白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

自由律俳句──二〇一七年二月二十二日(3)

2017年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ドゥルーズ&ガタリから。

「抑圧するための、あるいは抑圧されるための官僚機構《への》欲求は存在しない。権力・職員・弁護依頼人・機械を伴った、官僚機構のひとつの分節が存在する。あるいはむしろ、バルナバスの経験においてのように、あらゆる種類の分節、隣接した事務室がある。すべての歯車は、実際にはその外見にもかかわらず等しいものであり、欲求としての、つまり鎖列それ自体の働きとしての官僚機構を構成する。圧制者と被圧制者、抑圧者と被抑圧者への分割は、機械のそれぞれの状態から由来するのであって、その逆ではない。これは二次的なものである。つまり、『訴訟』の秘密は、K自身が弁護士であり、裁判官でもあるということである。官僚機構は欲求である。それは抽象的な欲求ではなく、機械の一定の状態によって、一定の分節のなかで、特定の瞬間において規定される欲求である。(ハープスブルクの分節的君主政体がその例である)。欲求としての官僚機構は、或る数の歯車のはたらき、或る数の権力の行使と一体になっている。これらの権力は、それが把握する社会的領野の構成によって、それらの技術者と機械化される者とを規定する」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.116~117」法政大学出版局)

「資本主義のアメリカ、官僚制のソ連、ナチスのドイツ──実際、分節されていて隣接したノックによって、カフカの時代にドアを叩いていた来たるべき《悪しき力》。欲求、すなわち歯車に分解される機械、ふたたび機械を作る歯車。分節の柔軟性、柵の移動。欲求は根本的に多義的であり、この多義性によって、欲求はすべてを浸すただひとつの同じ欲求になる。『訴訟』の正体不明の女たちは、同一の享楽によって、裁判官・弁護士・被告をたえず楽しませる。そして盗みをしたために笞打たれる監視人フランツの叫び声、銀行のKの事務室のそばの物置の廊下へ通ずるドアのうしろで聞こえるあの叫び声は、《拷問される機械が発した》もののように思われるが、それはまた快楽の叫び声でもある。しかし、それが快楽の叫び声であるというのは、けっしてマゾヒズムの意味においてではなく、拷問される機械が、自己自身を享楽することをやめない官僚機構的機械の部分品だからである」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.117~118」法政大学出版局)

「連続性という視点からは何が起こるのか。カフカはブロックを捨てない。しかし、ひとびとはまず最初に、これらのブロックはひとつの円周上に分配されているのではなく──この円周のいくつかの非連続な弧が描かれているだけである──、回廊または廊下に並んでおり、したがってそれぞれのブロックは、この無限定の直線に沿って、多かれ少なかれ離れた分節になっていると言うだろう。しかしこれはまだ十分な変化になってはいない。ブロックは存続しているので、ブロック自体がひとつの視点から別の視点へと移行することによって少なくともかたちを変えなくてはならない。そして実際に、それぞれのブロック=分節が廊下の線に対して開かれている戸口を持っているというのが本当であるとしても──それも一般的には次にあるブロックの戸口または開かれた場所から非常に離れたところにあるのだが──、それにもかかわらず、すべてのブロックはその背後にそのブロックの数だけの隣接した裏口を持っている。これはカフカにおいて最も驚くべ地形学であり、それは単なるひとつの《精神的な》地形学ではない。対蹠的なところにある二つの点が、奇妙に接触していることが明らかにされる。この状況は『訴訟』ではたえず再発見されるのであって、そこでは、Kが銀行のなかで彼の事務室のすぐ近くにある物置小屋のドアを開けると、そこは二人の監視人が罰せられている裁判所の一室である。《裁判所事務局のある例の郊外とはまったく逆の方向になっていた郊外》にティトレリの絵を見に行くKは、この画家の部屋の奥にある戸口が、同じ裁判所事務局にまさしく通じていることを知る」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.151~152」法政大学出版局)

「おとなによってなされる、おとなの子どもへの変化と、子どもによる、子どものおとなへの変化とは隣接している。『城』はマニエリスム的な強度のこれらのシーンをはっきりと提示している。つまり『城』の第一章において、二人の男が洗たくたらいの中で湯あみし、身体の向きを変えたりしているのに、子どもたちはそれを見ていてお湯をはねかけられる。またこれとは反対に、もっとあとの方で、喪服を着た婦人の子どもであるハンス少年は、《若者のような考え方》に支配されており、《彼の行為のすべてに現れているまじめさもまたその種の考えに似つかわしかった》。これは、子どもにとって可能なおとならしさである(ここには、洗たくたらいのシーンへの言及が再発見される)。しかしすでに『訴訟』のなかにマニエリスムの大きなシーンがある。それは、二人の監視人が罰せられるとき、そのすべての叙述は子どものブロックとして扱われ、この部分の各行は、むち打たれてわめくのが──ただし半分だけまじめに──子どもたちであることを示している。カフカによれば、この点において子どもたちは女たちよりももっと遠くへ進むもののように思われる」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.164」法政大学出版局)

