二〇一七年二月二十二日作。
(1)すべての女児を米軍が廃村
(2)母はカルト娘はソープようやく並の国
(3)出かければ維持費が水だけ
(4)甘過ぎる演歌を止める
(5)早くカジノを貧困が鍛えた待機なでしこ
(6)あわてても一日
☞「『余(あんま)りだわ』と云う声が手帛の中で聞えた。それが代助の聴覚を電流の如くに冒した。代助は自分の告白が遅過ぎたと云う事を切に自覚した。打ち明けるならば三千代が平岡へ嫁ぐ前に打ち明けなければならない筈であった。彼は涙と涙の間をぽつぽつ綴る三千代のことの一語を聞くに堪えなかった。『僕は三、四年前に、貴方にそう打ち明けなければならなかったのです』と云って、憮然(ぶぜん)として口を閉じた。三千代は急に手帛から顔を離した。瞼(まぶた)の赤くなった眼を突然代助の上に睜(みは)って、『打ち明けて下さらなくっても可いから、何故』と云い掛けて、一寸躊躇(ちゅうちょ)したが、思い切って、『何故棄ててしまったんです』と云うや否や、又手帛(ハンケチ)を顔に当てて又泣いた。『僕が悪い。堪忍して下さい』代助は三千代の手頸(てくび)を執って、手帛を顔から離そうとした。三千代は逆おうともしなかった。手帛は膝(ひざ)の上に落ちた。三千代はその膝の上を見たまま、微(かす)なか声で、『残酷だわ』と云った。小さい口元の肉があが顫う様に動いた。『残酷と云われても仕方がありません。その代り僕はそれだけの罰を受けています』三千代は不思議な顔をして顔を上げたが、『どうして』と聞いた。『貴方が結婚して三年になるが、僕はまだ独身でいます』『だって、それは貴方の御勝手じゃありませんか』『勝手じゃありません。貰おうと思っても、貰えないのです。それから以後、宅(うち)のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断ってしまいました。今度もまた一人断りました。その結果僕と僕の父との間がどうなるか分りません。然しどうなっても構わない、断るんです。貴方が僕に復讐(ふくしゅう)している間は断らなければならないんです』」(夏目漱石「それから・P.236~237」新潮文庫)
「『復讐』と三千代は云った。この二字を恐るるものの如くに眼を働かした。『私(わたくし)はこれでも、嫁に行ってから、今日まで一日も早く、貴方が御結婚なされば可(よ)いと思わないで暮らした事はありません』と稍(やや)改たまった物の言い振であった。然し代助はそれに耳を貸さなかった。『いや僕は貴方に何処までも復讐して貰いたいのです。それが本望なのです。今日こうやって、貴方を呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讐されている一部分としか思やしません。僕はこれで社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はそう生れて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔(ざんげ)する事が出来れば、それで沢山なんです。これ程嬉しい事はないと思っているんです』三千代は涙の中で始て笑った。けれども一言も口へは出さなかった。代助は猶(なお)己れを語る隙(ひま)を得た。──『僕は今更こんな事を貴方に云うのは、残酷だと承知しています。それが貴方に残酷に聞えれば聞える程僕は貴方に対して成功したも同様になるんだから仕方がない。その上僕はこんな残酷な事を打ち明けなければ、もう生きている事が出来なくなった。つまり我儘(わがまま)です。だから詫(あやま)るんです』『残酷では御座いません。だから詫まるのはもう廃(よ)して頂戴』」(夏目漱石「それから・P.237~238」新潮文庫)
「三千代の調子は、この時急に判然(はっきり)した。沈んではいたが、前に比べると非常に落ち着いた。然ししばらくしてから、又『ただ、もう少し早く云って下さると』云い掛けて涙ぐんだ。代助はその時こう聞いた。──『じゃ僕が生涯黙っていた方が、貴方には幸福だったんですか』『そうじゃないのよ』と三千代は力を籠(こ)めて打ち消した。『私だって、貴方がそう云って下さらなければ、生きていられなくなったかも知れませんわ』今度は代助の方が微笑した。『それじゃ構わないでしょう』『構わないより難有(ありがた)いわ。ただ──』『ただ平岡には済まないと云うんでしょう』三千代は不安らしく首肯(うなず)いた。代助はこう聞いた。──『三千代さん、正直に云って御覧。貴方は平岡を愛しているんですか』三千代は答えなかった。見るうちに、顔の色が蒼(あお)くなった。眼も口も固くなった。凡てが苦痛の表情であった。代助は又聞いた。『では、平岡は貴方を愛しているんですか』三千代はやはり俯(う)つ向いていた。代助は思い切った判断を、自分の質問の上に与えようとして、既にその言葉が口まで出掛った時、三千代は不意に顔を上げた。その顔には今見た不安も苦痛も殆ど消えていた。涙さえ大抵は乾いた。頬の色は固(もと)より蒼かったが、唇は確(しか)として、動く気色はなかった。その間から、低く重い言葉が、繋(つな)がらない様に、一字ずつ出た。『仕様がない。覚悟を極めましょう』代助は背中から水を被(かぶ)った様に顫えた。社会から逐い放たるべき二人の魂は、ただ二人対(むか)い合って、互いを穴の明くほど眺めていた。そうして、凡てに逆(さから)って、互を一所に持ち来たした力を互と怖(おそ)れ戦(おのの)いた」(夏目漱石「それから・P.238~239」新潮文庫)
