八十年代前半。日本で俗称「演歌メタル」と呼ばれる楽曲が登場したことを覚えているだろうか。ついさっき、風呂掃除をしている時にふと思い出した。もっとも、先日まで哲学書にばかり集中していた反動かも知れない。
あれから三十五年以上が過ぎ、そのバンド名は今や誰でも知っている。そればかりかとっくの昔に演歌調から抜け出して本格的なヘヴィ・メタル路線を樹立した。けれども当時の日本では欧米勢と比較して、まだまだ認知度が低かった。大変低かった。
“After Illusion”
当時から考えると、近年の音楽はとても明るく健康的でポップになった。聴く側の好みも大きく変化した。商業音楽についてだけの話ではない。実験的テクノ/ヒップホップなど、あまり世に知られていない音楽の世界でもそうだ。それはそれでよいことだと思っている。何より自分で選択できる余地が残されているということは。
しかし選択の自由に関し、本当にいつまで「自由」を確保できるだろうか、という問いはなお続いている。自由は、絶え間ない実践によってのみ、その時々においてその場かぎりで、いちいち保証されるほかない。その意味でますます限定的なものになっていくのではないだろうか。そういう不安という名の亡霊があちこちを徘徊している。とりわけ、長引く経済的不安が必然的に呼び寄せる「不自由」という名の亡霊が。というのも、鈍重なマスコミの内部ですらようやく問題視されてきた「印象操作」への疑問について述べているからである。
しかしマスコミがそれを問題にするのは、マスコミ自身がそれに脅かされつつある限りでしかなく、逆に操作する側へ吸収=合併され、そこで一定の地位を得るや否やマスコミはそれについて問題にすることも、かつてそうであったことも何ら語らなくなる。口をつぐむわけだが。
「炎は、空気なしには存在しない。したがって、一を知るには、他を知らなければならない」(パスカル「パンセ・P.50」中公文庫)
BGM
あれから三十五年以上が過ぎ、そのバンド名は今や誰でも知っている。そればかりかとっくの昔に演歌調から抜け出して本格的なヘヴィ・メタル路線を樹立した。けれども当時の日本では欧米勢と比較して、まだまだ認知度が低かった。大変低かった。
“After Illusion”
当時から考えると、近年の音楽はとても明るく健康的でポップになった。聴く側の好みも大きく変化した。商業音楽についてだけの話ではない。実験的テクノ/ヒップホップなど、あまり世に知られていない音楽の世界でもそうだ。それはそれでよいことだと思っている。何より自分で選択できる余地が残されているということは。
しかし選択の自由に関し、本当にいつまで「自由」を確保できるだろうか、という問いはなお続いている。自由は、絶え間ない実践によってのみ、その時々においてその場かぎりで、いちいち保証されるほかない。その意味でますます限定的なものになっていくのではないだろうか。そういう不安という名の亡霊があちこちを徘徊している。とりわけ、長引く経済的不安が必然的に呼び寄せる「不自由」という名の亡霊が。というのも、鈍重なマスコミの内部ですらようやく問題視されてきた「印象操作」への疑問について述べているからである。
しかしマスコミがそれを問題にするのは、マスコミ自身がそれに脅かされつつある限りでしかなく、逆に操作する側へ吸収=合併され、そこで一定の地位を得るや否やマスコミはそれについて問題にすることも、かつてそうであったことも何ら語らなくなる。口をつぐむわけだが。
「炎は、空気なしには存在しない。したがって、一を知るには、他を知らなければならない」(パスカル「パンセ・P.50」中公文庫)
BGM