「機械は、それ自体が機械になっている結合要素のすべてに分解されることによってのみ社会的である。司法の機械は、隠喩的に機械と言われているのではない。機械は、単にその部分品・事務室・本・象徴・地形によってだけでなく、そのスタッフ(裁判官・弁護士・廷丁)、ポルノ的な法律書を持ってそばにいる女たち、規定されていない材料を与える被告たちによっても、第一の意味を固定する。書く機械は事務室にしかなく、事務室は書記たち・室長代理・責任者たちがいなければ存在せず、また、行政的・政治的・社会的でしかもエロチックな配分がなければ存在しない。この配分を欠いては、《技術》は存在しないだろうし、けっして存在しなかっただろう。それは機械が欲求なのであって、欲求が機械《の》欲求であるからではない。むしろそれは、欲求がたえず機械のなかで機械を作り、先在する歯車の横に新しい歯車を──たとえこれらの歯車が対立したり、調和しない仕方で機能する様子があるとしても──たえず限りなく作るからである。機械を作るものは、適確に言うならば、結合、すなわち分解を導き出すすべての結合である」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.168」法政大学出版局)

「カフカが最終的な解決、実は限界のない解決に到達するのは、長篇小説の構想によってである。つまりKはひとつの主体ではなく、たえず分節化し、そのあらゆる分節に拡がって行く、《それ自身で増殖する一般的な機能》になるだろう。しかしこれらの概念のそれぞれを明確にする必要がある。一方では、《一般》は個別と対立するものではない。《一般》はひとつの機能を示し、最も孤立している個別は、それが依存するセリーのあらゆる関係項に結びついているために、それだけ一層一般的な機能を持っている。『訴訟』のなかでKは銀行員であり、この分節において、銀行員・客のあらゆるセリーと、また若い女ともだちのエルザとつながっている。しかし彼は監視人・証人・ビュルストナー嬢とのつながりのなかで逮捕されもする。そして彼は、法丁・裁判官・洗濯女とのつながりのなかで訴訟を起こされ、弁護士・レーニとのつながりのなかで訴訟を起こす者であり、ティトレリと小さな娘たちとのつながりにおいて芸術家である」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.174」法政大学出版局)

「一般的な機能は社会的でもあり、またこれと不可分な状態でエロチックでもあって、これ以上にうまく言うことはできない。すなわち、機能的なものは同時に官吏であり、欲求である。他方、一般的な機能のそれぞれのセリーにおいて、分身が重要な役割を演じているのは事実であるが、それは二つの主体の問題に対する出発点もしくは最終的な敬意としてである。この問題はすでに克服されたのであり、Kはおのれを分身させることなしに、また分身に依存する必要もなしに、おのれ自身で増殖する。また個人が引き受ける一般的な機能としてのKよりも、《孤立している個人をその部分とする、多義的な鎖列の機能性》としてのKの方が重要であり、また、別の歯車に接近する集団性が重要である。ただしそのばあい、この鎖列が何であるのか、ファシズム的か、革命的か、社会主義的か、資本主義的か、あるいは最も嫌うべき仕方か悪魔的な仕方で結合した、それらの同時に二つのものであるのか、まだわからない。それはわからないことであるが、ひとびとはこれらすべての点についてかならず了解するのであり、またカフカはそれを了解するようにとわれわれに教えたのである」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.174~175」法政大学出版局)

ところで次の文章は大変重要な意味で「ユダヤ的」な何ものかを語ってはいないだろうか。

「それでは、黒く悲しげな眼をした若い女はどういうタイプなのか。彼女たちは、しどけなくくびのあたりをあらわにしている。彼女たちはあなたに呼びかけ、あなたに身をすり寄せ、あなたのひざに坐り、あなたの手を取り、あなたを愛撫し、また愛撫され、あなたを抱き、あなたに歯形を残し、あるいは反対にあなたの歯形を残し、あなたを暴行し、あなたに暴行され、ときにはあなたを押さえつけ、あなたを殴りさえし、暴君的である。しかし彼女たちは、あなたが立ち去るままにしており、あるいはあなたを立ち去らせさえし、あなたを永久にほかの場所へ送ることによって、あなたを追い払う。レーニは、動物への名残りとして、水かきのある指を持っている。しかし彼女たちは、もっと特殊な混交を示している。つまり彼女たちは、一部は姉妹であり、一部は女中であり、一部は娼婦である。彼女たちは、結婚生活・家庭生活に反対であって、そのことはすでにカフカの物語に見えている」(ドゥルーズ&ガタリ「カフカ・P.131~132」法政大学出版局)

「異質性/そそる女/エロティック/貨幣」。「ユダヤ的」な何ものか。一挙に結合したり逆に一挙に分解したりする力を持っており、それ自体が力であり欲求である何か。マルクスから引こう。

