白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年二月二十七日(2)

2017年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

「三四郎はだまって、美穪子の方へ近寄った。もう少しで美穪子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴爪(けつま)ずいた。大きな音がする。漸くの事で戸を一枚明けると、強い日がまともに射し込んだ。眩(まぶ)しい位である。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。裏の窓も開ける。窓には竹の格子が付いている。家主の庭が見える。鶏(にわとり)を飼っている。美穪子は例の如く掃き出した。三四郎は四つ這(ばい)になって、後(あと)から拭き出した。美穪子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、『まあ』と云った。やがて、箒を畳の上に抛(な)げ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面(そと)を眺めている。そのうち三四郎も拭き終った。濡れ雑巾をバケツの中へぽちゃんと擲(たた)き込んで、美穪子の傍(そば)へ来て並んだ」(夏目漱石「三四郎・P.89」新潮文庫)

三四郎は「だまって、美穪子の方へ近寄った」。二人だけの部屋で、二人だけで「掃除」に取り懸かっているわけだから、当然、このようなシチュエーションになることは十分考えられる。だがこう続く。「もう少しで美穪子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴爪(けつま)ずいた」。時間つぶしのための喜劇の台本でも見せられているかのようだ。台本にしては込み入っているが。

「庭」には「鶏(にわとり)」がいる、のが二人の部屋からは見える。と同時に三四郎は「四つ這(ばい)になって」掃除している。美穪子は箒で「掃」く。その「後(あと)から拭き出」して廻るのである。三四郎は美穪子が一度綺麗にした場所を、さらにもう一度、今度は「濡れ雑巾」でみっちり拭い上げる。読解によりけりなのだが、「鶏姦」の象徴ではないかと述べる研究もある。しかしそれは余りにも単純過ぎる。エロティックな印象は確かにあるものの、ここで重要なのは、またしても三四郎は、美穪子の側からわざわざ目の前にぶらさげられた「きっかけ」をみすみす拭い去って「バケツの中へぽちゃんと擲(たた)き込」む、要するにマスターベーションで済ませてしまうことだ。この癖は作品の最後まで抜けない。しかし三四郎は、自分に宛ててストレートに与えられた「きっかけ」を、なぜわざわざ「猶予」させてしまうのか。それこそが小説=「三四郎」を通して常に問われている問いである。

この「猶予」。それは同時に決定的瞬間が延々と繰り延べされていく執行されない時間を意味している。美穪子は三四郎に向けて「猶予」を与える存在である。その手段は幾つか出てくる。だが猶予を与えるために最低限必要なものは「貨幣」「言葉」「時間」である。小説の中ではこの三つが余りにも要領よく揃って出てくる。しかし主人公としての三四郎は与えられた「猶予」を持て余すばかりで、逆に美穪子の我慢強さが際だつ。我慢。怖いほどだ。しかし美穪子はどこに位置するのか。決められた結婚相手と結婚すればもう二度と三四郎と会うことはできない。もっとも、会話をする機会がまったくなくなるというわけではなく、会うこともなくなるというわけでは勿論ない。そうではなくて、小説の中で進行するような会話の次元は、もう二度とやってこない。失われるという意味だ。しばらくすれば失われてしまう。そのような次元に美穪子は位置する。境界線上に居る。この線を越えればもう二度と同一の次元において、平行線上で両者が会話を交わすことはできなくなる。そのような位置から、「猶予」を、与えている。この種の「猶予」は、与える側にしても実は心苦しい。なぜなら、不可避的に「利子」を生んでいってしまうからだ。三四郎は美穪子から与えられる「猶予」に対して、一体どのような「利子」を実体化して返済しようとするのか。決してロマンティックなテーマではない。