「しばらくすると、三千代は急に物に襲われた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣く様(さま)を見るに忍びなかった。肱(ひじ)を突いて額を五指の裏に隠した。二人はこの態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、凝(じっ)としていた。二人はこう凝としている中(うち)に、五十年を眼(ま)のあたりに縮めた程の精神の緊張を感じた。そうしてその緊張と共に、二人が相並んで存在しておると云う自覚を失わなかった。彼等は愛の刑と愛の賚(たまもの)とを同時に享(う)けて、同時に双方を切実に味わった」(夏目漱石「それから・P.239~240」新潮文庫)
「彼は永らく手に持っていた賽(さい)を思い切って投げた人の決心を以(もつ)て起きた。彼は自分と三千代の運命に対して、昨日から一種の責任を帯びねば済まぬ身になったと自覚した。しかもそれは自ら進んで求めた責任に違いなかった。従って、それを自分の脊(せ)に負うて、苦しいとは思えなかった。その重みに押されるがため、却(かえ)って自然と足が前に出る様な気がした。彼は自ら切り開いたこの運命の断片を頭に乗せて、父と決戦すべき準備を整えた。父の後には兄がいた、嫂(あによめ)がいた。これ等と戦った後には平岡がいた。これ等を切り抜けても大きな社会があった。個人の自由と情実を毫(ごう)も斟酌(しんしゃく)してくれない器械のような社会があった。代助にはこの社会が今全然暗黒に見えた」(夏目漱石「それから・P.247」新潮文庫)
「最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏(まと)めなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた」(夏目漱石「それから・P.245」新潮文庫)
「彼は第一の手段として、何か職業を求めなければならないと思った。けれども彼の頭の中には職業と云う文字があるだけで、職業その物は体を具(そな)えて現われて来なかった。彼は今日まで如何なる職業にも興味を有(も)っていなかった結果として、如何なる職業を想い浮かべてみても、ただその上を上滑りに滑って行くだけで、中に踏み込んで内部から考える事は到底出来なかった。彼には世間が平たい複雑な色分(いろわけ)の如くに見えた。そうして彼自身は何等の色を帯びていないとしか考えられなかった。凡ての職業を見渡した後、彼の眼は漂泊者の上に来て、そこで留まった」(夏目漱石「それから・P.254~255」新潮文庫)
「漂泊者」。ただ単なる失業者のことを指していると考える読者は今さらいないに違いない。「ユダヤ人」あるいは「国境を越えていく者」。貨幣/知性/欲望。差し当たりアウシュヴィッツの被害者が代表的存在とされてはいるものの、しかし実際にガス室送りにされ、とっとと虐殺されていったユダヤ人は特に「中小の商店主とその家族」・さらに多くは「低所得者層に限って」、であった。当時の欧米の資本主義的生産様式を動かしていたのは、特権的地位を独占しているユダヤ系大資本であり、それ抜きに世界は回転することができなかった。ゆえにナチス・ドイツ支持者はユダヤ人全滅をスローガンに掲げながら、その実、絶滅収容所送りにされたのはすべてのユダヤ人ではない。ユダヤ人ではあっても大資本家とその周辺はむしろナチス・ドイツと提携関係してほんの僅かの資金提供さえすれば容易に賞讃されるといった戯け切った政治がドイツ全土に吹き荒れた。殺害対象はユダヤ人低所得者層に集中された。さらに人種の分類にはまったく関係なく、ありとあらゆる共産主義者とその支持者も同様にいきなり逮捕され絶滅収容所へ送り込まれ監禁・拷問され、なかなか口を割らない猛者は当然虐殺され、口を割れば殺されなくても済まされるのではと考えた者もあっけなく虐殺された。
しかしなぜそのような社会が日常化したか。鉄の意志を持つ哲学者にして音楽家であるアドルノの言葉は今なお重い。
「ボルシェヴィズムに金を出す強欲なユダヤ人銀行家の陰謀という妄想は、彼らの生れつきの無力さの徴しであり、優雅な暮しは幸福の徴しである。これにさらにインテリのイメージがつけ加わる。インテリは他の人々には恵まれていない高尚なことを考えているように見え、しかし汗水流して苦労し体を使って働くことはない。銀行家とインテリ、貨幣と知性、この二つは流通の指数であり、支配によって傷つき、歪められた者たちの否定された願望像である。そして支配者はこの願望像を、支配の永遠化のために利用しているのだ」(ホルクハイマー&アドルノ「啓蒙の弁証法・P.360」岩波文庫)