「ユダヤ人の実際の政治力と彼の政治的権利とのあいだの矛盾は、政治と金力一般とのあいだの矛盾である。理念的には政治は金力に優越しているが、事実上では政治は金力の奴隷となっているのである。ユダヤ教はキリスト教と《並んで》存続してきたが、それはたんにキリスト教への宗教的批判、キリスト教の宗教的由来に対する疑問の体現としてだけではない。それはまた実際的なユダヤ的精神、ユダヤ教がキリスト教社会そのもののうちに存続し、しかもこの社会のなかで最高の完成をとげたためでもある。市民社会のなかでの特殊な一成員という立場にあるユダヤ人は、市民社会のユダヤ教の特殊な現象であるにすぎないのだ。ユダヤ教は、歴史にもかかわらず存続したのではなく、かえって歴史によって存続したのである。市民社会はそれ自身の内蔵から、たえずユダヤ人を生みだすのだ。もともとユダヤ教の基礎となっているものは何であったか。実際的な欲求、利己主義である。それゆえユダヤ人の一神教は、現実においては多数の欲求の多神教であり、便所に行くことさえも神の律法とするような多神教である。《実際的な欲求、利己主義》は《市民社会》の原理なのであり、市民社会が自分のなかから政治的国家をすっかり外へ生みだしてしまうやいなや、純粋にそういう原理として現われてくる。《実際的な欲求と利己》との神は《貨幣》である。貨幣はイスラエルの嫉み深い神であって、その前にはどんな他の神も存在することが許されない。貨幣は人間のあらゆる神々をおとしめ、それらを商品に変える。貨幣はあらゆる事物の普遍的な、それ自身のために構成された《価値》である。だからそれは全世界から、つまり人間界からも自然からも、それらに固有の価値を奪ってしまった。貨幣は、人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝するのである。ユダヤ人の神は現世的なものとなり、現世の神となった。手形がユダヤ人の現実的な神である。彼らの神は幻想的な手形にほかならない」(マルクス「ユダヤ人問題によせて」・「ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.61~63」岩波文庫)

ポスト冷戦後、誇大妄想というほかない「新世界秩序構想」時代がやってきた。が、予想通り、EUの瓦解と同時にアメリカの新保護主義への転換という、資本主義体制には歴史的にありがちな「ジグザグ」コースの時期が訪れた。「新世界秩序構想」はその言葉通りユートピアのまま崩壊した。ただ、世界的規模で、比較的若年層の多くに共通した態度が見受けられるようになった。地域/宗教/体制を問わない。どこへ行っても大変多く見られる。世界の若年層の共通点、とはいえ、時折ではあるが耳にすることもあるに違いない。「醒めた/白けた/シニカルな(冷笑的)」態度。時に冷やかに見える場合があり、時に無邪気でもある。大人かと思えば子供にも見える。年齢だけを見れば確かに子供なのだが考え方は妙に大人びている。つい数年前までは通用していたかもしれない選挙対策や経済政策など、彼ら彼女らにとっては何の役にも立たないか、まったくと言っていいほど響かない。カフカは生前、「城」の中で、そういう少年にハンスというごくありふれた名前を与えて登場させた。ドゥルーズ&ガタリも言及しているが。

「ハンスの説明によると、女教師が猫の爪でKの手を引っかいてみみずばれができたのを見て、そのときKの味方をしようと決心したのだという。それで、いま、きびしい罰を受ける覚悟のうえでとなりの教室から脱走兵のようにこっそり抜けてきたのだった。彼の頭を支配しているのは、なによりもこのようないかにも男の子らしい義侠心(ぎきょうしん)であるらしかった。彼の動作からうかがわれるまじめさも、それに相応して男の子らしかった」(カフカ「城・P.239」新潮文庫)

「ハンスは、母親の話をさせられることになってしまったのだが、ひどくためらいながら、なんども催促されたあげくにやっと話しだした。その話しぶりからわかったことだが、ハンスはまだまるっきり子供にすぎないくせに、ときおり、特に彼が質問をする場合にはそうなのだが(これは、彼の質問が未来を予感しているためだったかもしれないが、あるいは、不安な気持で緊張している聞き手の錯覚のせいにすぎないのかもしれなかった)、ほとんど精力的な、聡明(そうめい)な、見通しのきく大人が話をしているのではないかとおもえるところがあった。しかも、すぐまたいきなり一介の小学生に戻ってしまって、質問の意味が理解できなかったり、子供らしく相手のことなどおかまいなしにひどく小声になったり、しまいにあまりにも立ち入った質問にたいしては強情っぱりのように完全におしだまってしまったりするのだった。しかも、こういうとき大人だったら当惑するのだが、当惑の様子などまるで見られなかった。大体、彼は、質問がゆるされているのは自分だけで、彼以外の者が質問するのは規則の違犯か、時間の浪費にすぎないとでも考えているようなふしがあった」(カフカ「城・P.240~241」新潮文庫)