引き続き、与えられている「猶予」。だが。

「『何を見ているんです』『中(あ)てて御覧なさい』『鶏(とり)ですか』『いいえ』『あの大きな木ですか』『いいえ』『じゃ何を見ているんです。僕には分らない』『私先刻(さっき)からあの白い雲を見ておりますの』なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空は限りなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光った様な濃い雲がしきりに飛んで行(ゆ)く。風の力が烈しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地が透いて見える程に薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊(かた)まって、白く柔かな針を集めた様に、ささくれ立つ。美穪子はその塊を指さして云った。『駝鳥(だちょう)の襟巻(ボーア)に似ているでしょう』三四郎はボーアと云う言葉を知らなかった。それで知らないと云った。美穪子は又、『まあ』と云ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、『うん、あれなら知っとる』と云った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉(こ)で、下から見てあの位に動く以上は、颶風(ぐふう)以上の速度でなくてはならないと、この間野々宮さんから聞いた通りを教えた。美穪子は、『あらそう』と云いながら三四郎を見たが、『雪じゃつまらないわね』と否定を許さぬ様な調子であった。『何故です』『何故でも、雲は雲でなくっちゃ不可(いけ)ないわ。こうして遠くから眺めている甲斐(かい)がないじゃありませんか』『そうですか』『そうですかって、あなたは雪でも構わなくって』『あなたは高い所を見るのが好きの様ですな』『ええ』美穪子は竹の格子の中から、まだ空を眺めている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る」(夏目漱石「三四郎・P.89~91」新潮文庫)

小説「行人」の中では「強風」が荒れ狂うことになる。何がそれほどまでに荒れ狂っているのか。というより、荒れ狂わせているものは何か。言葉である。原稿用紙に書き付けられただけで印刷を待っている段階の小説ではなく、印刷され、広く世の中に出廻ることで、「一般大衆」の手から手へどんどん渡り歩き、容赦なく「一般化」され「公共化」された途端、私的なものではなくなり、私物から「公的文書」へ一挙に変換される言葉である。漱石はいつでも原稿を書き換えることができた。わざと荒れ狂う暴風雨に翻弄される男女を描いた。しかし女は何とも動揺しない。むしろ非日常的な暴風雨とそれがもたらす動揺並びに動揺する男を見て楽しそうでさえある。逆に男の側の動揺の激しさに読者の目を向けさせ、何ごとかを問いかけてくる。或る程度においてだが、なるほど察しが付く読者も当時はいた。激しく動揺させずにはおかない暴風雨は明治日本を揺さぶり続け、その強大なエネルギーを存分に吸い上げ巨大化を重ねた結果として、行方の見えない戦争へ収斂して行くのである。そしてこの戦争は、何も予兆のみが感じられたわけではない。満州事変を経て第二次世界大戦が準備されて行く過程は、当時の日本国民の意志によって、まったく意識的に遂行されていくこととなった。ただ、小説の中では暗示的に描かれていると言えば言えるかも知れないが、漱石は戦争文学を書こうとしたわけではない。三四郎の言動はすべてマスターベーションに終わる。その意味でむしろ漱石は叙述でき得る限りのことは叙述している。考えないといけないのは、漱石のいない今の日本で、何をどのように考えるのか。有効に考えることは可能か。可能だとすれば一体どのようにしてか、ということでなければほとんど意味を持たないだろう。いつまでも垢抜けないのは女ではなく男なのだ。

「ところへ遠くから荷車の音が聞える。今静かな横町を曲って、此方(こっち)へ近付いて来るのが地響でよく分る。三四郎は『来た』と云った。美穪子は『早いのね』と云ったまま凝としている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもある様に耳を澄している。車は落付いた秋の中を容赦なく近付いて来る。やがて門の前へ来て留った」(夏目漱石「三四郎・P.91」新潮文庫)

与次郎の到着。与次郎は車でやって来る。「地響」を立てながら、「落付いた秋の中を容赦なく近付いて来る」。この描かれ方から、与次郎は「世間の代表者」として描かれていると考える読解は多い。間違いではないだろう。しかし、与次郎は「世間の代表者」として二人の間に割って入ったり訪れたりするのではなく、与次郎は「世間として」登場するのである。実質的に見て、広田先生の悲痛な抗議は、与次郎個人に対する抗議ではなく、世間一般に対して狙いが定められている。この点は微妙だが、読みようによって随分違ってくるので注意したい。

