ている間少しだけ軽やかな気持ちになる。部屋にある消費財、所有物を捨てられるのかといえば、それ自体がアイデンティティになってしまっているので難しい。でも裏返せば、それらを捨て去ればそれにこびりつくものも捨てられる。

ファイトクラブの思想や行動を無政府主義っぽく加工はしてるけれど、どう見てもタイラーがやろうとしていることは共産主義革命。所有欲を否定し、ブランド品で固めた自分の部屋を爆破して、痛みや恐怖心もすべて捨て去り職業や地位すらも放棄しろと迫る。そんでもって治安をびん乱し、挙句の果てには資本主義的な大規模チェーンやクレジットカード会社等を爆破するという大ラス。

タイラーの消費社会に対する否定的な意見を聞くと、見田宗介の『現代社会の理論』を思い出した。

面白いのは無政府主義的な破壊を標榜し、暴力描写が盛りだくさんのはずなのにあんまり痛そうじゃない。脂肪吸引された脂肪とかが流れ出したり、血もドバドバ流れ、顔が変形するほど殴られる描写がたくさんあるのに目を背けるような痛みを感じさせるような描写じゃなくて、”ツル”っと入ってくるような滑らかというか、綺麗な暴力描写。いや汚くはあるんだけれど痛くは無い。その点ではお手軽で消費社会的。


物語的カタルシスも大きいけれど、構成のカタルシスがより大きい。前半の演出が後半回収されていき、綺麗に収束する。すんげー気持ち良い。この気持ち良さってどこと無く『アダプテーション』に似ている。あれも前半の演出が後半で物語とともに綺麗に救い上げられていって結末にしても主人公のモヤモヤが打開されてすっきりする。