自由律俳句──二〇一七年二月二十二日(2)

2017年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

カフカ読解。小説本文から幾つか、たった今補足しておきたい。理由は至って単純。次の部分は特に重要というわけではないが、読解の都合上、続けて読み通したほうが良いと思われるから、というに過ぎない。

「『測量師さん、測量師さん!』と、だれかが路地から呼ぶ声がした。バルナバスだった。彼は、息を切らしてやってきたが、忘れずにKのまえでお辞儀をした。『成功したんです』と、バルナバスは言った。『なにが成功したんだ』と、Kは、たずねた。『おれの請願をクラムに伝えてくれたかね』『それは、だめでした。ずいぶん骨を折ったのですが、うまくやれませんでした。わたしはまえのほうにでしゃばって、呼ばれもしないのに一日中机のすぐそばに立っていました。一度などは、わたしのために光をさえぎられた書記に押しのけられたほどです。そして、これは禁じられていることなのですが、クラムが顔をあげるたびに、手をあげて自分のいることをしめしました。わたしは、いちばんおそくまで官房に残っていて、とうとうわたしと従僕たちとだけになってしまいました。うれしいことに、クラムがもう一度戻ってくるのが見えたのですが、わたしのために引返してきたのではありませんでした。ある本でなにかを急いで調べようとしただけのことで、すぐまた出ていってしまいました。わたしがいつまでも動かないものですから、しまいに従僕が箒(ほうき)で掃きださんばかりにして、わたしをドアの外に追いだしました。こうなにもかも申しあげるのは、あなたが二度とわたしの仕事ぶりに不満をお持ちにならないようにとおもってのことです』『バルナバス』と、Kは言った。『きみがどんなに熱心でも、それがちっとも成果をあげないのだったら、おれにとってなんの役にたつだろうか』」(カフカ「城・P.394~395」新潮文庫)

「『でも、成果があったのです。わたしがわたしの官房──ええ、わたしの官房と呼んでいるんです──から出ますと、ずっと奥のほうの回廊からひとりの紳士がゆっくりこちらへやってくるのが見えるではありませんか。ほかにはもう人影もありませんでした。ずいぶんおそい時刻でしたからね。わたしは、その人を待つことに決めました。まだそこに残っているちょうどよい機会でした。わたしは、あなたによくない知らせをもって帰らなくてもよいように、ずっと残っていたかったのです。しかし、そうでなくても、その人を待っていただけの甲斐(かい)がありました。その人は、エルランガーだったのです。ご存じありませんか。クラムの第一秘書のひとりです。弱々しそうな、小柄な人で、すこしびっこを引いています。すぐにわたしだということをわかってくれました。抜群の記憶力とひろい世間知とで音にきこえた人なのです。ちょっと眉(まゆ)を寄せさえすれば、それだけでだれでも見わけてしまうのです。一度も会ったことがなく、どこかで聞いたか読んだかしただけの人たちでも見わけてしまうことがあります。たとえば、このわたしだって、それまで会ったことはまずなかったとおもいます。しかし、どんな相手でもすぐに見わけるのですが、まるで自信がなさそうに、初めにまずたずねてみるのです。それで、わたしにむかって、<バルナバスじゃないかね>と言いました。それから、<きみは、測量師を知っているね>とたずね、さらに言葉をつづけて、<ちょうどよかったよ。わたしは、これから縉紳館へ出かける。測量師にあそこへわたしを訪(たず)ねてきてもらいたいんだ。わたしの部屋は、十五号室だ。しかし、測量師は、すぐに来てくれなくてはならない。わたしは、あちらで二、三の相談ごとがあるだけで、朝の五時には城へ帰る。ぜひとも測量師と話をしたいことがあるのだ、と伝えてくれたまえ>と言うんです』」(カフカ「城・P.395~396」新潮文庫)

「いきなりイェレミーアスが駆けだした。これまで興奮のあまりイェレミーアスにほとんど注意をはらっていなかったバルナバスは、『あいつ、どこへ行こうというんでしょう』『おれより先にエルランガーに会おうってことさ』Kは、そう言うなり、イェレミーアスのあとを追いかけ、彼をつかまえると、その腕にぶらさがった。『突然フリーダに会いたくてたまらなくなったのかね。それだったら、おれもおなじことだ。さあ、歩調をそろえて歩こうぜ』」(カフカ「城・P.396」新潮文庫)

「『なにもかも抜け目なく手を打ったものだね。ただ、きみは、一度ぼくのために酒場から出ていった人間だよ。だのに、もうすぐ結婚式をあげようというときになって、ここへまた舞いもどるのかい』『結婚式なんかあるものですか』『ぼくが裏切ったからというのかね』フリーダはうなずいた」(カフカ「城・P.405」新潮文庫)