さて、ドゥルーズ&ガタリのいう公理系について。忘れてしまわないうちに、さらに引いておこう。

「資本主義が世界的規模での主体化の企てとして出現するとしても、それは脱コード化された流れに対して公理系を形成することによってなのである。ところで主体化の相関物としての社会的服従は、公理系そのものにおいてよりも、はるかに公理系の実現モデルの中に現われている。主体化の手続きとそれに対応する服従が現われるのは、国民国家または国民的主体性という枠組みの中だからだ。国家をみずからの実現モデルとする公理系そのものの方は、技術的なものとなった新たな形態のもとで、機械状隷属システムを再建し、発明している」ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.216~217」河出文庫)

「もはや形式的な『統一性』という超越性のもとにではなく、公理系の内在性のもとに置かれているのだから、これは決して帝国機械への回帰ではない。しかし、これは人間がその構成部分となるような機械の再発明であり、人間はもはや機械に服従した労働者や使用者ではなくなっている。動力機械を技術機械の第二世代とするなら、サイバネティクスとコンピュータは、技術機械の第三世代となり、全面的な隷属の体制を再び作り出している。『人間-機械というシステム』は、人間と機械の関係を非可逆的かつ非循環的にしていたかつての服従に代わって、この関係を可逆的かつ循環的にしている。ここで人間と機械の関係は、もはや使用や活動という用語によってではなく、互いに内的なコミュニケーションから成立する」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.217」河出文庫)

「現代の権力の作用は、『抑圧あるいはイデオロギー』という古典的な二者択一にはとうてい還元されず、言語、知覚、欲望などを対象にし、ミクロのアレンジメントを通過する規格化、変調、モデル化、情報といった手続きを内包していることは最近強調されたばかりだ。それは服従化と隷属化を同時に含む集合であり、両者はたがいに強化しあい補給しあうのをやめない二つの共時的部分として極端に突き進められる。たとえば人々はテレビに服従している。言表の主体を言表行為の主体と取り違えるという特殊な状況の中でテレビを使用したり消費しているからである(『視聴者のみなさん、番組を作るのはあなたです──』)。技術機械はここで、言表の主体と言表行為の主体という二つの主体のあいだの媒介となっている。しかし人々は人間機械としてテレビに隷属するのである。テレビ視聴者がもはや使用者や消費者ではなく、機械に属する『入口』や『出口』、《フィードバック》または循環として、内在的な部品となるからである。機械状隷属においては変形と情報交換しかなく、これらの作用の一項が機械であり、他項が人間であるだけである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.218」河出文庫)

人間は情報を与えられると同時に情報によって加工される。さらに、情報は人間によって加工されると同時に人間を加工する。両方は交替で行われるのではなく、同時に、「交通しあう」ことによって生成される。

「そしてもちろん、隷属の方は国際的または世界的であり、服従は国民的な側面に属しているというわけではない。情報科学もまた、人間-機械システムとして組み立てられる国家の所有物であるからだ。しかしこれはまさに、二つの側面、つまり公理系の側面と実現モデルの側面とがたがいに行き来し、交通しあうからである。ただし社会的服従は実現モデルにおいて測られ、機械状隷属はモデルによって実現される公理系の中に広がっていることに変わりはない。同一のもの、同一の出来事を通じて、この二つの操作を同時にこうむるという特権をわれわれは持っているわけだ。服従と隷属は、二つの段階というより、共存する二つの極を形成しているのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・下・P.218~219」河出文庫)


自由律俳句──二〇一七年二月二十七日(1)

