シャルリュスはモレルに対してとても寛容であると同時にとても凶悪な態度を取っている。同時に、というのは、シャルリュスのすべての身振り(振る舞い)が同時に<どちらでもある両義的(寛容かつ凶悪)>な意味を出現させずはおかないからである。しかし身振り(言葉・行動・振る舞い)というのはどこの誰が用いるにせよ同時に両義的でないことはできない。次の一節は寛容な面。「モレルは、つんと虚勢を張っていたものの、思いがけずシャルリュス氏を見かけたりすると少数精鋭の手前きまりが悪くなり、しばしば顔を赤らめ目を伏せてしまうので、男爵はそれに小説じみた空想をふくらませてうっとりした」。愛する側の弱みである。
「最初のうちは、フランスの庶民階級の男にやどる精霊が、モレルのために、飾ることのない、見るからに率直で、無私無欲から出たかと思われる独立不羈(ふき)の気概あふれる魅力的な形を描きだして、それをモレルにまとわせていたことは認めなくてはならない。それは見かけ倒しであったが、愛する男はつねに根気よく口説いたり相手を褒めそやしたりせざるをえないのにたいして、愛していない男には真っ直ぐな道をぶれることなく颯爽(さっそう)とたどるのはたやすいことであるだけに、そうした態度の利点はますますモレルに有利にはたらいた。こうした態度は、このモレルのような種族の人間の特権として、かたくなに心を閉ざしているにもかかわらずきわめて開放的な顔のなかに存在したもので、その顔には、シャンパーニュ地方のさまざまなバジリカ大聖堂に花咲いたネオ・ヘレニズムの気品がただよっていた。モレルは、つんと虚勢を張っていたものの、思いがけずシャルリュス氏を見かけたりすると少数精鋭の手前きまりが悪くなり、しばしば顔を赤らめ目を伏せてしまうので、男爵はそれに小説じみた空想をふくらませてうっとりした」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.467~468」岩波文庫 二〇一五年)
だがシャルリュスの配慮に甘えて思い上がったモレルが身にまとわせる「バジリカ大聖堂に花咲いたネオ・ヘレニズムの気品」という形容詞には注意を要する。「ネオ・ヘレニズム」は古代ギリシアのただ単なる同性愛嗜好だけでなく、マッチョ主義的男性優位性を危険要素として含むからだ。また、マッチョ主義的男性優位性の体現者は何も男性のみに限らない。有名な女性ではイギリスのマーガレット・サッチャー元首相がそうだ。ゴルバチョフの打ち出した改革開放路線を最初に絶賛した西側の代表者であり、ソ連が崩壊するやいきなり見向きもしなくなったどころか放ったらかしにして顧みずゴルバチョフに悲惨な最後を与え続けた。もっとも、今頃になってゴルバチョフの功績を讃えている日本の一部雑誌類は遥かに下劣悪質下等日和見と言わねばならないが。実際、その種の雑誌類はロシア一つ救えていない。ウクライナ支援に動くのは自由だし動く必要があるのは誰しもわかっている。だからといってウクライナ支援についてなぜかつての西側同盟国が寄ってたかってかからねばならないのか。その説明がまるでない。代わりに思想家ジジェクが一人で言わなければならないような始末である。アメリカ単独で可能だった時代はもう終わった。コモンズ(公)についての議論の場所をもっと速くもっと多く立ち上げなくてはいけないと。そうでなくては一体何のためのグローバルネットワークなのかと。
そこでプルーストはマッチョ主義的男性優位性の危険性を「バジリカ大聖堂に花咲いたネオ・ヘレニズムの気品」という形容詞を用いて読者に教えている。シャルリュスの絶大な配慮に甘えきったモレルが一方的打算から身に付けた擬態に過ぎないと。しかし老練なシャルリュスはモレルのパトロンとしてあらかじめモレルを監視下に置いている。シャルリュスがモレルに与えた大量の蔵書に記された「銘」がそれだ。「われ男爵に属す」はシャルリュスのいつもの独占欲であって珍しくない。しかしその他、「ワガ希望」、「ソワ期待ヲ裏切ルマジ」、「われ待たん」、「あるじと違わぬ喜び」、「塔ハ百合ヲ支ウ」、「最後ノモノハ天ニアリ」、「ワレ望ムハ不滅ナリ」など、これらは幾多の名門貴族が残した「銘」であり、今やそのどの「銘」もシャルリュスの身体としてモレルを包囲している。<幽閉・監禁・監視>のテーマは後に<私>がアルベルチーヌに対して実行するより先に「銘」としてそびえ立つシャルリュスによって予行演習されている。シャルリュスはばらばらに解体された上で再構築された諸記号のモザイクでもあるのだ。
