「パリの顔が・・・・の巻」
フランス銀行の窓口に日本円を出した。
行員は当たり前のように受け取り、機械にかけた。
そして、数種類のフラン札(当時はユーロではなかった)と小銭、
為替レート票と思われるレシートを渡した。
私は経理学校出身だ。授業にお札の数え方、というのがある。
だから、素人にしてはお札の数え方は、うまかった。
銀行員は私のお札の数え方を見て、苦笑いしていた。
べつの行員は、千枚通しのようなもので、お札に穴を開け、
こよりで束ねていた。
日本の銀行員がみたら卒倒しそうな光景だ。
これでもフランス銀行とは、日本でいう日本銀行である、念のため。
タクシー乗り場からタクシーに乗った。
中古のベンツだった。こんな形でベンツに乗ろうとは思わなかった。
アラブ系の運転手だった。ちょっとシートが硬かった。
でもいい、腐っても鯛、中古でもベンツだ。
ドアが開くのを待っていたら、運転手がやってきて、手で開けてくれた。
ドアが自動なのは日本だけみたいだ。えらい恥をかいた。
空港からパリ市内までは電車だと4~500円くらいなのだが、
もう人ごみはかんべんしてほしいと思ったので、タクシーにした。
タクシーの運転手にホテルのカードを見せた。
運転手は「オテル・・シャロン・・・パリ・・・ウィ!」と言って車を走らせた。
日本のタクシーは距離で課金するが、フランスのタクシーはそれに
加えてエリア制をとっているようだ。
ドゴール空港エリアからパリエリアへは違うエリアをまたぐので、割り増し
料金だ。どんどんメーターが上がる。
長距離になると割り増し?日本ではちょっと考えにくいことだ。
あっ!パリに入った。
なぜ、わかったか?
だって、タクシーが凱旋門のロータリーを半周したもの。
なんというあっけない、「出会い」だろう。
凱旋門はパリの顔だ。
もっとドラマチックにセンセーショナルに出会いたかった。
地図をみると、たしかに空港からホテルにいくにはこのルートなのだが・・
私の泊まるホテルは「シャトー・フロンテナック」というところだ。
シャトーというからには、昔、貴族の居城だったのかもしれない。
シャンゼリゼ通りから1本南という絶好の場所にあった。
代理店からもらったパンフレットには誇らしげに星が四つ付いていた。
四つ星以上は四つ星デラックスしかない。
例のダイアナ妃で有名な「ホテル・リッツ」クラスだ。
これは四つ星でも期待できるぞ。
トラの巻「地球の歩き方」で調べてみた。
四つ星の条件
「各部屋にバス・トイレがあること」
「・・・・なぬ」
そんなもんなのか?素泊まり660フラン(13,200円)はけっして安い
金額だとは思わないのだが。
やっと、ホテルに着いた。けっこう古くて趣のある建物だ。
もっともパリ市内は、外観条例であまり奇抜な建物はないのだ。
フロントに向かった。
フロントにパスポートとホテルの予約票を提示して、
「アイ・ハド・リザベーション・アト・・・」
と言ったところで、言葉につまってしまった。
すかさずフロントの係員は「トーキョー」と言った。
「なんだ、知ってるならきくなよ」と思ったが、パスポートに大きく
「JAPAN」と書いてあれば、少し教養のある人だったらわかるわけだ。
部屋は301号室だった。
でも、4階なのである。
ヨーロッパは1階はG(グランド・フロアー)で、2階が1Fである。
だから、4階で301号室なのである。昔、学校でならった覚えがある。
フロントで手続きを終えると、ボーイが部屋まで荷物を運んでくれた。
ヨーロッパではチップをあげなければならない、と聞いていたので、
経験のない私は「はて、いくらあげればいいのだ?」と考えてしまった。
ポケットに手をつっこんだら、10フラン硬貨があったので、きりがいい
から、という安易な考えでこれを渡すことにした。
ヨーロッパといえども、今やサービス料込みが普通だ。
パンフレットにもそう書いてあるし、ボーイも最初は拒んでいた。
しかし、お金をあげる、といわれていつまでも拒否してる人はいない。
ボーイも最終的には受け取った。
やはり、本音と建前というのがあるらしい。
チップをあげたほうが、結果的にはよく働いてくれるようである。
しかし、このことがあとの「御用ありませんか?騒動」に発展する。
荷物を置いた私はさっそく出かけることにした。
パリの街の写真を撮る、ルーブルを生で見る、この2つの目的を
果たすため、その他のことは早く済ませようと思ったからだ。
どこに行こうか?もう夕方だ。
一番近い、凱旋門にしよう。私はシャンゼリゼ通りを歩きだした。
目の前に凱旋門が現れた・・・が、工事のカバーが、架かっていた。
「がーん、なんたること!」
工事だとしても、修理だとしても、なんで今なんだ。
しかたなく、工事のカバーが架かった凱旋門を写真に撮って帰った。
でも、日本のように、汚いカバーではなく、三色旗のカバーだった
ことが、せめてもの慰めだった。
私が帰るまで、このカバーが外れることはなかった。
がっかりして部屋にもどると、部屋に何かの申込用紙が大量に置いてあった。
「なになにプチ・デジュネ(朝食)か・・・」
「そーいえば、ここは飯代は別だからな・・・・」
「55フランか・・・・ふーん、どれどれ、パン・・カフェオレ・・・サラダ・・・」
適当にチェックをし、サインをしてドアノブに下げておいた。
翌朝、係の人が回収して朝食を持ってくるのだろう。
フロントが夕食はどうするか、聞いてきた。
なぜか食べたい気にならなかったので、断った。
テレビでフランス語のキャンディ・キャンディをやっていた。
つまらんな、疲れたし、もう寝よう。
窓が開いてるけど、4階だ、だれも入ってこないだろう。
エアコンがないからちょうどいいや。
勝負は、明日からだ。
こうしてパリ第一日目は終了した。