2017年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇一七年二月二十七日作。

(1)ゴッホが耳をふさいでいる夜勤

(2)首脳部ますます似てきた日朝

(3)注意深く誤配してみる

(4)薬切れのやくざ土下座させる眺める

(5)少し肥えたか食器を仕舞う

(6)押し黙ったきり二人の部屋

☞「道の表面は、アスファルトではなく、目の荒いコンクリートで固められ、スリップ防止の目的だろう、十センチほどの間隔で細いみぞが刻んである。しかし、歩行者のためには、さほど役に立ってくれそうにない。せっかくざらつかせたコンクリートの面も、ほこりや、タイヤの削り屑(くず)などで、すっかり目をつぶされてしまい、雨の日にゴム底の古靴だったりしたら、さぞかし歩きにくいことだろう。これは多分、自動車のためを考慮しての舗装なのだ。十センチごとの目地の刻みも、車のためになら、あんがい役に立つのかもしれない。融(と)けかかった、雪やみぞれが、道路の水はけを悪くしているようなとき、水分を側溝(そっこう)に誘導してやるのになら、なんとか効果も期待できそうである」(安部公房「燃えつきた地図・P.6」新潮文庫)

物心付いた頃にはまだ全国各地で建設中だった。巨大な団地。個人的にはこの作品が書かれた頃、生まれた。

「もっとも、そうした配慮のわりには、車の数はすくなかった。歩道がなかったせいもあるが、買物籠をさげた四、五人の女たちが、道幅いっぱいにひろがって、話題の奪いあいに余念がない。軽くホーンを叩いて、女たちの間を通りぬける。同時に思わず、急ブレーキを踏んでいた。ローラー・スケートを尻にしいた少年が、警笛のまねをしながら、とつぜんカーブの向うから現われ、すべり降りて来たのである」(安部公房「燃えつきた地図・P.6~7」新潮文庫)

次のセンテンスは見逃せない。主人公が明確に「他者化」される瞬間が描かれている。

「左手には、急勾配で切石を積み上げた、高い擁壁があった。右手は、形ばかりの低いガードレールと、小さな側溝をへだてて、ほとんど垂直にちかい崖(がけ)になっている。そのガードレールをかかえこむように、横倒しになった少年の、青ざめつつひきつった顔。ぼくの心臓も、負けずに喉元(のどもと)まで跳ね上り、おどっている。少年を叱りつけてやろうと、窓を開けかけたが、いっせいに注がれた女たちの非難がましい視線に、ついひるんでしまう。やりすごしたほうが無難らしい。下手に彼女たちを刺戟(しげき)して、少年のかすり傷の責任でも負わされるはめになったりしたら、ことである。こういう際の、集団偽証くらい恐(こわ)いものはない」(安部公房「燃えつきた地図・P.7」新潮文庫)

主人公はいつ「他者化」されたか。「女たちの非難がましい視線」が「いっせいに注がれ」るや否や、そうなる。自分は自分だけで自分自身が何ものであるかを証明することはできない。鏡となり得る他の何かに相対することで始めて自分は何ものなのかが決定される。自分が何ものかを決める権利は決して自分の側にあるのではない。逆に公共性の高い鏡の側にある。そしてこの公共性は高ければ高いほど決定権も強い。だが、鏡はしばしば誤りを犯すこともある。

マルクスは自分が何ものであるかを決定するのは自分ではなく、自分を映す鏡の側にあることをよく知っていた。ヘーゲル弁証法を階級闘争の論理に置き換えて読み直す頭脳の持主であってみれば、なるほど納得できることかも知れない。二〇代後半すでに盟友エンゲルスですら及びもつかない、余人には到底不可能な圧倒的高みに立っていた。

「こうして価値関係の媒介によって、商品Bの現物形態は商品Aの価値形態になる。言いかえれば、商品Bの身体は商品Aの価値鏡になる(見ようによっては人間も商品と同じことである。人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、はじめて人間としての自分自身に関係するのである。しかし、それとともに、またペテロにとっては、パウロの全体が、そのパウロ的な肉体のままで、人間という種属の現象形態として認められるのである)。商品Aが、価値体としての、人間労働の物質化としての商品Bに関係することによって、商品Aは使用価値Bを自分自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値の形態をもつのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・価値形態または交換価値・P.102」国民文庫)

さて、日本に戻ってみよう。といっても漱石が生きていた明治日本へ。差し当たり「三四郎」を手に取ってみる。その時代背景を理解するために重要なセンテンスとして先に次の部分を引いておく。