「『ねえ、フリーダ、きみは裏切りだなどと言うが、このことは、まえにも何度も話しあったことで、きみもいつも最後には、まちがった邪推であることをみとめざるをえなかったじゃないか。それ以後、ぼくのほうにはなにも変ったことはない。なにもかもきれいなものだ。これまでもそうだったし、これからも変りようがないだろう。だから、きみのほうになにか変ったことがあったにちがいないし。だれかにそそのかされたか、なにかしてね。いずれにせよ、裏切ったとか、不誠実だったとかいうのは、いわれのない非難だよ。だって、あのふたりの娘ってなんだい。色の黒いほうの娘──いや、こんなふうに逐一弁解しなくてはならないなんて、恥ずかしいくらいだよ。しかし、きみの要求だからね。とにかく、あの色の黒い娘は、おそらくきみにとってとおなじくらい、ぼくにとっても虫の好かない女だね。なんとかして離れておれるものなら、あの娘には近づきたくないものだ。もっとも、あの子のほうでも、それを助けてくれるがね。あの子ほどでしゃばらない、慎みぶかい人間はいないからね』」(カフカ「城・P.405~406」新潮文庫)

「『そうですわ』と、フリーダは、叫んだ。言葉が、彼女の意に反してとびだしてきたのである。Kは、彼女がこんなふうに考えかたを変えたのを見て、喜んだ。彼女は、自分が口に出そうとおもったのとはちがったことを言っているのだった。『あなたがあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのは、勝手ですわ。あなたは、あらゆる女のなかでいちばん恥知らずのあの娘を慎みぶかいとおっしゃるのね。しかも、信じられないことだけど、正直にそう考えていらっしゃる。あなたが白っぱくれていらっしゃるのでないことは、わたしにもわかっているわ。橋屋のお内儀(かみ)も、あなたのことをこう言っていましたわ。<わたしは、あの人を好かないけれど、かといって見すててしまうこともできない。まだろくに歩けもしないのにとっとと先へ進みたがる小さな子供を見ると、たまらなくなってつい手を出さざるをえないものだわ>とね』」(カフカ「城・P.406」新潮文庫)

「『やめて、もうたくさんよ』と、フリーダは言って、イェレミーアスの腕を引っぱった。『この人は、熱にうなされて、自分の言っていることもわからないんですわ。でも、K、あなたはいらっしゃらないで。お願いします。あれは、わたしとイェレミーアスとの部屋ですのよ。というよりか、むしろわたしだけの部屋です。あなたがおいでになることを、わたしがお断りします。あら、K、ついていらっしゃるわね。どういう理由があってついていらっしゃるの。わたしは、もうけっしてあなたのところになんか帰りませんよ。そんなことを考えただけでも、身ぶるいしますわ。さあ、あなたの娘さんたちのところへ行ってらっしゃい。あのズベ公たちは、ストーヴのそばの長椅子にシャツを着たきりであなたとならんで腰をかけているって聞きましたわ。それに、あなたを迎えにいくと、猫のようなうなり声を吹っかけるんですってね。あの娘たちに惹(ひ)かれていらっしゃるんですから、あそこなら居心地がいいでしょう。わたしは、あそこへ行かないようにいつもあなたを引きとめました。あまり成功はしませんでしたが、何度も引きとめました。それも、もう過ぎたことです。あなたは、自由の身です。すてきな生活があなたを待っていますわ』」(カフカ「城・P.419」新潮文庫)

「『どうしてもっと早く来なかったのですか』と、エルランガーは言った。Kは、言いわけをしようとした。が、エルランガーは、疲れたように眼をとじて、言いわけは結構という合図をした。『あなたにお伝えしておかなくてはならんことは、つぎのことです。この家の酒場に、もとフリーダとかいう女が務めていた。わたしは、名前しか知らず、本人に会ったことはありません。わたしに関係ないことですからね。このフリーダは、ときおりクラムにビールの給仕などをしておったようです。いまは、別の娘が酒場にいるようです。もちろん、こんな異動なんか、どうだってよいことです。おそらくだれにとってもそうでしょうが、クラムにとっては、確かに問題にもならんことにちがいありません。しかしですね、仕事が大きくなればなるほど(もちろん、クラムの仕事は、いちばん大きいのですが、)外部にたいして身を守る力が、それだけすくなくなる道理です。その結果、どんなに些細(ささい)な事柄の、どんなに些細な変更にでもこころを乱されることになります。たとえば、机の上の様子がちょっと変ったとか、まえからそこにあった汚点(しみ)が消されたとか、そういうことにでも気持が乱されます。給仕女が交替したということでもそうです。もちろん、ほかの人やほかの仕事の場合ならいざしらず、クラムは、こんなことぐらいでは気持を乱されません。そういうことは、問題にもなりません。にもかかわらず、わたしたちは、クラムができるだけ気持よく仕事に専念できるように見張っていなくてはならない義務があるのでして、クラムにとってはなんの障害にもならないようなことであっても──おそらくクラムにとっては、この世に障害なんて存在しないでしょうが──障害になるかもしれないとおもえば、これを除去するのです。わたしたちがこのような障害をとりのぞくのは、クラムやクラムの仕事のためではなく、わたしたち自身のため、わたしたちの良心の安らぎのためです。ですから、フリーダという女は、即刻酒場に戻らなくてはならないのです。酒場に戻ったら戻ったでまた障害になるかもしれませんが、そのときはまた出ていってもらうまでです。しかし、いまさしあたっては、どうしても戻る必要があります。わたしが聞いたところでは、あなたは、この女と同棲(どうせい)しているそうですね。だったら、この女がすぐに戻れるようにしてください。この際、個人的な感情なんかは、斟酌(しんしゃく)するわけにはいきません。あたりまえの話ですよ。だから、この件についてこれ以上すこしでも議論をすることはお断りします。これはもうよけいなお節介になるかもしれませんが、念のために申しあげておきますと、こういう小さなことででもあなたが見あげた人だということになれば、ときとしてあなたの今後の生活にも役だつことがあるかもしれませんよ。あなたにお伝えしなくてはならないことは、これだけです』エルランガーは、別れの挨拶(あいさつ)がわりにKにうなづいてみせ、従僕から渡された帽子をかぶると、急いで、といっても、すこしびっこを引きながら、廊下を遠ざかっていった」(カフカ「城・P.444~445」新潮文庫)

