ABE GUITARS

ギター・ウクレレ制作
フレット楽器全般 修理調整

Waste Side Story

2018年05月06日 | トム・リベッキー


この17インチアーチトップ用のサイドユニットは、ここまで作ったにも関わらず、長年放置してきました。というのも、長い話というか曰く付きというか、どう活用すべきなのかが正直わからなかったのです。が、このサイドユニットを使って作りましょう!と言って下さる方がいらっしゃいましたので、とうとう日の目を見ることになりました。

話というのは、トム・リベッキーの工房での日々に遡ります。本当に長い話ですが…。

その頃は基本的に、指導を受けつつギター制作の一部を任せられたり、時々依頼のあるリペアの仕事をやったり、時には工房の大工仕事もやったり、という日々を送りながら、いろいろと鍛えてもらっていましたが、技術向上のためにも「自分のデザインで作ってもいいですか?」「ああ、いいよ」という事になり、デザインし図面を画き、制作を始めました。とは言え見習いの身として優先されるべきは当然彼の仕事。その合間にボチボチとトップを作り、バックを作り、サイドユニットを作り…と微々たる歩みでしたが進めていきました。

リベッキーは長いキャリアの中で、複数の人と仕事をしている期間の方が圧倒的に多いのですが、私が行った時は、たまに手伝いに来る人はいたものの、常時仕事をしている人はおらず、ちょうどエアーポケットに入ったような感じで、彼の指導を独り占めできた、非常に貴重で稀な機会だったのだと、今更ながら改めて思います。

そういう訳で、ほぼ一日中マンツーマン指導、特に初めのひと月は、工房の敷地内にあるリベッキーの家で寝泊まりしていましたから、四六時中一緒にいた感じです。一緒に住む予定は全く無かったのですが、受け入れてくれるはずだったホストファミリーが私の渡米直前に離婚し、新たに探す時間的余裕はなかったので「とりあえず俺のところに住んで、それからボチボチ探そうよ」という事になったのです。

その後、彼は「日本人の若者が私のところにギター制作の勉強に来ていて、ホストファミリーを探しているんだけど、お願いできませんか?誰にとっても、自分のボスと一緒に暮らすのはハードでしょ?日本文化に触れるいい機会でもありますよ」といった趣旨の手紙を書いてくれて、一緒に近所に配りに行きました。近所と言ってもかなり広範囲で、100軒くらい配ったと思います。他にも商工会議所に行ったり、友人知人に聞いてくれたりとか、いろいろ骨を折ってもらって、そのおかげで、歩いて10分弱くらいのワイナリーのゲストハウスに間借りすることができ、師匠と共に寝起きする日々は終わりを告げました。それでも、自分の車を持つまでは、どこに行くにもリベッキーに連れて行ってもらうしかなかったですし、いろいろ相談できる人は基本的には彼しかいなかったので、本当に親代わりに面倒を見てもらった、という感じです。

半年くらい経つと、日常的な事にも技術的な事にもだいぶ慣れて、車を持って自由に動けるようになったり友人知人もボチボチとできたりすると、だいぶ過ごしやすくなって、環境的にはかなり恵まれてはいたのですが、やはり言葉や文化の壁があり、食べ物も合わなかったりで、次第に胃の調子がおかしくなり始め、痛みとか不快感を感じるようになっていました。紹介してもらってヒールズバーグの町医者にしばらく通ってみたものの、症状を的確に伝えきれないこともあるためか、今一つ改善しませんでした。そこで、サンフランシスコに居る日本語OKの中国人医師を受診することに決めて、週一くらいで通うことになりました。ちなみに、ヒールズバーグからサンフランシスコまでは、余裕を見て車で2時間くらい、行くとなったら半日では厳しいので、丸一日必要でした。

何度目だったか忘れましたが、夕方サンフランシスコから帰り工房に入って、受診の状況等を説明しようとしたところ、リベッキーがすまなそうに「実は、謝ることがあるんだ…」と話し始めました。何事かと思いきや、作業を進めていた私のサイドユニットを割ってしまったというのです!