「『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、──あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない』と云って又にやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気がする」(夏目漱石「三四郎・P.20」新潮文庫)

「『然しこれからは日本も段々発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『亡(ほろ)びるね』と云った。──熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱(とりあつかい)にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡(うち)で成長した。だからことによると自分の年齢(とし)の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙ってしまった」(夏目漱石「三四郎・P.20~21」新潮文庫)

「すると男が、こう云った。『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より──』で一寸(ちょっと)切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。『日本より頭の中の方が広いでしょう』と云った。『囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本の為(ため)を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ』この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った」(夏目漱石「三四郎・P.21」新潮文庫)

「『囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本の為(ため)を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ』この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った」、とある。今の日本の大手マスコミにとっては大変耳の痛い言葉だろう。それでも大手マスコミ社員は「家族とその生活のため」という名目で、あっけなく給料を手に取る。「卑怯」という言葉もだんだん死語化していくように思える。だが同時に、犯罪が個別的レベルである場合、「卑怯」とか「卑劣」とかの言葉を容赦なく引っ張り出してきて犯罪者をめった打ちにし、これでもか、まだわからぬか、と社会的制裁を無慈悲に加える大手マスコミがあるうちは、「卑怯」とか「卑劣」とかの言葉は死語化するどころか、まだまだ活き活きと息を吹き返してくるに違いないと失笑しないわけにはいかない。

三四郎にとって、というより、漱石にとって「他者」とは何だったか。むしろ明治日本の東京に暮らしている漱石自身、こう思っていたような気がしないだろうか。日本社会から見れば「自分(漱石)のほうが」むしろ「他者」に映って見えていても何ら不思議ではないだろうと。少々学問があるという理由のために人々は本音を口に出さないだけのことで、心の中ではしっかり変人扱いされていることを漱石はよく承知していた。小説の主人公=三四郎は「他者」として東京へ出てくる。東京は三四郎を「他者」として迎え入れる。そして三四郎は、東京にとって三四郎自身はまったくの「他者」に過ぎないのだと気づくわけだが、それを最初に気づかせるのは、或る女である。漱石にとっての「他者」はほとんどいつも「女性」という形態で出現することが圧倒的に多い。

「それから、しばらくすると女が帰って来た。どうも遅くなりましてと云う。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。子供に見舞(みやげ)の玩具(おもちゃ)が鳴ったに違ない。女はやがて風呂敷包を元の通りに結んだと見える。蚊帳の向うで『御先へ』と云う声がした。三四郎はただ『はあ』と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜(よ)を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとても凌(しの)ぎ切れない。三四郎はついと立って、革鞄の中から、キャラコの襯衣(シャツ)と洋袴下(ズボンした)を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯(へこおび)を締めた。それから西洋手拭(タウエル)を二筋持ったまま蚊帳の中へ這入った。女は蒲団の向うの隅でまだ団扇を動かしている。『失礼ですが、私は疳性(かんしょう)で他人(ひと)の蒲団に寝るのが嫌だから──少し蚤除(のみよけ)の工夫を遣るから御免なさい』三四郎はこんな事を云って、あらかじめ、敷いてある敷布(シート)の余っている端(はじ)を女の寐ている方へ向けてぐるぐる捲き出した。そうして蒲団の真中に白い長い仕切を拵(こしら)えた。女は向うへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭(タウエル)を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に長細く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭(タウエル)の外には一寸(すん)も出なかった。女とは一言も口を利かなかった。女も壁を向いたまま凝(じっ)として動かなかった。夜(よ)はようよう明けた。顔を洗って膳に向った時、女はにこりと笑って、『昨夜(ゆうべ)は蚤は出ませんでしたか』と聞いた。三四郎は『ええ、難有う、御蔭さまで』と云う様な事を真面目に答えながら、下を向いて、御猪口(おちょく)の葡萄豆(ぶどうまめ)をしきりに突っつき出した」(夏目漱石「三四郎・P.11~12」新潮文庫)