「廊下そのものには、まだだれの姿も見えなかったが、各部屋のドアは、すでに動きはじめていて、何度もすこしあけられたかとおもうと、すぐまた急いでしめられるのだった。こうしてドアを開閉する音が、廊下じゅうにかまびすしかった。天井(てんじょう)にまで達していない壁の切れ目のところに、ときどき寝起きするらしく髪を乱した顔があらわれてはすぐ消えるのが見えた。遠くのほうからひとりの従僕が、書類を積んだ小さな車をゆっくりと押してきた。もうひとりの従僕が、そばについていて、手に一枚の表をもっていた。あきらかにドアの番号と書類の番号とを突き合わせているらしかった。書類車は、たいていのドアのまえでとまった。すると、たいていのドアがひとりでに開かれて、しかるべき書類が室内に手渡されるのだった。書類は、紙きれ一枚のこともあったが、こういうときは、室内と廊下とのあいだにちょっとしたやりとりがあった。それは、従僕のほうが文句をつけられているのであるらしかった。こういう場合、近所の部屋は、すでに書類が配達されているのに、ドアの動きがすくなくなるどころか、かえってはげしくなるようにおもわれた」(カフカ「城・P.447」新潮文庫)

「ほかの連中は、不可解なことにこうしてドアのまえに積みあげられたままになっている書類の束をものほしげな眼でのぞいているのかもしれない。ドアをあけさえすれば書類を受けとれるのに、どうしてそうしないのか、解しかねているらしい。書類がいつまでも積んだままにしてあると、あとでほかの連中に分配されるというようなこともあるのではなかろうか。それで、いまからしきりに様子をのぞいては、書類がまだドアのまえにあるかどうか、したがって、まだ自分にも希望があるかどうかを、確かめようというわけなのだろう。おまけに、置いたままになっている書類は、たいてい特別に大きな束だった。これは、ある種の自慢か悪意から、あるいは、同僚を鼓舞しようという正当な自負もあって、しばらくのあいだ置きっぱなしにしているのだろう、とKは考えた。Kにこの仮定をさらに確信させたのは、ときおり(それは、きまってKが見ていないときなのだが)もうたっぷりと見せびらかしたこの書類が突然、しかも、すばやく部屋のなかに引入れられ、それっきりドアはもとのように微動だにしなくなってしまうことであった。すると、周囲のドアも、静かになるのであった。絶えざる魅惑の的であったものがついに片づけられたことにがっかりしたのであろう。それとも、満足したのかもしれない。しかし、ドアは、やがてまた徐々に活動をはじめた」(カフカ「城・P.447~448」新潮文庫)

