アドルノは「個人とは何か」という点に極めて重要な照明を当てて述べる。他の「御用評論家」などののんきな態度は余りにも「甘過ぎる」としてあっけなく退けられている。「甘過ぎる」というのは常識的に考えて「危険」だからなのだが。言われてみれば当り前のこと。批判対象はナチス・ドイツと旧ソ連。その反省の上に立って、特に欧米では厳密に配慮する習慣が今なお存在する。一般市民もその程度のことは頭に入っている。その上であえて文学やスポーツやエンターテイメント活動に取りかかる。しかし今の日本ではこの程度の考えすら頭の中に入れておかなくても発言あるいは行動が許されてしまうという余りにも奇怪粗雑で危なっかし過ぎる自爆的状況。それが政治家であればなおさら許されてはばからないという戯け切った始末。アドルノの言葉は決して極論でも何でもない。とりわけヨーロッパではごく普通。常識的。ほんの少し手をのばせば背伸びしなくとも、実に若年の頃からじっくり身に付ける教育環境が整えられている。
「個人などというのはたとえて言えば毛筋一本残さず根絶やしにされる時代である、というのはまだ考えが甘い。完膚なきまでに否定され、連帯を通じてモナドの状態が解消されるのであれば、そこに自ずから個体の救いの道もひらけてくるわけで、もともと個体は普遍的なものと関係づけられることによって始めて個別者となるものなのである。ところで現状はそうしたことからよほど遠いところにある。かつて存在したものが根こそぎ消滅したというわけではないのだ。むしろ歴史的に命運の尽きた個人が、生命を失い、中性化され、無力化したていたらくで引きずられ、徐々に深間に引きずり込まれていくという形で禍いが生じているのである」(アドルノ「ミニマ・モラリア・P.201」法政大学出版局)
これほど平凡でわかりやすい議論もめったにない。にもかかわらずフランクフルト学派の創始者にして巨頭でもあるアドルノが、あたかも非現実的な極論を口にしてでもいるかのような思想家として取り扱われてしまう理由はどこにあるのか。煙たがられるのはなぜか。どんな種類のテーマであっても、そのテーマの根本的な部分に切り込んでくるからにほかならない。ところで、普段からそういう議論に慣れておかないとどういうことになるか。今後、世界の中で、世界に対して、日本国民は猛烈急速に転落し堕落し、気づけばどの国の政府からもまともに相手にされなくなっていくに違いない。そういう事態を避けるためには、多少の議論の場でもある程度は耐えられるように、可能な人材から徐々に、できる限り耐性を身に付けていくほかないだろう。そのことはたとえ、非力虚弱極まりない日本の大手マスコミであっても、というより、非力虚弱だからこそ、その克服のためを思えばいつでも十分同意できると思われる。
「社会主義運動が、現在、関心をもっているのは、──社会排外主義的《思潮》の歴史的起源、その諸条件、その意義と力の研究である。(1)社会排外主義はどこからきたか?(2)なにがそれに力をあたえたか?(3)これといかにたたかうべきか?こうした問題の提起だけが重大なことであって、問題を『個人的なこと』におきかえるのは、実践的には、詭弁家のたんなるごまかし、トリックを意味している。最初の問題にこたえるには、第一に、社会排外主義の思想的=政治的内容は社会主義内の従来のどれかの思潮と《つながり》がないかどうか?第二に、社会主義者を社会排外主義の敵と味方にわける今日の区分は、歴史的にこれに先行する従来の区分にたいして、実際的な政治的区分の観点からみて、どのような関係にあるか?この二つを究明しなければならない」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.78~79」国民文庫)
