白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

ニーチェ/マルクス/デリダ/猫

2019年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
ヘーゲルとマルクスの違いについて。色々な人々が色々なことを言ってきた。今なお言っている。ところでデリダは次の点を強調する。テクストとしては、ヘーゲルは直線的で閉じている。一方、マルクスは多層的で開かれていると。このことは昨年末に「書物外」という論文(『散種』法政大学出版局・所収)を参照して述べた。簡略化すれば、ヘーゲルは父系制の論理で体系化されている。マルクスは父系制ではない多型的叙述で常に体系化の手をすり抜け逃れ去っていくと。さらに、日本講演では、こんなふうにも述べていて興味深い。

「私は、あらゆる哲学のうちには自己-脱構築的なもろもろの地点があると考えています。ですから、それらの地点はヘーゲルにもありますし、マルクスにもあるのです。そして、相変らず第三段階での話ですが、ヘーゲルについて言えることはマルクスにもあてはまることを私は明示するでしょう。こういったわけで私は、マルクスに大いに関心をもっているのです。そんなわけで私の考えでは、マルクスにはいわゆる弁証法的唯物論ないしマルクス主義哲学に属さないものどもがあります。もっと別なものがいろいろとあり、まさにそうしたものがいつも私の関心をひくのです。こういったわけで、マルクスは私の関心をひいてやみません。マルクスについてはあまり多くを書いていません。マルクスについては教室でたくさん教えましたが、あまり多くは書いていません。とはいえ、マルクスについてのご質問にお答えするとすれば、それは非常に差異のある、そして非常に異質な答えとなるでしょう。マルクスのうちには、形而上学であるような、現前性の形而上学、弁証法、さらには思弁的弁証法でさえあるような、諸言説の層がまるごと存在している、と私は言うでしょう。それから次に、もろもろの他のものがある、と。これら他のものは、ただ単に、マルクスによって書かれたテクストのうちにのみあるのではありません。それらのものは、単に『資本論』の総体として、あるいはマルクスの伝記としてあるのではありません。それら他のものとは、マルクスの著作を歴史に、労働運動に、そして歴史の歯車たちに結びつけているもののことです。マルクスのテクストはこういったものです。マルクスのテクストとは単にマルクスの書物に限られません。もしもマルクスのテクストを、労働運動の闘争という歴史的コンテクストの総体のうちで捉えて分析するならば、われわれはずっと複雑な諸命題に行き着くにちがいありません。それらの命題はおそらくある人びとには反-マルクス主義的であるだろうし、しょっちゅう、そして今日でもなお、評価し直されるべきものです。とはいえそれらの命題は、われわれがマルクスの書物で読んだり、ないしは大学で教えたりすることのできるような、マルクス哲学についての理論的諸命題に還元されません。マルクスのテクストとは、大学でそれについて言われるもののみにとどまりません。それは至る所にあるのです、マルクスのテクストは。ですから、こういったテクストに対しては、そのようなタイプの理論的諸命題で満足することはできません」(デリダ「私の立場」『他者の言語・P.242~243』法政大学出版局)

さらにこのようなことを語っている。「人間/動物」という対立構造が成り立つのは、あらかじめ用意された「対立」という方法に問題があるのだと。しかし気を付けたいのは人間も動物も「平等」だと安易に片付けたがるイデオロギーと、デリダが問う「人間/動物」という自明となってしまっている思想的対立構造とは何の関係もないということだ。なぜなら、人間による安易なヒューマニズム感情は動物が本来持つ自律的・個別的な独立意志を無視することになってしまうからにほかならない。デリダは人間の傲慢を告発する。