「Kが彼の事務室と中央階段をへだてる廊下を通りかかると──この日は彼が最後まで居残り、ほかには発送部で二人の小使が電球の小さな光の輪のなかで働いているだけだった──あるドアのかげからうめき声がきこえてきた。のぞいてみたことはないがいままで漠然(ばくぜん)と物置小屋と思っていたところだった。彼はびっくりして立止り、聞き違えではないかどうか確かめるためもう一度耳を澄ました──しばらく静かだった、それからしかしふたたびうめき声がした。──はじめ彼はひょっとして証人が必要になるかもしれぬと思い小使の一人を呼ぼうとしかけたが、抑えがたい好奇心に駆られてすぐドアをあけてしまった思っていたとおりそこは物置小屋だった。いらなくなった古い印刷物や、ひっくりかえった空の陶製インク瓶(びん)が入口のうしろに積まれていた。部屋のなかには、天井が低いのでかがみこんで、三人の男がいた。棚(たな)に固定されたロウソクがかれらを照らしていた。『きみたちそんなとこで何してるんだ』。興奮のあまりあわてて、しかし声を抑えてKは訊ねた。最初に目をひいたのは明らかに他の者を牛耳っている一人の男で、そいつは一種の黒い革服を着て首から胸許(むなもと)までと両の腕をむきだしにしていた。彼は返事をしなかった。しかし他の二人が叫んだ。『あんた!あんたが予審判事におれたちの苦情を言ったりしたもんだから、こうして笞(むち)で打たれる羽目になったんだよ』。言われてようやくKは二人が本当に監視人のフランツとヴィレムで、第三の男がかれらを打つために笞を手にしているのに気がついた。『いや』、Kは言ってかれらを見つめた、『苦情を言ったわけじゃない、ぼくの部屋で起ったことを話しただけだ。それにきみたちだって非の打ちどころのない振舞いばかりしてたわけじゃないだろう』」(カフカ「審判・P.116~117」新潮文庫)

「『おれたちが罰をうけるのはあんた訴えたりしたためなんだ。そんなのが正義だなんて言えるかね?おれたちふたり、なかんずくおれは監視人として長いこと立派にやってきた──あんただって役所の観点に立てばおれたちがよく監視したってことを認めなければなるまい──昇進する見込みだってあったわけだし、だからあんなことさえなけりゃこいつみたいにまもなく笞刑吏にだってなれたはずなんだ。こいつときたらまったく運のいいやつでだれからも告発されたことがなかった、実際またあんな告発なんてめったに起るものじゃないんだがね。だがこうなっては万事休す、おれたちの人生ももおしまいだ、これからは監視人なぞよりもっと下(した)っ端(ぱ)の仕事をやらされることだろう、しかもそのうえいまこのおっそろしく痛い笞をくらってさ』。『笞ってそんなに痛いのかね?』Kは言って、笞刑吏が目の前で振っている笞をとっくり目でたしかめた。『いずれ素っ裸にひんむかれることになるのさ』、ヴィレムが言った。『そういうことか』、Kは言ってしげしげと笞刑吏を見つめた。船乗りのように陽灼(ひや)けした、野性的で生きのいい顔立ちの男だった。『二人の笞打ちを免じてやる可能性はないのかね』、彼は男にきいてみた。『ないとも』、と笞刑吏はうすら笑いを浮かべながら顔をふった」(カフカ「審判・P.118~119」新潮文庫)

「『かれらを放してくれればたっぷり礼をはずむがね』。Kは言って、あらためて笞刑吏の顔は見ずに──というのは、こういった取引はたがいに目を伏せたままするのに限るから──そっと財布をとりだした。『そうやっておいてあんたは』、と笞刑吏は言った、『大方こんどはおれを告発して、おれにも笞をくらわせようというんだろう。だめだ、だめだ!』『冷静に考えてくれ』、とKは言った、『もしこの二人が罰せられるのをぼくがのぞんだんだったら、いまさら金を出して放してやろうとするわけがないじゃないか。あっさりドアを閉めて、これ以上何も見ない聞かないでさっさと帰ってしまえばすむことだ。ところがそうはしないで本気でかれらを逃がしてやることを考えている。もしかれらが罰せされることになる、罰せられるかもしれぬと気づいていたら、ぼくは決してかれらの名を言ったりしたかったろうね。というのはぼくはかれらに罪があるとは思っていないんだから。罪があるのは組織だよ、上の役人たちにこそ罪があるんだ』。『そのとおりだ!』、と監視人たちは叫んで、すでに裸になった背中にたちまち一撃をくらった」(カフカ「審判・P.119~120」新潮文庫)

「監視人フランツはそれまでたぶんKの口出しがいい結果を生むと期待してだろう、かなり控え目にしていたのだったが、いまやズボン一つという恰好(かっこう)のまま戸口までにじり寄り、跪(ひざまず)いてKの腕にすがりついたままささやいた。『二人いっぺんに救いだすことができないんだったら、せめておれだけでも逃がすようやってみてくれないか。ヴィレムはおれより年上だし、どんな点でもおれより鈍い、それにやつは二、三年前にも軽い笞刑をくらったことがあるんだ、おれはまだそんな不面目な目に会ってないし、なにをするにしろみなヴィレムに言われるとおりにしただけで、良きにつけ悪(あ)しきにつけ先生株はあいつなんです。下の銀行の前で婚約者が成行きいかんと待ってるというのに、これじゃみじめすぎて恥ずかしいよ』。こう言ってかれはKの下着で涙に濡(ぬ)れた顔を拭(ふ)いた。『これ以上待てんぞ』、と言うなり笞刑吏は笞を両手でつかんでフランツに打ちおろした。ヴィレムのほうは隅(すみ)っこにうずくまったまま顔を向けることさえできずにこっそり様子をうかがっている。フランツの発した叫びが上った。切れ目もなく変化もなく、とても人間の喉から出たものとは思えぬ、拷問(ごうもん)にかかった楽器からでも出たような叫びであった。声は廊下じゅうにびびいた。建物全体にきこえたに違いなかった」(カフカ「審判・P.121」新潮文庫)