「社会排外主義とは、現在の帝国主義戦争における祖国擁護の思想をみとめ、この戦争では社会主義者が『自』国のブルジョアジーや政府と同盟することを正当だとし、『自国の』ブルジョアジーにたいするプロレタリア的=革命的行動を宣伝し支持することを拒絶することなどである。とわれわれは解している。社会排外主義の根本的な思想的=政治的内容が、日和見主義の基礎と一致することは、まったくあきらかである。それは《おなじ一つの》思潮である。日和見主義は、一九一四~一九一五年の戦争の状況のもとでは、まさに社会排外主義となる。日和見主義の主要な点は、階級協調の思想である。戦争は、この思想を最後までおしすすめ、通常の要因や刺激に戦争のもつ多くの臨時の要因や刺激をつけくわえ、特別な威嚇と暴力によって、団結していない普通の大衆を、ブルジョアジーと協調するよう強制する。この事情は、当然に、日和見主義の支持者の仲間をふやすものであり、多くの昨日の急進主義者がどうして日和見主義の陣営に投じるかを、十分に説明している」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.79」国民文庫)
「日和見主義は、大衆の根本的な利益を労働者のとるにたりない少数者の一時的な利益の犠牲に供することであり、いいかえるならば、プロレタリアートの大衆に反対する一部の労働者とブルジョアジーとの同盟である。戦争は、このような同盟を、とくに目につく、またどうしてもなくてはならないものにする。日和見主義は、資本主義発展の一時代、すなわち、特権的な労働者層の比較的平和で文化的な生存が、これらの労働者を『ブルジョア化』し、彼らに、自分の国の資本の利潤のおこぼれをあたえ、零落させられた極貧な大衆の困窮と苦痛と革命的気分から彼らをきりはなしたような時代の特殊性によって、数十年にわたってうみだされたものである。帝国主義戦争は、このような事態の直接の継続であり完成である。なぜなら、この戦争は、強大民族の《特権》のための、彼らのあいだでの植民地の再分割のための、他民族を彼らが支配するための、戦争だからである。小市民の『上層』または労働者階級の貴族(および〔労働者階級の〕官僚層)が自分の特権的地位を擁護し強化すること──これこそは、小ブルジョア的=日和見主義的希望と、戦時におけるそれにふさわしい戦術との当然の継続であり、これこそは、今日の社会帝国主義の経済的基盤である。──労働者を分断してこれを社会主義からひきはなすうえで『大国的な』、民族的な特権のもつ意義を、帝国主義とブルジョアがいかにたかく評価しているかをしめす二、三の例をあげよう。イギリスの帝国主義者ルーカスは、その著書『大ローマと大ブリテン』(オックスフォード、一九一二年刊)のなかで、現代のブリテン帝国における有色人種に完全な権利がないということを当然とみとめて(九十六~九十七ページ)、つぎのように指摘している。『わが帝国において、南アフリカにおいてのように白人労働者が有色人とならんではたらくときは、両者は同僚としてはたらくのではなく、白人労働者はむしろ、有色人の監督なのである』(九十八ページ)。社会民主主義反対全国同盟の前書記エルヴィン・ベルガーは、そのパンフレット『戦後の社会民主主義』(一九一五年刊)のなかで、社会民主主義者の行動をほめたたえ、彼らは『国際的・ユートピア的』、『革命的』思想(四十四ページ)をもたない『純粋の労働者党』に(四十三ページ)、『民族的』な『ドイツ人の労働者党』(四十五ページ)になるべきである、と述べている。ドイツの帝国主義者ザルトリウス・フォン・ワラウタースハウゼンは、国外投資にかんする著書(一九〇七年刊)のなかで、ドイツの社会民主主義者が民族的『公益』(四百三十八ページ)──これは植民地を獲得することである──を無視していると非難し、イギリスの労働者が、たとえば、彼らの移民受入反対闘争に見られるように、『現実主義』だといってほめたたえている。ドイツの外交家ルドルファーは、『世界政策の基礎』にかんする書物のなかで、資本が国際化したからといって、権力のため、勢力獲得のため、『過半数の株』(百六十一ページ)のための国の資本のはげしい闘争を、すこしもとりのぞくものではない、という周知の事実を強調し、このはげしい闘争は、それに労働者をひきこむものであることを述べている(百七十五ページ)。