「実際、問題にしてみる値打があると私に思われるのは、人間と動物の対立です。この対立は、現代のきわめて洗練された諸言説をも含めて、西洋および西洋の哲学の歴史全体を通じて機能してきました。人間を彼の尊厳の中で、すなわち言語(ランガージュ)、ロゴス、理性、等々の尊厳の中で安堵させるために、人びとは人間と動物とのあいだに対立的な型の一本の線を引こうと欲したわけです。ゾーオン・ロゴン・エコン〔=ロゴスをもつ動物〕とか、人間は理性をもつ動物だとか、唯一の政治的動物だとか、埋葬儀式をもつ唯一の動物だ、等々といった具合にです。人間のそうした自己固有なものについては、話がつきなかったわけです。そしてこのような対立的論理は、その目的として、人間を彼自身の中で、言いかえれば彼の存在-神論的特権の中で安堵させる(一般的に言って、人間のそうした特権の中で救う必要があったのは、人間と神との連累関係だったのですが)ことをめざすのみならず、同時にまた、奇妙にも、差異を消去することをめざしてもいると、そのように私には思われたのです。それというのも、いつものことながら、対立というものは差異を消去することをめざしていますから。人びとはひとたび対立を確保してしまうと、もろもろの差異すべてを等質的なものに還元しようとしたのです。例えば動物的系列と呼ばれるものの内部には、あたかもただ一つの動物性しかないかのようにです。例えばまた、生命の諸構造の差異づけられた異質性は、あたかもこれを無視することができるかのようにです。いずれにしろあたかもそうした異質性は、人間と動物とのあいだのあの単純な境界づけを乱すことはできないかのようにです。対立的な論理が或る種の同一化的・等質化的過程に奉仕したのは、一再にとどまりません。事柄に対して科学的なーーーと言っておきましょうーーー関連をもつ人たちは、人びとが人間のために取っておきたいと欲していた諸特性ないし諸述語概念(言語活動、社会、死への関係、等々)のそれぞれについて、今日では次のことを明らかにしうるのです。すなわち、そこには対立など存在しえないこと、動物性のなかにはきわめて複雑な諸構造が存在すること、そしてくだんの境界線は、人びとが引きうると思いなしていた所を通っていないこと、こうしたことどもを明らかにしうるのです。人間/動物の対立というこの問題は、多くの形而上学的なテクストを問題にするためにも、形而上学的ではないと自称している多くのテクストを問題にするためにも、きわめて有用かつきわめて適切な手掛かりとなるのです」(デリダ「他者の言語」『他者の言語・P.299~300』法政大学出版局)

こうある。「対立的な論理が或る種の同一化的・等質化的過程に奉仕した」。ちなみにヘーゲル弁証法は対立的なものの闘争の歴史の理論化という過程をたどる。しかしより一層根源的な部分へ遡ってみようとすればニーチェを無視することはできない。異種のものーーーそれも複数の異種のものーーーの間での同一化・均質化はどのようにして起こってきたか。