この写真は当時撮ったものですが、天井の梁にモールドや(自作のものではない)古い安いギターをオブジェとして引っ掛けているのが常でした。私のサイドユニットも、ご多分に漏れず引っ掛けていたのですが、何かの拍子にぶつかって落としてしまったようでした。

平謝りする師匠に悪気があるわけではないし、世話になっているわけだし怒るわけにもいかず、仕方ないねで終わりましたが、リベッキーはすぐに気を取り直し「これで、いいシンラインのギターを作ろう!」と言って、木目に沿って割れた部分をテーブルソーで切り落とし、薄くしてしまいました。通常は3インチくらいある幅が、2インチになりました。



その後、木目を横断した割れを補修し、ライニングと割れ止めをやり直し、シンライン用のサイドユニットになったのです。



しかし、本来は通常の厚みで作る計画だったので、別の材料で新たにサイドユニットを作り、ギターを完成させました。それが#004 "インプレッション" です。

シンラインのサイドユニットは、その後の展望があるような無いような状態で日本に持ち帰りました。活用する術を探しながらも、なかなかそのきっかけをつかめないままま、時間だけが過ぎていきましたが、ここにきてようやく、無駄になりかけた努力が報われて、復活の日が訪れました。リベッキーとオーダーいただいた方に、改めて感謝申し上げたいと思います。

蛇足ですが、その時の胃の不調は投薬だけでは改善せず、結局内視鏡検査を受けることになりました。これまたリベッキーに丸一日付き合ってもらってサンフランシスコに行き、通っていた医師とは違う、日本語の通じない中国人医師に検査してもらいました。人生初の内視鏡検査で結構ビビッている私を、黒人看護婦がやさしく励ましてくれました。結果は、全く問題なし。精神的なものじゃないの?で終わってしまいました。結局のところ何が原因だったのかは、今でもわかりません。
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Inspired?

2017年09月09日 | トム・リベッキー
師であるトム・リベッキーはギター界の大御所で、常に忙しい人なので、メッセージを送ってもめったに返事は来ませんが、サイトを新しくしたことを知らせたら"Beautifl site, great work. I am inspired by your work."というコメントをもらいました。

inspireには、辞書的には「(感動を)呼び起こす」とか「霊感を与える」とかいう訳語が当てられていますが、いまいちしっくりこない感じで、「触発する」「刺激する」くらいの訳が妥当と考えます。

リベッキーの仕事に触発されてやってきて、常に判断の基準は「リベッキーならどうするか?」なので、まだまだと思う事ばかりですが、 "I am inspired"と言われると、何かしら認めてもらえたような気がして(単純ですが)、方向性としては間違ってはいなかったんだろうな、と思ったのでした。



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200年後

2012年03月18日 | トム・リベッキー
「こんなもんでいいでしょ?」的な仕事をしない(したくない)という姿勢は、トム・リベッキーから学びました。

詳細は忘れましたが、何かの工程をやる時にいろいろ状況を説明して「ここは、こういう具合に妥協するしかないんじゃないの?」と案を出したら、返ってきた答えは“I hate compromise!(妥協したくない)”でした(直訳すれは「妥協を憎んでいる」なので、かなりきつい表現です)。

ギターの内部をどの程度綺麗に仕上げるかの話をした時も「見えない部分でも手を抜かない、何故なら、200年後に誰かにリペアされた時に、いい加減な仕事をしていた奴だと思われたくないからね」「…(絶句)」

師の辞書に「こんなもんで」はありませんでした。
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トム・リベッキー 雑誌記事の件

2009年03月11日 | トム・リベッキー
師匠であるトム・リベッキージャズギターブックに紹介された件、一部表現が翻訳の間違いなのか、それとも構造自体に変更があるのかを、本人に直接問い合わせていましたが、ようやく返事をもらいました。核心部分、原文そのまま転載します。

The article is wrong I use the same truss rod and graphite system that you learned about here, just not a good translation in the article, I thought they did a good job with the rest of it.