この本は、一九一三年十月付になっているが、著者はきわめて明瞭に、近代戦の原因としての『資本の利益』(百五十七ページ)についてかたり、『民族的傾向』の問題が社会主義の『中心問題』になっていること(百七十六ページ)、各国政府は、実際には、ますます民族的なものになりつつある(一〇三、百十、百七十六ページ)社会民主主義者の国際的な示威をおそれる必要はないと述べている(百七十七ページ)。著者は、さらに言う。もしも労働者を民族の結びつきからひきはなすならば、国際社会主義は、勝利するであろう。なぜなら、暴力だけではなにごともなしえないからである。だが、もしも民族的感情が勝利を占めるならば、国際社会主義は敗北をこうむるであろう(百七十三~百七十四ページ)と」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.79~82」国民文庫)
「なお、いうまでもないことだが、習慣の力、比較的『平和な』進化の旧慣、民族的な偏見、急転換にたいする恐怖と不信──すべてこうしたことが、日和見主義をつよめ、またあたかもほんの一時だけ、ただ特別の理由と動機があるためのようによそおって偽善的におそるおそる日和見主義と和解するのをつよめる補足的な事情としての役割を演じている。戦争は、数十年にわたって成長してきた日和見主義を変貌させ、これを最高の段階にひきあげ、その色あいの数と多様性を増大させ、その支持者の隊列をふやし、一群の新しい詭弁をもってその論拠を豊富にし、多くの新しい小川や水流を日和見主義の本流に、いわば合流させた。だが、本流はなくなってはいない。その反対である」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.80」国民文庫)
「社会排外主義とは、一定の程度まで成熟した日和見主義、すなわち社会主義政党の内部でこのブルジョア的な腫物が、《従来のままでは》存在することができなくなるまでに成熟したところの日和見主義である。社会排外主義と日和見主義とのきわめて密接な、きりはなすことのできないつながりを見たがらない人々は、個々のばあいや『特殊事例』をとらえて、これこれの日和見主義者は国際主義者になったの、これこれの急進主義者は排外主義者になったのという。だが、これは、《諸思潮》の発展にかんする問題での真にまじめな論拠ではない。第一に、労働運動における排外主義と日和見主義の経済的基礎はおなじ一つのものである。すなわち、それは、『自分の』国の資本の特権のおこぼれを頂戴し、プロレタリア大衆に反対し、一般に勤労者と被抑圧者の大衆に反対する少数上層のプロレタリアートと小市民の同盟である。第二に、これら二つの思潮の思想的=政治的内容は、おなじものである。第三に、だいたいにおいて、社会主義者を日和見主義的思潮と革命的思潮とにわける、第二インタナショナルの時代(一八八九~一九一四年)に特有の古い区分は、排外主義者と国際主義者にわける新しい区分に《対応している》」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.82」国民文庫)
「なぜそうなのか?ほかでもなく、ジュデクームの背後には、大強国のブルジョアジー、政府および参謀本部がひかえているからである。彼らは、あらゆる方法でジュデクームの政策を支持しながら、監獄や銃殺にいたるまでのあらゆる手段をつくして、ジュデクームの反対者の政策を阻止している。ジュデクームの声は、数百万部のブルジョア新聞によってひろめられている(ヴァンデルヴェルド、サンバ、プレハノフの声と同様に)が、彼の反対者の声は、合法出版物では聞くことが《できない》。なぜなら、この世には戦時検閲というものがあるからだ!日和見主義が、個々の人物の偶然のできごとでも、過失でも、怠惰でも、裏切りでもなく、一つの歴史的時期がうんだ社会的産物であることは、すべての人の一致した意見である。しかしながら、すべての人がこの真理のもつ意義をふかく考えているわけではない。日和見主義は、合法主義によって育成されている。