「意識の扉や窓を一時的に閉鎖すること、意識下における隷属的な諸器官が相互に恊働したり対抗したりするための喧噪や闘争に煩わされないこと、新しいものに、わけてもより高級の機能や器官に、統制や予測や予定に(われわれの有機体の組織は寡頭政体だから)再び地位が与えられるようになるための僅かばかりの静穏、僅かばかりの意識の《白紙状態》ーーーこれが、前述のように、心的秩序・安静・礼儀のいわば門番であり執事であるあの能動的な健忘の効用である。このことからして直ちに看取されることは、健忘がなければ、何の幸福も、何の快活も、何の希望も、何の矜持も、何の《現在》もありえないだろうということだ。この阻止装置が破損したり停止したりした人間は、消化不良患者にも比せらるべきものだ(そして単に比せらるべきものより以上のものだ)。ーーー彼は何事にも『決着をつける』ことができないーーーこの必然的な健忘な動物にあっては、健忘は一つの力、《強い》健康の一形式を示すものであるが、しかもこの同じ動物が、今やそれと反対の能力を、すなわちある場合に健忘を取りはずすことを助けるあの記憶という能力を習得した、ーーーここにある場合とは、約束をしなくてはならない場合のことだ。従ってそれは、単にいったん刻み込まれた印象から再び脱却することができないというような受動的な状態では決してなく、また単にいったん質入れして再び請(う)け出すことができなくなった言質の惹き起こす消化不良でもない。むしろ、再び脱却したくないという能動的な《意欲》であり、いったん意欲したことをいつまでも継続しようとする意欲であり、本来の《意志の記憶》である。そこで、本来の『私はしたい』・『私はするであろう』と、意志の真の放出である意志の《活動》との間には、一群の新奇な事物や事情、新奇な意志活動すらもが躊躇なく挿入されうることになり、しかもその際この長い意志の連鎖が断ち切られてしまうというようなことはない。しかし、これらすべての事柄の前提となるものは何か!そういう風に未来を予め処理することができるようになるためには、人間はまず、必然的な生起を偶然的な生起から区別して、それを因果的に考察する能力、遥かな未来の事柄を現在の事柄のように観察し予見する能力、何が目的であり何がそれの手段であるかを確実に決定する能力、要するに、計算し算定する能力を習得してかかることを、いかに必要としたことか!ーーー一個の約束者として《未来としての》自己を保証しうるようになるためには、人間は自らまずもって、自己自身の観念に対してもまた《算定し得べき》、《規則的な》、《必然的な》ものになることをいかに必要としたことか!」(ニーチェ「道徳の系譜・P.62~64」岩波文庫)

そして。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・P.64」岩波文庫)

「同一化的・等質化的過程に奉仕」したものは実に多い。それらはどれも或る習俗の維持とそのためには犠牲が必要だというまったくの信仰に基づく暴力を伴って発展してきたし、同時に、人間を人間として同一化・均質化する暴力的加工装置は、信仰に基づく暴力なしに発展することはできなかった。

「『習俗とその犠牲』。ーーー習俗の起源は、次の二つの思想に帰着する、ーーー『団体は個人よりもいっそう価値がある』という思想と、『永続的な利益は一時的な利益に優先すべきである』という思想である。そして、これから、団体の永続的な利益は個人の利益、とくにその刹那的な満足よりも、しかしまた個人の永続的な利益やその生命の存続すらよりも、無条件に優先すべきであるという結論がでてくる。いまや、全体を益するための或る制度で個人が苦しもうと、また彼がそのために委縮し、そのために破滅してゆこうとーーー習俗は維持されねばならず、またそのためには犠牲が供されねばならない。しかし、このような心的態度が《生ずるのは》、自らは犠牲となることの《ない》連中においてだけである、ーーーなぜなら、犠牲者の方は、<個人は多数者よりも貴重なものであり得る>、同様に、<現在の享受、天国にあるこの一刹那は、苦しみのない、あるいは安楽な状態の無気力な持続よりもおそらくいっそう高く評価されるべきである>という意見を主張するからである。しかし、犠牲獣のこの哲学は、いつも叫ばれることあまりにも遅きに失している。だから彼らはいつまでたっても習俗や《道徳性》にしばられたままである。人びとは習俗の下で生き、習俗の下で教育された、ーーーしかも個人としてではなく、全体の分岐として、多数派の符牒として教育された。そして道徳性とはこのもろもろの習俗の総体や本質に寄せる感情にすぎないのである。ーーーかくして絶えず個人は、その道徳性を媒介として、自己自身を《多数派化》してゆく結果になる」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・八九・P.73~74」ちくま学芸文庫)

「道徳」という名のもとで実行される何という欺瞞・迫害・怜悧・暴圧であることか。さらに次の引用では「風習」「迷信」「犠牲」「服従」「共同体」など重要な用語が連発される。

