白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて72

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。

 

琵琶湖の湖西はとりわけ地蔵の多い土地柄です。なかでも有名なものに「坂本六地蔵(さかもとろくじぞう)」と呼ばれる六体の地蔵があります。昨日に引き続き今日もそのうちの二体を見に行きたいと思います。今回目印となるのは二体とも大きなもの。しかし地蔵そのものを見つけるのは少しばかりむずかしいかもわかりません。まずは駅から。

 

「名称:“JR比叡山坂本駅”」(2022.10.30)

「秋風の吹(ふき)わたりけり人の顔」(鬼貫)

 

下車してすぐ北西の交差点角にあるハナミズキの茂み。

 

 

「名称:“ハナミズキ”」(2022.10.30)

「牧へとぶ木葉にあらぬ小鳥かな」(飯田蛇笏)

 

ハナミズキの枝葉の先に有名な大型スーパーのロゴが見えます。ロゴを目指して歩いてみましょう。

 

「名称:“ハナミズキ”」(2022.10.30)

「暮れしところに泊(とま)ろう稲架(はざ)も黄(き)なる里」(荻原井泉水)

 

スーパーのさらに北隣までやって来ました。駐車場出入口の脇に当たるため車に気をつけて。

 

「名称:“阿波羅屋地蔵(あばらやじぞう)”」(2022.10.29)

「山は暮(くれ)て野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)哉」(蕪村)

 

もう少し近づいてみましょう。阿波羅屋(あばらや)はもともと真言(しんごん)の「アラハシヤナ」から名づけられたと言われています。

 

「名称:“阿波羅屋地蔵(あばらやじぞう)”」(2022.10.29)

「秋の夜をひとりや鳴きて明かさましともなふ虫の声なかりせば」(西行)

 

さて次は?もう一度スーパーの南側へ戻ります。この辺りで最も大きな河川があります。

 

「名称:“大宮川(おおみやがわ)”」(2022.10.29)

「鶺鴒(せきれい)や飛石ほしき朝の川」(井月)

 

橋にプレートが見えます。

 

「名称:“大宮川(おおみやがわ)プレート”」(2022.10.29)

「朝霜に野鍛治(のかぢ)が散火(ちりび)走る哉」(一茶)

 

大宮川に架かる橋は幾つかあります。差し当たり日吉大社(ひよしたいしゃ)へ向かう日吉参道を目指します。この橋の場合、「鹿道(しかみち)5号橋(ごごうきょう)」とあります。「鹿道(しかみち)」は付近の旧地名。かつては山岳地帯から降りてきた鹿がときどき出没していたようです。JR湖西線は冬になると大雪で止まることがしばしばあります。だけでなく山と山の間を線路が走っている箇所で鹿と衝突して止まることが今なおあります。

 

「名称:“鹿道(しかみち)5号橋(ごごうきょう)プレート”」(2022.10.29)

「柴の戸やさしも寂しき深山べの月ふく風にさを鹿のこゑ」(後鳥羽院)

 

日吉参道をてくてくのぼって行きます。ずいぶん紅葉してきた木もあります。

 

「名称:“モミジ”」(2022.10.29)

「陶の神祭りや山の薄紅葉」(中村祐子)

 

ようやく日吉大社に着きました。ですが、そのすぐ手前左に道標が見えます。

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)道標”」(2022.10.29)

「木兎(みみずく)の独(ひとり)わらひや秋の昏(くれ)」(其角)

 

地元の小中高校生もほとんど気づかないようなお地蔵さん。なるほど見た目は地蔵堂に見えないかも知れません。六角形の堂舎です。

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)”」(2022.10.29)

「石越ゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の渓間に」(若山牧水)

 

「名称:“早尾地蔵(はやおじぞう)”」(2022.10.29)

「百舌(もず)に顔切られて今日が始まるか」(西東三鬼)

 

二〇二二年十月二十九日~三十日撮影。

 

参考になれば幸いです。

 


Blog21・相異なる無数の諸要素のせめぎ合いとしての<私>/「海」としてのアルベルチーヌの「青い目」

2022年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

<私>を構成する要素をどこまでも微細な部分にまで分割するとしよう。おそらく無数の要素を見出すことができるに違いない。しかしどんな諸個人も永遠に不滅の存在ではいられない。すべての要素がいずれはだんだん死滅していく。としてもなお「最後まで生き残る」要素というものを考えることはできる。例えばそれは、「コンブレーのメガネ屋がショーウインドーに飾っていた、陽が射しはじめると頭巾(ずきん)をぬぎ、雨が降りそうになると頭巾をかぶって天気を告げるあの小さな人形とそっくりの例の小人ではなかろうか」と。

 

「しかしときに私は、あらゆるもののなかで最後まで生き残るのは、コンブレーのメガネ屋がショーウインドーに飾っていた、陽が射しはじめると頭巾(ずきん)をぬぎ、雨が降りそうになると頭巾をかぶって天気を告げるあの小さな人形とそっくりの例の小人ではなかろうかと考えた」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一六年)

 

<私>は<私>がどこまでも分割可能な無数の諸要素から構成されていることを承知している。とともに、「この小人がいかに身勝手な存在であるかは、私自身がよく心得ている」というように、あらゆる要素がどれもまるきり同一なのでは全然ないと述べる。むしろ「この小人」は<私>の「心中のほかの『自我』」とは異なっていて、同一性とはまるで逆に「私が最期の息をしているときでも、ひと筋の陽の光さえ射してくればいたってご機嫌で、頭巾をぬいで『ああ、やっと晴れたぞ』と歌いだすだろう」と差異性を強調する。

 

「この小人がいかに身勝手な存在であるかは、私自身がよく心得ている。私がときに見舞われる息詰まりの発作は雨が降らないかぎり治らないが、この小人はそんなことにはお構いなく、私が待ちかねていたお湿りの最初の滴(しずく)がぱらぱらと落ちてくると、とたんに快活さを失い、仏頂面をして頭巾をかぶってしまう。それにひきかえこの晴雨計の小人は、私がたとえ臨終のときを迎え、心中のほかの『自我』がことごとく死滅し、私が最期の息をしているときでも、ひと筋の陽の光さえ射してくればいたってご機嫌で、頭巾をぬいで『ああ、やっと晴れたぞ』と歌いだすだろう」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.28」岩波文庫 二〇一六年)

 

というのも、どの要素もまったく同一であるとすれば、もとより<私>を構成する要素はたった一つでことたりるからだ。しかし事実はそうではない。相異なる無数の諸要素が<私>という一つの身体の中でせめぎ合っているばかりか、そもそも中心を持たない「可変的」なものであり、時々刻々と「絶えず変化」しているからである。ニーチェの言葉ではこうなる。

 

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

アルベルチーヌの身体的変化の一つに「切れ長の青い目はーーーいっそう長くなってーーーもとの形をとどめてはいなかった」とある。「切れ長の青い目」。その青さに焦点を合わせて<私>は思う。「その色はたしかに同じであったが、目はいまや液体と化したように見えた」。そして「それゆえアルベルチーヌが目を閉じると、カーテンが閉まって海が見えなくなるような気がした」。

 

「肉体的にもアルベルチーヌは変化していた。切れ長の青い目はーーーいっそう長くなってーーーもとの形をとどめてはいなかった。その色はたしかに同じであったが、目はいまや液体と化したように見えた。それゆえアルベルチーヌが目を閉じると、カーテンが閉まって海が見えなくなるような気がした」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.40~41」岩波文庫 二〇一六年)

 

アルベルチーヌは小鳥になったり植物になったり何かとせわしないが、その「青い目」は「海」になりもするのだ。