ここひと月ほどだろうか、「平成最後の」というキャッチ・フレーズ。あちこちで見られる(見せられる)/聞かれる(聞かされる)日はないと言っていいくらいだ。いい加減、しつこい。からだに障る。実を言えば、それほどまでに景気が不安定なのだろう。ところで八十年代バブル景気時代に学生だった個人としては、「平成最後の」という言葉はまた、残念ながら景気動向ばかりを指し示すだけの言葉ではまったくない。八十年代バブルはまだ「昭和」という抜きがたく動かしがたい歴史の暗渠を陰に陽に伴ってもいた。坂口安吾はいう。
「藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼らが自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従して見せることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.586~587』ちくま文庫)
「昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.588』ちくま文庫)
「我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨(みじ)めとも又なさけない歴史大欺瞞(ぎまん)ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒瀆する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎(な)れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑(つ)かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度(ごはっと)だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.588~589』ちくま文庫)
ここでもし「総括」と言えば大袈裟な感じが湧いてきて何となく好きでない。だからといって「反省」と言えば余りに子供っぽい。むしろ、そのようなことよりずっと大事なことは、わずかここ数年の間に、「実践的態度」とは何かという問いが改めて急速に問い直されなければならなくなってきた点だろう。それはそうと考察のためには或る種の身体能力が必要だ。まずニーチェから。
「《『漂泊者』は語る》。──われわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、──つまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・P.451」ちくま学芸文庫)
次にマルクス=エンゲルスから。
「実直なドイツ市民の胸中にさえ快適な国民感情をよびおこすこの哲学的大風呂敷(おおぶろしき)をただしく評価するためには、このヘーゲル新派運動全体のちっぽけさ、地域的狭さ、ことにこれら英雄たちの実際上の仕事と、これらの仕事にかんする幻想との悲喜劇的対照をはっきりさせるためには、この騒動全体を一度ドイツを出た外の立場からとっくりと眺めてみる必要がある」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.37」国民文庫)
情報通信技術あるいはインターネットの爆発的発展が可能にした「道徳《外》に位置する」ということ、そして「外の立場からとっくりと眺めてみる」ということ。試してみるのはわるくない。いやまったくわるくない。
BGM
「藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼らが自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従して見せることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.586~587』ちくま文庫)
「昨年八月十五日、天皇の名によって終戦となり、天皇によって救われたと人々は言うけれども、日本歴史の証するところを見れば、常に天皇とはかかる非常の処理に対して日本歴史のあみだした独創的な作品であり、方策であり、奥の手であり、軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰の一幕が八月十五日となった。たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.588』ちくま文庫)
「我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終ることを最も切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。そして大義名分と云い、又、天皇の命令という。忍びがたきを忍ぶという。何というカラクリだろう。惨(みじ)めとも又なさけない歴史大欺瞞(ぎまん)ではないか。しかも我等はその欺瞞を知らぬ。天皇の停戦命令がなければ、実際戦車に体当りをし、厭々ながら勇壮に土人形となってバタバタ死んだのだ。最も天皇を冒瀆する軍人が天皇を崇拝するが如くに、我々国民はさのみ天皇を崇拝しないが、天皇を利用することには狎(な)れており、その自らの狡猾さ、大義名分というずるい看板をさとらずに、天皇の尊厳の御利益を謳歌している。何たるカラクリ、又、狡猾さであろうか。我々はこの歴史的カラクリに憑(つ)かれ、そして、人間の、人性の、正しい姿を失ったのである。人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度(ごはっと)だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ」(坂口安吾「続堕落論」『坂口安吾全集14・P.588~589』ちくま文庫)
ここでもし「総括」と言えば大袈裟な感じが湧いてきて何となく好きでない。だからといって「反省」と言えば余りに子供っぽい。むしろ、そのようなことよりずっと大事なことは、わずかここ数年の間に、「実践的態度」とは何かという問いが改めて急速に問い直されなければならなくなってきた点だろう。それはそうと考察のためには或る種の身体能力が必要だ。まずニーチェから。
「《『漂泊者』は語る》。──われわれのヨーロッパの道徳性を一度遠くから眺められるようにするためには、それを過去あるいは将来の別な道徳性と比べて見るためには、ある町の塔の高さのほどを知ろうとする漂泊者のやりかたと同じことをやらねばならない、──つまり、それをやるために漂泊者はその町を《立ち去る》。『道徳的先入見についての考察』には、それが先入見に関する先入見に堕さないようにするためには、道徳《外》に位置することが、われわれがそこまで昇り・攀(よ)じ・飛翔すべき何か善悪の彼岸といった位置が、前提となる」(ニーチェ「悦ばしき知識・P.451」ちくま学芸文庫)
次にマルクス=エンゲルスから。
「実直なドイツ市民の胸中にさえ快適な国民感情をよびおこすこの哲学的大風呂敷(おおぶろしき)をただしく評価するためには、このヘーゲル新派運動全体のちっぽけさ、地域的狭さ、ことにこれら英雄たちの実際上の仕事と、これらの仕事にかんする幻想との悲喜劇的対照をはっきりさせるためには、この騒動全体を一度ドイツを出た外の立場からとっくりと眺めてみる必要がある」(マルクス=エンゲルス「ドイツ・イデオロギー・P.37」国民文庫)
情報通信技術あるいはインターネットの爆発的発展が可能にした「道徳《外》に位置する」ということ、そして「外の立場からとっくりと眺めてみる」ということ。試してみるのはわるくない。いやまったくわるくない。
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