「倫理とは、いかなる種類の風習であるにせよ、風習に対する服従より外の何ものでもない(したがってとくに《それ以上のものではない!》)。風習とはしかし行為と評価の《慣習的な》方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理もまったくない。そして生活が慣習によって規定されることが少なければ少ないだけ、それだけ一層倫理の範囲は小さくなる。自由な人間はあらゆる点で自分に依存し、慣習に依存しないことを《望む》から、非倫理的である。人類のすべての原始的な状態にあっては、『悪い』ということは、『個人的』、『自由な』、『勝手な』、『慣れていない』、『予測がつかない』、『測りがたい』というほどのことを意味している。そのような状態の尺度でいつも測られるので、ある行為が、慣習が命令するからでは《なくて》、別な動機(たとえば個人的な利益のために)、それどころか、かつてその慣習を基礎づけていたまさにその動機自身からなされるときですら、その行為は非倫理的と呼ばれ、その行為をする者からさえそう感じられる。なぜなら、その行為は慣習に対する服従から行なわれたのではないからである。慣習とは何か?それは、われわれにとって《利益になるもの》を命令するからではなくて、《命令する》という理由のためにわれわれが服従する、高度の権威のことである。ーーー慣習に対するこの感情は、恐怖一般の感情からどこで区別されるか?それは、そこで命令する高度の知性に対する、理解しえない不明瞭な力に対する、個人的なもの以上の何ものかに対する恐怖である。ーーーこの恐怖の中には《迷信》がひそむーーー原始的には、教育と保健の全体、結婚、医術、農業、議論と沈黙、お互いの間の交際および神々との交わりなどは、倫理の領域に属していた。この倫理は、人が個人としての《私利》を計ること《なしに》、指令に従うことを要求した。原始的には、それゆえすべてが風習であった。そして風習をこえようとする者は、立法者や魔術師や一種の半神にもならねばならなかった。すなわち、彼は《風習をつくら》ねばならなかった。ーーーおそろしい、命の危ないことであった!ーーー最も倫理的な者とは誰か?《第一に》、法を最もしばしば履行する者である。つまりバラモンのように法の意識をいたるところに、しかもどんな小さな時間の中にも持ちこみ、法を履行する機会を絶えず案出する者である。《第二に》、最も困難な場合にあっても法を履行する者である。最も倫理的な者とは、風習に最も多く《犠牲を捧げる》者のことである。しかし最大の犠牲とは何か?この問いの答えに応じて、数個の異なった道徳が展開する。しかし最も重要な差異は、やはり《最も頻繁な履行》の道徳を《最も困難な履行》の道徳から分かつ差異に留まる。風習の最も困難な履行を倫理の目じるしとして要求する、あの道徳の動機を取り違えないでもらいたい!克己は、それが個人に対してもっている利益になる結果のために要求されるのでは《なく》、個人的な反対欲望や利益の一歳にもかかわらず、風習すなわち慣習が支配的なものとして現われるために要求されるのである。個人は自己を犠牲にしなければならない。ーーー風習の倫理はこのように要求する。ーーーこれに反して、《ソクラテスの》足跡の追随者たちのように、克己と節制の道徳を、個人の最も固有な《利益》として、幸福にいたる最も個人的な鍵として、《個人》に切に説き勧めるあの道徳学者たちは、《例外である》ーーーそしてわれわれにとってそれが別様だと思われるのは、われわれが彼らの影響下で教育されたからである。彼らすべては、風習の倫理のあらゆる代表者たちを極めてはなはだしく非難し、新しい道を行く。ーーー彼らは非倫理的な人々として、共同体から離れる。そして最も深い意味で、悪である。同様に昔基質(かたぎ)で道徳堅固なローマ人にとって、『何よりも先に自分《自身の》幸福を得ようと努力した』すべての《キリスト教徒》は、ーーー悪と思われた。ーーー共同体があり、したがって風習の倫理があるところではどこでも、風習違反に対する罰、すなわちその現われと限界を理解することが極めて困難であり、極めて迷信的な不安によって推測されるあの超自然的な罰は、何よりもまず共同体におちかかるものである、という思想もまた支配している。共同体は個人をうながし、彼の行為の結果として起こる身近な損害を、個人あるいは共同体に対して賠償させることができる。共同体はまた、個人によって、彼の行為のいわゆる影響として、神の雲と怒りの雷雨が共同体の上に集中したことの一種の復讐を、個人に対して加えることもできる。ーーーしかし共同体は個人の罪をやはり何よりもまず《共同体の》罪と感じ、そして個人の罰を《共同体の》罰として引き受けるーーー。『そんな行為ができるようになったとは、風習も弛(ゆる)くなったものだ』と、各自は心の中で嘆くのである。どんな個人的な行為も、どんな個人的な考え方も戦慄(せんりつ)をひきおこす。余人ならぬ非凡で、選り抜きで、独創的な精神の持ち主たちが、歴史の過程全体の中でいつも悪いそして危険な人々であると感じられたことによって、それどころか《彼らが自分自身をそう感じた》ということによって、どんなに苦しんだにちがいないかは、全く測り知ることができない。風習の倫理の支配下にあっては、どんな種類の独創性も良心の疚(やま)しさを感じた。今にいたるまで最もすぐれた人々の空は、そのために、そうならざるをえないよりも以上にさらに陰鬱なのである」(ニーチェ「曙光・九・P.24~26」ちくま学芸文庫)