「『わめくな』、とKは自分を抑えきれずに声をあげ、小使がやってきそうな方角を緊張して見守りながらフランツをついた。強くではないが正気を失った男を倒すには充分だったらしく、フランツは倒れ痙攣(けいれん)しながら床を両手でかきむしった。だがそれでも打擲(ちょうちゃく)を免れるわけにはいかないで笞は倒れた男を狙(ねら)い、ころげまわるあいだも苔の尖端(せんたん)が規則正しく振りあげられ振りおろされた。すでに遠くに小使の一人が姿を現わし、二、三歩遅れて二番目のが現れた。Kはすばやくドアを閉め中庭に面した窓に歩みよってその一つを開けた。叫びは完全に聞こえなくなっていた。小使たちを近づけまいとして彼は叫んだ。『わたしだよ!』『今晩は主任さん』、とむこうでも叫び返した、『何かあったんですか?』『いやなにも。中庭で犬が吠(ほ)えただけだ』、とKは答えた。それでも小使が動こうとしなかったのでさらにつけ加えた、『きみたちは仕事をしていていいんだよ』。それ以上小使との話に巻込まれまいとして彼は窓から身をのりだした。しばらくして廊下に目をやるとかれらはすでに消えていた。Kはしかしなお窓ぎわにとどまっていた。物置部屋にゆく勇気もなかったし家へ帰る気にもなれなかった。目の下にあるのは小さな四角い中庭だった。まわりにはずらっと事務室が並んでいるがどの窓ももう真暗で、最上階の窓にだけ月がうつっていた。Kは目をこらして中庭の隅の暗がりを見つめ、そこに数台の手押車が乱雑に置かれているのを認めた。笞打ちをやめさせられなかったことが彼を苦しめたが、成功しなかったのは彼の責任ではなかった。もしフランツが悲鳴をあげさえしなかったら──なるほどたしかに痛くはあったろう、しかしひとには我慢しなければならぬ決定的瞬間というものがあるのだ──やつが悲鳴をあげさえしなければおれにはまだ笞刑吏を説得する手段が見つけだせていたはずだ。少くともその可能性は大いにあった。下級役人階級全体が雲助だとしたら、なかで最も非人間的な役目を持った笞刑吏だけがなぜその例外であるはずがあろう。紙幣を見せたとき彼の目が輝いたのは充分に見てとれた。彼が笞打ちに精出し始めたのは明らかに賄賂(わいろ)の額を少しでもつりあげるためだったのだ。おれは本気で監視人たちを逃がしてやろうと思っていたのだから、金惜みするはずはなかった。すでにこの裁判組織の腐敗との戦いを始めてしまった以上、こういったことにも手を染めるのは当り前なのだ。が、フランツが悲鳴をあげ始めたあの瞬間に、当然ながらすべて終ってしまった。小使やひょっとしてそのほかの連中までがやってきて、おれが物置部屋の連中とかけあっているところをのぞかせるわけにはいかないではないか。それほどの犠牲をだれだっておれに要求する権利はない。おれだってもしそれまでにするつもりがあったら、自分から裸になって監視人の身替りになると笞刑吏に申し出たほうが事はもっと簡単だったのだ。とはいえ、この身替りを笞刑吏はきっと受入れなかったに違いない。そんなことをしても何の利得にもならないばかりか、彼の義務をひどく損う、そう、たぶん二重に損う結果になっただろうからだ。なぜといっておれが訴訟中であるかぎり、裁判所のすべての吏員にとっておれは損ってはならぬ者だからだ。むろんこの場合には特別の規定が適用されたかもしれなかったが。いずれにしろおれにはドアを閉める以外には手がなかったのだ、むろんそうしたからといって今だって自分が危険を完全に免れたわけではないのだが」(カフカ「審判・P.121~123」新潮文庫)

「翌日になっても監視人のことはKの念頭を去らなかった。仕事中も気が散っていたので、それを片付けるために前の日よりも遅くまで事務室に残らなければならなかった。帰りがけにまた物置部屋の前を通りかかったとき、習慣になったように彼はそこを開けた。真暗なはずと思いこんでいたから、そこに現れた光景には我を失った。何一つ変っていなかったのだ。すべてが前の晩彼がドアをあけて見たときのままだった、入口のすぐうしろには印刷物とインク瓶、笞を持った笞刑吏、完全にひん剥(む)かれたままの監視人、棚の上のロウソク。そして監視人たちはすぐさま訴え叫び始めた、『よう、頼むよ!』Kはあわててドアをしめ、そうすればもっとよく締まるというようにさらに拳(こぶし)でその上を叩(たた)いた」(カフカ「審判・P.124~125」新潮文庫)