一八八九~一九一四年の時期の労働者党は、ブルジョア的合法性を利用しなければならなかった。だが、危機がやってきたときには、非合法活動に移行する必要があった(ところで、このような移行は、多くの軍事的奸計と統合した最大の精力と決意とをもってする以外には、これをおこなうことはできない)。この移行をさまたげるためには、ジュデクーム《一人》で十分である。なぜなら、彼のうしろには歴史的=哲学的に言えば、『旧世界』全体がひかえているし、実践的=政治的に言えば、彼ジュデクームは、つねに、ブルジョアジーの階級敵のあらゆる軍事計画を、ブルジョアジーにもらしてきたし、またつねにもらすであろうからである」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」・「第二インタナショナルの崩壊 他・P.86~87」国民文庫)
コジェーヴ。ヘーゲル「パロディ化」大作戦の続き。
「問題の文章には、ヘーゲルの念頭に置く《時間》が、我々にとっては《歴史的》(かつ非生物的、非コスモス的な)《時間》としての《時間》であることがよく示されている。実際、この《時間》は《未来》が優位に立っていることによって性格づけられる。ヘーゲル以前の《哲学》が考察していた《時間》においては、運動が《過去》から《現在》を通り《未来》に向かっていた。それに反し、ヘーゲルの語る《時間》においては、運動が《未来》においてそれ自身を生み出し、《過去》を通り《現在》に向かっている。すなわち、《未来→過去→現在(→未来)》となっている。これこそは、本来《人間的》《時間》、すなわち《歴史的》《時間》に固有の構造である」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.202」国文社)
「この《時間》の《形而上学的》分析が《現象学的》(さらには人間学的)次元に投影された様子を実際に考察してみよう。《未来》によって生み出される運動、──これは《欲望》から生まれる運動である。むろんこれは、人間特有の《欲望》、すなわち創造的《欲望》、つまりは実在する自然的《世界》に現存在せず、現存在もしなかったものに向かう《欲望》から生まれる運動である。この欲望があって初めて、我々は運動が《未来》によって生み出されると言いうるのである。なぜならば、《未来》とは──まさに(いまだ)存在せず(過去にも)存在していなかったものだからである。ところで、周知のごとく、《欲望》自体は《不在》の現前である。例えば、私の中に水が《不在》であるから、私は喉が乾く。したがって、欲望は現在における未来の現前、すなわち水を飲むという未来の活動の現前を示している。だがしかし、水を飲もうと欲すること、これは何か《存在するもの》(ここで水)を欲することであり、したがって現在に基づき行動することである。だがしかし、或る《欲望》に向かう欲望に基づき行動すること、これは(いまだ)存在しないものに基づき、すなわち未来に基づき行動することである。他方、このように行動する存在者は、《未来》が優位を占める《時間》の中に存在する。逆に見るならば、《未来》が現実に優位を占めうるのは、実在する(空間的)《世界》の中にこのように行動する能力を具えた存在者がいる時だけである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.202」国文社)
「ところで、『精神現象学』の第四章において、ヘーゲルは、他者の《欲望》に向かう《欲望》は、必然的に《承認》を求める《欲望》である、──《主》を《奴》に対立せしめ、──《歴史》を生み出し、(《充足》によって決定的に廃棄されぬ限り)《歴史》を動かす《承認》を求める《欲望》であることを示している。したがって、《未来》が優位を占める《時間》は自分自身を実在化することによって《歴史》を生み出すことになる。このようにして生み出された《歴史》は《この》《時間》が持続する限りで持続し、この《時間》はこのような《歴史》が持続する限りでしか持続しない、すなわち《社会的》《承認》を目指して遂行される人間の活動が続く限りでしか持続しない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203」国文社)