「モレルがしゃべっているあいだ私は、シャルリュス氏がモレルに与えたすばらしい蔵書がすっかり部屋を埋め尽くしているのを眺めて唖然としていた。ヴァイオリン奏者が『われ男爵に属す』という銘は従僕のしるしで侮辱されているような気がすると言ってそのことばを記した本を受けとらなかったので、男爵は、かなわぬ恋がそこに歓びを見出す感傷的な技巧を凝らして、先祖伝来の銘をさまざまに変え、もの悲しい友情のそのときどきの状況に合わせた銘を製本屋に注文していたのだ。そうした銘は、ときには『ワガ希望』とか『ソワ期待ヲ裏切ルマジ』とかのように短くて信頼にあふれ、ときには『われ待たん』のように忍従をあらわし、いくつかは『あるじと違わぬ喜び』のように艶っぽいかと思えば『塔ハ百合ヲ支ウ』のように、青い色の塔とユリの花をちりばめた銘をシミアーヌ家から借用したうえで、意味をずらして純潔を推奨しているが、べつのものには絶望がこもり、この世で自分を受け入れなかった者にたいして天上で会わんと『最後ノモノハ天ニアリ』と告げている。さらにシャルリュス氏は、手の届かないブドウの房は青すぎると思いなし、手に入らなかったものは求めもしなかったふりをして、銘のひとつで『ワレ望ムハ不滅ナリ』と宣言していた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.477~478」岩波文庫 二〇一五年)
しかしなぜ「銘」なのか。プルーストは貴族の「称号」について、それは単なるシニフィアン(意味するもの)に過ぎない虚しいものだと述べている。にもかかわらず貴族の「称号」(あるいはその「銘」)の側が人間の価値を決めてしまう転倒について語っている。前に触れた通り。またコタール夫人がシャルリュスをユダヤ人と勘違いして次のように言う場面がある。そこでは称号化したり銘化したりしたステレオタイプ(紋切型)の言葉がさらなるステレオタイプ(紋切型)を呼び寄せ呼び集め、話せば話すほど逆に収拾不可能になっていく過程が述べられている。
「『とても嬉しゅうございました、あなたさまがこの地を終(つい)の棲処(すみか)とされるとうかがい、ここにあなたさまの幕ーーー』。夫人は幕屋(まくや)と言いかけたが、この語はヘブライふうでユダヤ人には不愉快な当てこすりに聞こえるような気がした。それゆえ夫人は言い直そうとして、慣れ親しんだ言いまわしのなかからべつのものを選んだが、それは仰々しい言いまわしだった、『ここに<あなたさまの家の守り神(ペナテス)>をお据えになるとうかがいましたので(この守護神もたしかにキリスト教の神ではないが、もうずいぶん死滅した宗教なので信徒もおらず、その気持ちをそこねる心配をする必要もないのだ)』」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.420」岩波文庫 二〇一五年)
コタール夫人は「幕屋(まくや)と言いかけたが」とっさに言葉を置き換えた。「幕屋(まくや)」は「出エジプト記」から。
「『住居を君は十枚の幕でつくらねばならない』」(「出エジプト記・第二十六章・P.75」岩波文庫 一九六九年)
イスラエルを想起させては危険だとして置き換えられた言葉は「<あなたさまの家の守り神(ペナテス)>」。プルーストのいうように同じく「仰々しい言いまわし」である。にもかかわらずコタール夫人にこのようなとっさの置き換えを実現させた事情は何か。「幕屋(まくや)」=「<あなたさまの家の守り神(ペナテス)>」という等価性が、まさしくその仰々しさにおいて成立する限りで、始めて交換可能な条件を得ている点に注目したいと思う。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫 一九四〇年)
言語の出現は交換の出現と共にでなくてはならなかったのである。
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