シャルリュスに見つからないようメーヌヴィルの娼館から連れ出されたゲルマント大公。その翌日の夜、今度はゲルマント大公が借りている小さな別荘でもう一度モレルと会う約束を取り付けた。別荘の内装に注目しよう。こうある。「われわれが以前ヴィルパリジ夫人邸で見かけたのと同様の偏執的な慣習を受け継いだのか、その別荘に一家の想い出の品をふんだんに飾りつけて、自分の家にいる雰囲気をつくりだしていた」。
「大公は、そこに滞在するのはわずかな期間であったが、われわれが以前ヴィルパリジ夫人邸で見かけたのと同様の偏執的な慣習を受け継いだのか、その別荘に一家の想い出の品をふんだんに飾りつけて、自分の家にいる雰囲気をつくりだしていた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.509~510」岩波文庫 二〇一五年)
ヴィルパリジ夫人とヴィルパリジ夫人邸とは別々のものだ。ヴィルパリジ夫人邸の内装はどうなっていたか。
「その壁布を背景にして、ボーヴェ織りのタピスリーを張ったソファーや立派な肘掛け椅子が、熟したフランボワーズのような紫がかったバラ色を浮かびあがらせている。そこにはゲルマント家やヴィルパリジ家の一族の肖像画と並んで、マリー=アメリー王妃、ベルギー王妃、ジョワンヴィル大公、オーストリア皇后らのーーーモデルとなった本人から贈られたーーー肖像画が掛けてある」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.31~32」岩波文庫 二〇一三年)
ヴィルパリジ夫人が何ものかはヴィルパリジ夫人邸の内装によって決まっていた。ヴィルパリジ夫人を或る種の商品とするとその価値を可視化するのはもう一方の別の商品でなくてはならない。マルクスはいう。
「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
x量の商品A=y量の商品B または x量の商品Aはy量の商品Bに値する。(亜麻布20エレ=上衣1着 または二〇エレの亜麻布は一着の上衣に値する)。
1価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態
すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちにひそんでいる。それゆえ、この価値形態の分析には固有の困難がある。
ここでは二つの異種の商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着は、明らかに二つの違った役割を演じている。リンネルは自分の価値を上着で表わしており、上着はこの価値表現の材料として役だっている。第一の商品は能動的な、第二の商品は受動的な役割を演じている。第一の商品の価値は相対的価値として表わされる。言いかえれば、その商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価物として機能している。言いかえれば、その商品は等価形態にある。
相対的価値形態と等価形態とは、互いに属しあい互いに制約しあっている不可分な契機であるが、同時にまた、同じ価値表現の、互いに排除しあう、または対立する両端、すなわち両極である。この両極は、つねに、価値表現によって互いに関係させられる別々の商品のうえに分かれている」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.94」国民文庫 一九七二年)
さらにヴィルパリジ夫人の価値はその邸宅の内装に用いられている無数の商品との交換関係によってますます可視化され増大する。
「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第三節・P.118~120」国民文庫 一九七二年)
このようにヴィルパリジ夫人はヴィルパリジ夫人邸の豪華な内装の側から夫人自身の価値を付与される形を取っていた。しかし以前に述べたようにシャルリュスからヴィルパリジ夫人の出自とその邸宅の演出について聞かされた<私>は、「ヴィルパリジ夫人がチリヨン夫人にすぎないと知って、夫人のサロンに出入りする雑多な顔ぶれを見たときから私の脳裏に芽生えていた夫人の凋落は決定的となっ」ていた。