人間は何よりもまず先に「約束をなしうる動物」へと加工される。それぞれに異なった人間動物は、色々な作業を同一の作業方法でもって大量の人員と共に同時に経験することで同一的・均質的なもの(人間)というものに「される」。同一的・均質的であるとされるや否や、共同体内部で、「人間として」は「同等」であると承認されるにもかかわらず「同等な人間」であるがゆえにかえって分割されうるものとなり、実際にも分割され、監禁・排除され、上下関係に服従し、要するに階層秩序化され、そうしてやっと各自は社会的な意味でそれぞれの位置を与えられるという過程を踏むわけだ。

例えばそれは、良く出来た長方形の「羊羹」(ようかん)のようなものだ。長方形の「羊羹」(ようかん)は素晴らしく同一的・均質的であるがゆえに、いつどこでどのようにでも分割可能なのだ。が、それは分割に先立って、まず一つのものとして完成されていなくてはならない。

さて、約束とは何か。それは言語とその風習的習慣的使用によって共同体内部で慣例化する。掟と化す。そして約束は、言語を介した「社会的契約」〔法〕として機能することを何ら妨げない。このような言語の機能はあたかも商品交換の場において貨幣が果たす機能とまったく似ている。それはやがて様々な共同体の間で流通するようになる。次のような過程を反復させつつ。

「直接的生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。この形態は、x量の商品A=y量の商品B、であった。直接的生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B、である(まだ二つの違った使用対象が交換されるのではなく、未開人のあいだにしばしば見られるように、雑多な物のひとかたまりが第三の物にたいする等価物として提供されているあいだは、直接的生産物交換もやっと始まりかかったばかりなのである)。AとBという物はこの場合には交換以前には商品ではなく、交換によってはじめて商品になる。ある使用対象が可能性から見て交換価値であるという最初のあり方は、非使用価値としての、その所持者の直接的欲望を越える量の使用価値としての、それの定在である。諸物は、それ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって手放されうるものである。この手放すことが相互的であるためには、人々はただ暗黙のうちにその手放されうる諸物の私的所有者として相対するだけでよく、また、まさにそうすることによって互いに独立な人として相対するだけでよい。とはいえ、このように互いに他人であるという関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては存在しない。その共同体のとる形態が家長制家族であろうと古代インドの共同体であろうとインカ国その他であろうと、同じことである。商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。諸物の量的な交換割合は、最初はまったく偶然である。それらの物が交換されうるのは、それらの物を互いに手放しあうというそれらの物の所持者たちの意志行為によってである。しかし、そのうちに、他人の使用価値にたいする欲望は、だんだん固定してくる。交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的必要のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらの物の生産そのものによって定まるようになる。慣習は、それらの物を価値量として固定させる。直接的生産物交換では、どの商品も、その商品の所持者にとっては直接に交換手段でああり、その非所持者にとっては等価物である。といっても、それが非所持者にとって使用価値であるかぎりでのことではあるが。つまり、交換される物品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲望にはかかわりのない価値形態をまだ受け取っていないのである。この形態の必然性は、交換過程にはいってくる商品の数と多様性とが増大するにつれて発展する。課題は、その解決の手段と同時に生まれる。商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易は、いろいろな商品がいろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行われないのである。このような第三の商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかでではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。この一般的等価形態は、それを生みだした一時的な社会的接触といっしょに発生し消滅する。かわるがわる、そして一時的に、一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。しかし、商品交換の発展につれて、それは排他的に特別な商品種類だけに固着する。言いかえれば、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類にひきつづき付着しているかは、はじめは偶然である。しかし、だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。貨幣形態は、域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品に付着するか、または域内の譲渡可能な財産の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものに付着する。遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・交換過程・P.160~163」国民文庫)