「ところで、《欲望》が《不在》の現前ならば、それは──それ自体として捉えられるとき──経験的な《実在》ではない、すなわち《自然的現在》つまり《空間的現在》の中に肯定的な在りかたで現存在するのではない。それどころか、これは《空間》の中に、空隙や『穴』として存在する、──すなわち空虚や無として存在する。(純粋に時間的な《未来》が《空間的現在》の只中に現われ座を占めるのは、言わばこのような『穴』の中においてである)。したがって、《欲望》に向かう《欲望》は何物にも関係せず、だからこのような《欲望》を『実現すること』は──何物をも実現しない。ただ《未来》に関係するだけでは一つの実在に至らず、したがって現実に運動していることにもならない。他方、現在に(さらには空間的に)実在するものを主張したり、或いはそれを受け容れたりしても、我々は何物をも《欲せず》、したがって《未来》に自己を関係づけず、《現在》を乗り超えず、したがって自己を運動せしめてもいない。したがって自分自身を《実現する》ためには《欲望》は一つの《実在》に関係せねばならぬが、《肯定的な》在りかたでそれに関係することができない。したがって欲望は《否定的に》それに関係せざるをえない。したがって《欲望》は必然的に実在の或いは現在の所与を《否定する》《欲望》とならざるをえない」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203」国文社)
「ところで、《否定された》実在するもの、──これは存在することを《やめた》実在するものである、すなわち《過去となった》実在するもの、或いは《実在する》《過去》である。《未来》によって限定された《欲望》が《現在》の中に実在するものとして(つまり充足された《欲望》として)現われるのは、実在するものを、すなわち《過去》を否定した限りでしかない。《未来》に基づき《過去》が(否定的に)形成されるときの在りかたが実在する《現在》の質を規定する。こうして《未来》と《過去》とによって限定された《現在》だけが、《人間的》ないし《歴史的》な《現在》である。したがって、一般的に、《歴史的》運動も《未来》から生まれ、《過去》を通り、《現在》において、或いは《時間的現在》としてそれ自身を《実現する》ことになる。 したがって、ヘーゲルが念頭に置いていた《時間》は《人間的》ないし《歴史的な時間》である。すなわち、意識的、意志的な《行動》の《時間》こそが、未来のための《企図》を、《過去》の認識から発し形成された《企図》を《現在》において実現するものである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.203~204」国文社)
「したがってここでは《歴史的時間》が問題となっており、ヘーゲルはこの『《時間》が《経験的に現存在する》《概念》そのものである』と述べる。差し当たり『《概念》』という用語のほうは脇に置いておこう。とすると、ヘーゲルは『《時間》が《経験的に現存在する》Xである、何物かである』と述べたことになる。さて、この主題はヘーゲルの(歴史的)《時間》の概念の分析そのものから演繹することができる。《未来》が優位を占める《時間》は、《否定し》、無化するときにのみ実在化され、《現存在する》ことができる。したがって、《時間》が存在するためには《時間》以外のものが存在していなければならない。この『以外のもの』はまず《空間》(言わば停止点)である。したがって、《空間》がなければ《時間》は存在せず、《時間》は《空間》の中に存在する何物かである。《時間》は《空間》(多種多様なもの)を《否定する》ものであるが、この時間が何物であり無ではないとすれば、それが《空間》を否定するものだけである。だが、抵抗する《空間》は内部が満たされている、つまりそれは広がりをもった《物質》であり、《実在する》《空間》、つまり《自然的》《世界》である。