「ヴィルパリジ夫人がチリヨン夫人にすぎないと知って、夫人のサロンに出入りする雑多な顔ぶれを見たときから私の脳裏に芽生えていた夫人の凋落は決定的となった。爵位や家名さえごく近年になって得た女が、王族との親交のおかげで、同時代の人びとに自分を実物以上に立派なものに見せることができ、後世の人びとにもそう見せるのは、私には不当なことに思われた。夫人が私の幼いときにそう見えた状態に戻って貴族とはまるで無縁の人になった以上、夫人を取り巻く高貴な姻戚関係もまた私には夫人とは無縁なものである気がしてきた」(プルースト「失われた時を求めて6・第三篇・二・一・P.274」岩波文庫 二〇一三年)
そこで「爵位や家名さえごく近年になって得た女が、王族との親交のおかげで、同時代の人びとに自分を実物以上に立派なものに見せることができ、後世の人びとにもそう見せるのは、私には不当なことに思われた」とある。プルーストが「称号」(名前)をシニフィアン(意味するもの)とし、そのシニフィエ(意味されるもの・意味内容)がころころ置き換えられていく無数の人間でしかないという虚無性について述べている通りだ。
「かくして称号と名前とは同一であるから、なおもゲルマント大公妃なる人は現存するが、その人は私をあれほど魅了した人とはなんの関係もなく、いまや亡き人は、称号と名前を盗まれてもどうするすべもない死者であることは、私にとって、その城館をはじめエドヴィージュ大公女が所有していたものをことごとくほかの女が享受しているのを見ることと同じくらい辛いことだった。名前の継承は、すべての継承と同じで、またすべての所有権の簒奪と同じで、悲しいものである。かくしてつねに、つぎからつぎへと途絶えることなく新たなゲルマント大公妃が、いや、より正確に言えば、千年以上にわたり、その時代ごとに、つぎからつぎへと相異なる女性によって演じられるただひとりのゲルマント大公妃があらわれ、この大公妃は死を知らず、移り変わるもの、われわれの心を傷つけるものなどには関心を示さないだろう。同じひとつの名前が、つぎつぎと崩壊してゆく女たちを、大昔からつねに変わらぬ平静さで覆い尽くすからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.98~99」岩波文庫 二〇一九年)
それが可能なのはなぜか。一方に或る「称号」(名前)を、もう一方に別の人間を置くこと。その瞬間、何が起こるのか。
「人間が彼らの労働生産物を互いに価値として関係させるのは、これらの物が彼らにとっては一様な人間労働の単に物的な外皮として認められるからではない。逆である。彼らは、彼らの異種の諸生産物を互いに交換において価値として等値することによって、彼らのいろいろに違った労働を互いに人間労働として等値するのである。彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行う」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・第四節・P.138」国民文庫 一九七二年)
そして人間同士の場合であってもこの交換行為を可能にしている条件とは何か。ニーチェはいう。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)
人間は「風習の道徳と社会の緊衣との助けによって」、ますますただ単なる記号になっていく。シニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの・意味内容)とに分裂していく。さらにシニフィエ(意味されるもの・意味内容)は無限に置き換え可能である。すると例えば、人間が土地と家屋とを所有しているのではもはやなく、逆に土地と家屋との側が人間の価値を決定するということが常態化してくるし常態化している。プルーストが言っているのはそういうことだ。ゆえにヴィルパリジ夫人はその邸宅と内装とによって、ゲルマント大公もその邸宅と内装とによって、始めて違和感を払い除けることができる。
さてモレルだが、ゲルマント大公の別荘の中へ案内されると仰天してしまう。部屋の内装に「一家の想い出の品をふんだんに飾りつけて、自分の家にいる雰囲気をつくりだしていた」だけでなく、なおかつその中に「シャルリュス氏の写真」があり「異様なまなざしをじっと自分に注いでいるように見え」たからである。モレルはとっさに我に帰ると「これはシャルリュス氏が自分の忠誠を試すために仕掛けて自分をおびき寄せた罠であると想いこみ、転がるように別荘の階段を駆けおりると、一目散に街道を走りだした」。