「勘定をして宿を出て、停車場(ステーション)へ着いた時、女は始めて関西線で四日市の方へ行くのだと云う事を三四郎に話した。三四郎の汽車は間もなく来た。時間の都合で女は少し待合せる事となった。改札場の際まで送って来た女は、『色々御厄介になりまして、──では御機嫌よう』と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄と傘を片手に持ったまま、空いた手で例の古帽子を取って、只一言、『さようなら』と云った。女はその顔を凝と眺めていた、が、やがて落付いた調子で、『あなたは余っ程度胸のない方ですね』と云って、にやりと笑った。三四郎はプラット、フォームの上へ弾(はじ)き出された様な心持がした。車の中へ這入ったら両方の耳が一層熱(ほて)り出した。しばらくは凝っと小さくなっていた。やがて車掌の鳴らす口笛が長い列車の果(はて)から果まで響き渡った。列車は動き出す。三四郎はそっと窓から首を出した。女はとくの昔に何処かへ行ってしまった」(夏目漱石「三四郎・P.12~13」新潮文庫)

三四郎は一般的な女性から見て「うぶ」である、ということが述べられているわけではない。そういう理解は「女性」の「他者性」を読解できていない男(なかには女もちらほら紛れ込んでいる)の早とちりに過ぎない。大事なことは、漱石が小説の中へ女性を出現させる時、その時はほとんど常に「他者」の到来として出現させていることに注意しておこう。

東京への途中──場所の移動/価値観の異なる世界への移動──で遭遇した或る女の影が再び響いてくるシーン。

「その拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥(たしか)に女の黒眼の動く刹那(せつな)を意識した。その時色彩の感じは悉(ことごと)く消えて、何とも云えぬ或物に出逢った。その或物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と云われた時の感じと何処(どこ)か似通っている。三四郎は恐ろしくなった」(夏目漱石「三四郎・P.29」新潮文庫)

「二人の女は二人の後姿を凝と見詰めていた。看護婦は先へ行く。若い方が後から行く。華やかな色の中に、白い薄(すすき)を染抜いた帯が見える。頭にも真白な薔薇(ばら)を一つ挿している。その薔薇が椎の木陰(こかげ)の下に、黒い髪の中で際立って光っていた」(夏目漱石「三四郎・P.29」新潮文庫)

「三四郎は茫然(ぼんやり)していた。やがて、小さな声で『矛盾だ』と云った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの眼付が矛盾なのだか、あの女を見て、汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二途(ふたみち)に矛盾しているのか、又は非常に嬉しいものに対して恐(おそれ)を抱(いだ)く所が矛盾しているのか、──この田舎出の青年には、凡て解らなかった。ただ何だか矛盾であった」(夏目漱石「三四郎・P.29~30」新潮文庫)

池の周囲で揺れる陰翳に託して漱石が述べていることがある。次のシーンの中に池は出てこない。しかし陰翳は三四郎と美穪子の間で重要な役割を果たす。池の水面を差し挟んでのシーンでは両者の位置は水平だった。次は階段であり、要するに上下の関係に入っている。

「三四郎がバケツの水を取り換に台所へ行ったあとで、美穪子がハタキと箒を持って二階へ上(のぼ)った。『一寸(ちょっと)来て下さい』と上から三四郎を呼ぶ。『何ですか』とバケツを提げた三四郎が梯子段(はしごだん)の下から云う。女は暗い所に立っている。前垂だけが真白だ。三四郎はバケツを提げたまま二三段上った。女は凝(じっ)としている。三四郎は又二段上った。薄暗い所で美穪子と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。『何ですか』『何だか暗くって分らないの』『何故(なぜ)』『何故でも』」(夏目漱石「三四郎・P.88~89」新潮文庫)

これでわからなかったら三四郎はよほどの馬鹿だろう。しかし三四郎とともに三四郎そっくりの日本もまた三四郎と何ら違わないほど馬鹿であったのだ。しかも日本の場合、国家である以上、自分で自分自身の行く末についてまだまったく予想できていなかった。