したがって、《時間》は《世界》の内に現存在しなければならず、したがってそれは、ヘーゲルが述べるように、『現存在する』何物かである。《空間》の中に《現存在》し、《経験的》《空間》の中、つまり《感覚的空間》或いは《自然的世界》の中に《現存在する》何物かである。《時間》はこの《世界》を絶えず過去の無の中に沈めることによってこれを《無化する》。《時間》はこの《世界》を《無化するもの》以外の何物でも《なく》、このように無化される《実在する》《世界》が存在しなければ、《時間》は純粋の無でしかないであろう。すなわち、《時間》は存在しないであろう。したがって、《存在する》《時間》、──これはまさに『経験的に現存在する』何物かである、すなわち《実在する空間》ないしは《空間的世界》の中に現存在する何物かである」(コジェーヴ「ヘーゲル読解入門・P.204~205」国文社)
二〇一七年二月十五日作。
(1)遠い沖縄ジュゴン愛嬌ふりまいている
(2)嘘つけば釈放された少年の位牌
(3)犯罪者様々はしゃぐマスコミ
(4)思い出してはいけないらしい沖縄戦
(5)病人が病人を蹴り落した春雷
(6)一歩一歩馬鹿になる
☞「文学は社会的現象の一つであって十八世紀の社会は文学だけで成立した者ではない。美術なり、哲学なり、社会の風俗なり、一般にいう大いなる人間歴史中の一部分として文学が出現したのであるからして、今文学史を講ずるに当ってこの錯雑なる現象中から文学だけを引抜いて見せるのは文学の筋道を知るには便宜であるが、こうすると文学と他の社会的要素と関連して、活動して世の中に出た景色が目に浮んでこない。いわば単に魚の骨だけを見ていると一般で何だか興味がない。これは単に文学史のみではなく、哲学の歴史でも科学の歴史でも同様であるが、文学に至ると、殊(こと)にこの点に注意せねばならん、というのは文学は当時の一般の気風が反射される者で当時の趣味の結晶した者であるから一般の社会とは密接の関係があって、外の学問とはその関係の度が大いに深い」(夏目漱石「文学評論(上)・P.54」岩波文庫)
「代助は泣いて人を動かそうとする程、低級趣味のものではないと自信している。凡(およ)そ何が気障(きざ)だって、思わせ振りの、涙や、煩悶(はんもん)や、真面目や、熱誠ほど気障なものはないと自覚している。兄にはその辺の消息がよく解っている」(夏目漱石「それから・P.72」新潮文庫)
「『兄を動かすのは同じ仲間の実業家でなくっちゃ駄目だ。単に兄弟の好(よしみ)だけではどうする事も出来ない』こう考えた様なものの、別に兄を不人情と思う気は起らなかった。寧(むし)ろその方が当然である」(夏目漱石「それから・P.72」新潮文庫)
「けれども自然に出る世間話というよりも、寧ろある問題を回避する為の世間話だから、両方共に緊張を腹の底に感じていた」(夏目漱石「それから・P.117」新潮文庫)
「代助は人類の一人(いちにん)として、互いを腹の中で侮辱することなしには、互いに接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二〇世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、近来急に膨張した生活慾(よく)の高圧力が道義慾の崩壊を促したものと解釈していた。又これをこれ等新旧両慾の衝突と見做していた。最後に、この生活慾の目醒(めざま)しい発展を、欧洲(おうしゅう)から押し寄せた海嘯(つなみ)と心得ていた。この二つの因数(ファクター)は、何処(どこ)かで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な日本が、欧洲の最強国と、財力に於(おい)て肩を較(なら)べる日の来るまでは、この平衡は日本に於て得られないものと代助は信じていた。そうして、かかる日は、到底日本の上を照らさないものと諦(あきら)めていた。だからこの窮地に陥った日本紳士の多数は、日毎に法律に触れない程度に於て、もしくはただ頭の中に於て、罪悪を犯さなければならない。そうして、相手が今如何なる罪悪を犯しつつあるかを、互いに熟知しつつ、談笑しなければならない。代助は人類の一人として、かかる侮辱を加うるにも、又加えらるるにも堪えなかった」(夏目漱石「それから・P.121~122」新潮文庫)