1本のトラスロッドを挟む形で2本のカーボンファイバーを使って補強、というシステムに変わりはなく単純な誤訳だろう、ということで、取材自体には満足している感じです。
リベッキーは早口で話す時も多々あり、日本人にとっては聞き取りにくいのは確かです。ましてや技術的な内容に関してはある程度の知識と経験がなければ理解のしようがないので、誤訳は致し方ないのかもしれません。

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トム・リベッキー 雑誌に紹介されています

2009年01月26日 | トム・リベッキー
アメリカ修行時代の師匠であるトム・リベッキーがジャズギターブック20(シンコーミュージック刊)の特集で取り上げられています。日本のギター雑誌でリベッキーの特集が組まれるのは、おそらくこれが初めてだろうと思います。彼の経歴や理念がコンパクトにまとめられていてるいい記事だと思いましたが、ネックの構造を説明した部分には疑問を感じました。
「(ネックの)中心をカーボンファイバーで補強し、2本のトラスロッドシステムが標準仕様になっている」というくだりは、ベースの場合であれば理解できるのですが、ギターでトラスロッドが2本入っているケースはかなり稀です(これまでの経験では、リッケンバッカーの12弦でしか見たことがありません)。「中心のトラスロッドの両脇に2本のカーボンファイバーを埋め込むことで補強したネックが標準仕様」というのが正確な表現ではないかと思います。少なくとも、私がリベッキーの工房にいた時には、そのような仕様でした。この10年の間に変えた、とも取れますが、普通に考えて、そういうことはないんじゃないか、と思います。翻訳がよくなかったのか、或いは構造に関する理解の不足か、それとも本当にそうなのかも。考えてもわかるはずもなく、真相は本人に聞くのが一番、ということで現在問い合わせ中です。多忙な人なので、返事はいつになるかわかりませんが、わかり次第お知らせします。
その結果

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Tom Ribbecke's workshopでのバフがけ修行

2009年01月13日 | トム・リベッキー
Gibson custom koaのペーパー・バフがけに少々苦慮しておりますが、対象そのものの原因も当然ありますが、それにプラスして「自分のこだわり」の部分も多々あるように思います。それは、トム・リベッキーのもとで、ビシバシと鍛えられたからにほかなりません。特に塗装、特にバフがけは尋常ではありませんでした。そつなくこなしてOKかと思いきや、チェックを受けると「ここにキズがある」「ここにへこみが」との指摘。普通に見たら、何もない。しかし、いろんな角度から、嘗め回すように見ると、何となく僅かなキズみたいなものとか、うっすらと窪みみたいに見える部分が見えなくもない。「…もしかして、これッスか」(もちろん英語なのでこんな言葉は使いませんが、心情として)「その通り」「ここまでやるンスか」「それがハイエンドギターというものだ」「…」こんな感じでやっていました。そんな経験を重ねたお陰で、塗装はもとより全工程において「クオリティの高さ」を身をもって実感し、「審美眼」を養うことができました。目指すクオリティを実現できる技術は一朝一夕には身につかず、自身の能力の無さに愕然とする日々ですが、リベッキーの指南のもとで「道標」を得ることができたのだと思っています。
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渡米から10年

2008年12月20日 | トム・リベッキー
私はアメリカのギター制作家トム・リベッキーのもとで1年半ほど修行してきました。渡米したのは98年11月15日。あれから10年がたちました。言葉はわからない、技術はない、食べ物は合わない…三重苦四重苦でしたが、師匠のトム・リベッキーをはじめ、理解ある皆さんに支えて頂き、最良の経験を積ませてもらったと思います。思い起こせばいろいろありました。思い出話も、今後時々綴ってみたいと思います。そんなことより、今の話をしなければいけないのですが。でも、10年ってことで、少し感慨にふけっております。

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