貨幣/知性/美女(可視化された「欲望」あるいは「欲望としての性」)。この三位一体。順調な流れを邪魔されるとたちまち大量殺戮を引き起こす三つの要素。忘れてはいけない。
「現代社会、そこでは宗教的な原始感情やその再生品が、諸革命の遺産と同様に、市場に売りに出される。そこではファシストの指導者たちが密室の奥で国土や国民の生命を取引する。他方抜け目のない聴衆はラジオにかじりついて相場の研究に余念がない。こういう社会、そこではさらに、この社会の仮面をあばく言葉は、まさしくそれ故に、政治的結社への加入を勧める勧誘の辞として正当化される。こういう社会では、たんに政治も商売だというだけでなく、商売が政治全体を蔽う」(ホルクハイマー&アドルノ「啓蒙の弁証法・P.360」岩波文庫)
「社会の仮面をあばく言葉は、まさしくそれ故に、政治的結社への加入を勧める勧誘の辞として正当化される」、とある。欺瞞的な報道を垂れ流してあます所のない今の日本の報道機関にとっては耳の痛いフレーズであるに違いない。新興宗教教団にしても政治政党にしても、他の政治-宗教団体の欺瞞的「仮面をあばく言葉」を暴露して扇動し、自分たちの教団あるいは政治結社へ一般市民を勧誘したとしても、その教団や政治結社自体がさらに上を行く欺瞞的なカルト的宗教や政治団体であるという事例は今もって後を絶っていない。ヘーゲル弁証法の超絶的遣い手としてマルクスやレーニンと並んで前人未到の域に達したアドルノの実力を見せつけて余りある指摘であると言えよう。
「差し当たり」という時期はもう過ぎ去った。過ぎ去らせるためにわざわざ一役も二役も買って出たのはマスコミ(特にテレビ)である。大手マスコミ(特にテレビ)は大失敗した日本政府の経済政策(アベノミクス)と自社のスポンサーの大失態を同時にごまかすための「機動隊」の役割にまで堕落した哀れな姿を全国に晒している。そもそもマスコミという時代遅れの形態自体が余りにも粗雑で甘過ぎる。グローバル資本主義がもし日本語を語ることができるとすれば、こう言うだろう。冗談ではなく「ゼロから出直せ」。さらにアドルノによる次の言葉も理解できていないことが日に日に判明してきた。この程度のことは世界中の超名門大学で学問している学生であれば、未成年であっても、特に専門家でなくとも、ほんの一般教養として身に付けているというのに。日本のマスコミはそれを報道しない。隠蔽している。
「この戦争が終れば生活はまた元の『正常さ』に戻るとか、まして──文化の復興などというのはそれだけですでに文化の否定であるのに──戦後にまた文化が復興されるであろうと考えるのは、たわけもいいところである。何百万というユダヤ人が殺害されたのであり、しかもこれは幕間劇のようなもので、カタストローフそのものは別にあるときている。この文化はこのうえ一体何を待ち設けるというのであろう?かりに無数の人びとにまだ待ち時間が残されているにしても、ヨーロッパで起ったことになんの結果も伴わないなどということは考えられないのであって、犠牲者の莫大量は必ず社会全体の新しい質としての野蛮に転化せずにはすまないであろう。この調子で間断なく事態が進展する限り、カタストローフの恒久化は避けられまい。殺害された人びとのための復讐という一事を考えてみるだけでよい。それと同数の人間が今度は別の人間の手で殺されるということになれば、殺戮が制度化し、辺鄙な山岳地方などを除いて遠い昔になくなったはずの資本主義以前の血の復讐の方式が大々的に復活し、主体を失った主体ともいうべき各国民が総力を挙げてこれに加わることになるだろう」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.69~70」法政大学出版局)
「逆に死者のための報復が行われず、犯罪者たちに恩赦が施されることになれば、罰を免れたファシズムは何やかや言っても結局勝利を収めたことになり、いかに容易に事が行われるかという先例をファシズムが作ったあとでは同じ事が別の場所で引き続き行われることになるであろう。歴史の論理はその張本人たる人間と同じように破壊的である。その重力の赴くところ、歴史は過去の不幸と同等のものを再生産するのだ。死が常態となるのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.70」法政大学出版局)
「歴史は過去の不幸と同等のものを再生産する」。たった今引用した。ナチス・ドイツ並びにソ連によって絶滅収容所も収容所群島も「日常化」した歴史があるけれども、昨今の「死の日常化」には特定の収容所のような特別な施設は必要ない。フーコーのいうようにどこもかしこも「監獄」と化したからだ。「見た目」は異なることも大いにあり得るという意味も当然含んでいる。事実、どこへ行っても防犯に名を借りた監視カメラや盗撮カメラが仕掛けられている。しかし日本のマスコミには日本語を理解する読解力すらない。