官僚主義的機構研究。カフカから続き。
「『バルナバス』と、Kは言った。Kにすれば、バルナバスがあきらかに自分をすこしも理解してくれていないことが胸にこたえた。それに、平和なときにはこの男の上着は美しくかがやいているのに、いざというときになると、なんの助けにもなってくれないばかりか、もの言わぬ障害物でしかないことも、Kには悲しかった。しかも、この障害物を相手にしては、戦うこともできない。というのは、バルナバス自身がまったく無防備だからである。彼の微笑だけは、明るくかがやいているが、それとても、天上にきらめく星が地上の嵐(あらし)をどうすることもできないのとおなじように、なんの役にもたたなかった」(カフカ「城・P.202」新潮文庫)
「『見たまえ。クラムは、こんなことを書いてよこしたんだよ!』と、Kは、バルナバスの鼻さきに手紙をつきだした。『クラムは、まちがった報告を受けているんだよ。だって、おれは、測量の仕事なんかなにひとつしてはいないし、この助手どもの働きぶりも、きみ自身が知っているとおりさ。おれは、自分がやってもいない仕事を、もちろん、中断することなんかできやしないし、クラムの不満を招くことさえできないよ。だのに、どうして彼に高く評価してもらえるんだろう。それに、安心するがよいというけれども、とてもじゃないが、安心なんかしておれないさ』『わたしがそのことをクラムに伝えましょう』と、さっきからずっと手紙に眼を走らせていたバルナバスは、答えた。もちろん、彼は、手紙の文面をまったく読めなかったにちがいない。というのは、手紙は、彼のすぐ鼻さきにつきつけられていたからである。『ああ』と、Kは言った。『きみは、クラムに伝えましょうと約束してくれるが、いったい、きみの言葉をほんとうに信用していいのかね。おれは、信頼できる使者がとても必要なんだ。これまで以上に必要なんだ』Kは、いらいらして唇(くちびる)をかんだ。『あなた』と、バルナバスは、首をやさしげにかしげた。Kは、そのしぐさにほだされて、あやうくバルナバスの言うことを信じそうになった。『わたしは、そのことを間違いなく伝えましょう。それから、このあいだ言いつかったことも、確かにお伝えしましょう』『なんだと!』と、Kは叫んだ。『あのことをまだ伝えてなかったのか。あくる日に城へ行ったのじゃなかったのか』」(カフカ「城・P.202~203」新潮文庫)
「『ええ。なにしろ、うちの父親は、年をとっておりましてね。これは、あなたもごらんくださったとおもいますが。それに、あいにくあのときは仕事がたくさんあって、父親の手つだいをしてやらなくちゃならなかったのです。でも、近いうちにまた城へ行くつもりをしていますから』『いったい、きみはなにをして暮らしているんだ、わけがわからなくなったよ』と言って、Kは、自分の頬をたたいた。『クラムの仕事は、ほかのどんな仕事よりも優先するのじゃないのか。きみは、使者という大事な任務についていながら、そんなずぼらな勤務ぶりをしているのかね。きみの親父(おやじ)さんの仕事なんか、どうだってかまわないじゃないか。クラムは、報告を待っているんだ。だのに、きみは、首の骨をへし折ってでもクラムのところへ駆けつけるどころか、馬小屋から糞(くそ)を運びだすような仕事をしている』『父は、靴屋なんです』バルナバスは、きっぱりと言った。『父は、ブルンスウィックから注文を言いつかっていたのです。それで、わたしは、父親に使われている職人なものですから』『靴屋──注文──ブルンスウィック』Kは、これらの言葉をすべて永久に廃語にしてしまうとでもいったような苦りきった口調で叫んだ。『この村ときたら、永久に猫の子一匹通らないのに、だれが長靴なんか必要とするんだ。そんな靴屋の仕事なんか、おれになんの関係があるんだ。おれがきみに使いの仕事を頼んだのは、その手紙を靴屋のベンチの上に置き忘れて、もみくちゃにしてしまうためじゃなくて、すぐにクラムのところへとどけてもらうためなんだぞ』」(カフカ「城・P.203~204」新潮文庫)