ところで、デリダはニーチェの手法をこう評している。

「ニーチェ的な意味での解釈は、いずれにしても、一つの意味の解読としての読解ではないのでして、それはテクストの活動的(アクティヴ)な変形(トランスフォルマシオン)にあるわけです。私はこの点で、つまりまさにテクストに関する点で、ニーチェの諸テクストにはまったく同感しております。ニーチェ的な意味での解釈は解釈学的な解釈ではありません」(デリダ「他者の言語」『他者の言語・P.297』法政大学出版局)

対立的な議論だけでよいと言うのなら、それこそ何度か繰り返しヘーゲルを読めば身に付くだろう。マルクスもまた随所でヘーゲル的であり、資本論序文ではマルクス自身、ヘーゲルの方法にならったと公言している。しかしニーチェがやっていることで、さらにデリダが高く評価していることは、哲学者の間で当たり前になってしまっていたヘーゲルの濫用に対して、大いにずれた場において可能となってくる「読み」の動的「変形」だ。ただ単なる弁証法の濫用だけでは理論のための理論にしかならないことに気付いていたわけだが、マルクスもまた一方でヘーゲル的ではありながらも他方でニーチェ的な動的「変形」を行っている。それは文体の変化という点で顕著だ。例えば初期マルクスと中期マルクスとではところどころに文体の変化が見られる。マルクスによる二つの文章(文体)を較べてみよう。

「《ルター》はたしかに《献身》による隷従を克服したが、それは《確信》による隷従をもってそれに代えたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復させたからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心深さから解放したが、それは信心を内面的な人間のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説・P.86」岩波文庫)

なるほどそうだ。けれども、余りにも派手なヘーゲルばりの弁証法の開示であって、その絢爛たる弁証法の華麗さに目を奪われ去ってしまいそうになる。そしてともすれば次のような、マルクス自身による極めて重要な部分をマルクスの読者がすっかり忘れ去ってしまうというだらしない結果を招く。実にしばしば「解釈学的」な「読み」に陥ってしまって同じところの自己回転を繰り返すばかりにしかならないというリスクが生じる。だがしかし、「解釈学的」でない「読み」とは一体どういう「読み」だろう。重要な部分とはどのような部分なのか。それが二つ目に上げる文章(文体)であり、同時にそれはニーチェ的だ。

「人間の思考にーーー対象的真理が到来するかどうかーーーという問題は、<ただ>理論の問題ではなく、《実践的な》問題である。実践において人間は自らの思考の真理性を、すなわち思考の現実性と力を、思考がこの世のものであることを、証明しなければならない。思考の現実性と非現実性をめぐる争いはーーー思考が実践から遊離されているならーーー純粋に《スコラ的な》問題である」(マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」マルクス=エンゲルス『ドイツ・イデオロギー・P.233』岩波文庫)

BGM