「マントルピースのうえに置かれた数々の写真が、ヴェイオリン奏者がシャルリュス氏のところで目にした覚えのあるもので、これはゲルマント大公妃、これはリュクサンブール夫人、これはヴィルパリジ夫人とわかる写真にまず目をとめたモレルは、あまりの恐怖に立ちすくんだ。と同時に、すこし奥にあるシャルリュス氏の写真にも気がついた。男爵は、異様なまなざしをじっと自分に注いでいるように見える。恐ろしくて縮みあがったモレルは、最初の茫然自失のていからわれに返ると、これはシャルリュス氏が自分の忠誠を試すために仕掛けて自分をおびき寄せた罠であると想いこみ、転がるように別荘の階段を駆けおりると、一目散に街道を走りだした」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.510」岩波文庫 二〇一五年)
モレルが逃げ出してしまうとモレルのために用意したサロンにはもう人っ子一人いなくなる。そこへ入ってきたゲルマント大公。もぬけの殻になっているサロンを見て驚く。「大公は、これは泥棒ではないかと拳銃を握りしめ、従僕といっしょに、さして広くもない屋敷中を探しまわり、小さな庭の隅々や地下室まで隈なく調べたが、たしかに来ていたはずの相手のすがたは跡形もなく消えていた」。
「ゲルマント大公が(行きずりの知り合いに必要なことは教えておいたつもりであったが、それでも用心深くやれただろうか、あれは危険な男ではないだろうかと心配したあげく)サロンにはいってきたとき、もはやだれもいなかった。大公は、これは泥棒ではないかと拳銃を握りしめ、従僕といっしょに、さして広くもない屋敷中を探しまわり、小さな庭の隅々や地下室まで隈なく調べたが、たしかに来ていたはずの相手のすがたは跡形もなく消えていた」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.510~511」岩波文庫 二〇一五年)
ゲルマント大公から見ればモレルは不審者に見え、モレルから見ればゲルマント大公はシャルリュスの仕掛けた深謀遠慮の共犯者に見える。モレルにとってシャルリュスは他にいない絶大なパトロンである。だからシャルリュスに疑われているという疑念から何としてでも逃走しなくては気が気でない。ゆえに「疑念に凝りかたまったモレルは、二度とその疑念を追い払うことができず、パリでもゲルマント大公を見るだけで遁走した」し、「遁走」するほかなくなってしまった。
「大公はつぎの週、モレルに何度も出会った。しかしそのたびに、危険な男であるはずのモレルのほうが、まるで大公のほうが自分よりも危険な男であると言わんばかりに逃げ出した。疑念に凝りかたまったモレルは、二度とその疑念を追い払うことができず、パリでもゲルマント大公を見るだけで遁走した」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.511」岩波文庫 二〇一五年)
しかしそんなこととは露知らずのシャルリュス。モレルが他の男性と浮気していると絶望していた。ところがモレルの勘違いゆえシャルリュスは「手の打ちようがないと絶望していた不実から守られ、そんなこととはつゆ想わず、とりわけどうしてそうなったかも知らないまま、復讐をとげていたのである」。
「かくしてシャルリュス氏は、手の打ちようがないと絶望していた不実から守られ、そんなこととはつゆ想わず、とりわけどうしてそうなったかも知らないまま、復讐をとげていたのである」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.511」岩波文庫 二〇一五年)
シャルリュスは「どうしてそうなったかも知らないまま」、結果的に「復讐をとげていた」ことになる。だがしかし「知らない」にもかかわらず「復讐をとげていた」ということがシャルリュスの「意識にのぼってくる」のはどのようにしてか。
「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)
シャルリュスにとってこの因果連関がまるで必然性を持たない限りで、まったく何らの因果連関も「知らない」という条件のもとで、始めて「復讐」は果たされる。シャルリュスから見てもモレルから見てもゲルマント大公から見ても、仕組みは支離滅裂であり、シャルリュスからもモレルからもゲルマント大公からもそれぞれ違って見えていなくてはならない。
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