「ここでKは、ちょっと気持を落着けた。クラムはたぶんこのあいだからずっと城にはいず、縉紳館(しんしんかん)に泊りつづけていたのだということを思いだしたからである。ところが、バルナバスは、Kの最初の報告をよくおぼえていることを証明してみせるために、その文句を諳誦(あんしょう)しはじめたので、Kは、またもや腹をたててしまった。『やめてくれ!これ以上もうなにも聞きたくない』『そう怒らないでください』と言って、バルナバスは、Kの理不尽を無意識に責めようとするかのように、Kから視線をそらし、眼を伏せた。しかし、それは、おそらくKにどなりつけられて面くらったのであった。『いや、怒ってるわけじゃない』と、Kは言った。彼のいらいらした気持は、こんどは彼自身に鉾先(ほこさき)を向けてきた。『きみに腹をたてているんじゃない。こんな大事な用件を頼むのにきみのような使者しかいないことが、われながら心細い気がしてならないんだ』」(カフカ「城・P.204~205」新潮文庫)
「『じつを申しあげますと』と、バルナバスは言った。その口ぶりには、使者として名誉を守るために言ってはならないことまでも言うんだというようなところが感じられた。『クラムは、こんな報告なんかちっとも待ってはいないのです。それどころか、わたしが行くと、腹をたてさえするんです。あるときなどは、<またぞろ報告か!>と吐きすてるように言いましたし、たいていのときは、遠くからでもわたしの姿を見ると、立ちあがって、隣室にとじこもり、わたしに会ってくれません。それに、使いの用事ができしだいすぐにクラムのところへ行かなくてはならないということも、別段きまっているわけではないのです。そうはっきりきまっているものなら、もちろん、すぐに出かけていきますよ。しかし、その点がはっきりしていないのです。かりにわたしが一度も行かなくても、むこうからは、べつになにも注意してこないでしょう。わたしが使いにいくのは、自分からすすんでやっていることなんです』『わかったよ』と、Kは、バルナバスをじっと見つめ、助手たちからは故意に眼をそらせた。助手たちは、舞台のはね上げ戸から姿をあらわすように、かわるがわるバルナバスの肩のうしろからのそっと顔をのぞかせては、Kを見てびっくりしたといわんばかりに、風の音をまねたような口笛をかるく鳴らしてすぐまた引っこんでしまうのだった。ふたりは、こういうことをして長いことたのしんでいた」(カフカ「城・P.205」新潮文庫)
「『クラムのところがどんな具合になっているのか、おれは知らないし、きみならクラムのところのことがなんでも正確にわかるというのも、どうも眉唾(まゆつば)ものだな。たとえきみにわかるとしても、おれたちは、事態を好転させるわけにはいくまい。しかし、使いの手紙をもっていくだけのことなら、きみにもできることで、おれが頼んでいるのも、そのことなんだ。ごく簡単な用件だ。それをあすにでももっていって、あすすぐに返事を聞かせてくれることができるかね。すくなくとも、クラムがきみをどんなふうに迎えたかということだけでも、知らせてほしい。きみにそれができるだろうか。そして、きみにそうしてくれる意志があるかね。そうしてもらえると、とてもありがたいんだ。たぶん、いつかそれ相応のお礼をする機会があるだろう。それとも、いますぐにでもおれがかなえてやれるような希望でもあるかね』『確かにお言いつけをはたしましょう』『じゃ、おれの頼むことをできるだけうまくやってみる努力をしてくれるのだね。それをクラムにとどけ、クラム自身の返事をもらってくるのだよ。それも、すぐにだ。なにごともすぐに、あすの午前中にでもやってくれるかね』『最善を尽してみましょう』と、バルナバスは、答えた。『ですが、わたしは、いつだって最善を尽しているんですよ』」(カフカ「城・P.205~206」新潮文庫)