この17インチアーチトップ用のサイドユニットは、ここまで作ったにも関わらず、長年放置してきました。というのも、長い話というか曰く付きというか、どう活用すべきなのかが正直わからなかったのです。が、このサイドユニットを使って作りましょう!と言って下さる方がいらっしゃいましたので、とうとう日の目を見ることになりました。
話というのは、
トム・リベッキーの工房での日々に遡ります。本当に長い話ですが…。
その頃は基本的に、指導を受けつつギター制作の一部を任せられたり、時々依頼のあるリペアの仕事をやったり、時には工房の大工仕事もやったり、という日々を送りながら、いろいろと鍛えてもらっていましたが、技術向上のためにも「自分のデザインで作ってもいいですか?」「ああ、いいよ」という事になり、デザインし図面を画き、制作を始めました。とは言え見習いの身として優先されるべきは当然彼の仕事。その合間にボチボチとトップを作り、バックを作り、サイドユニットを作り…と微々たる歩みでしたが進めていきました。
リベッキーは長いキャリアの中で、複数の人と仕事をしている期間の方が圧倒的に多いのですが、私が行った時は、たまに手伝いに来る人はいたものの、常時仕事をしている人はおらず、ちょうどエアーポケットに入ったような感じで、彼の指導を独り占めできた、非常に貴重で稀な機会だったのだと、今更ながら改めて思います。
そういう訳で、ほぼ一日中マンツーマン指導、特に初めのひと月は、工房の敷地内にあるリベッキーの家で寝泊まりしていましたから、四六時中一緒にいた感じです。一緒に住む予定は全く無かったのですが、受け入れてくれるはずだったホストファミリーが私の渡米直前に離婚し、新たに探す時間的余裕はなかったので「とりあえず俺のところに住んで、それからボチボチ探そうよ」という事になったのです。
その後、彼は「日本人の若者が私のところにギター制作の勉強に来ていて、ホストファミリーを探しているんだけど、お願いできませんか?誰にとっても、自分のボスと一緒に暮らすのはハードでしょ?日本文化に触れるいい機会でもありますよ」といった趣旨の手紙を書いてくれて、一緒に近所に配りに行きました。近所と言ってもかなり広範囲で、100軒くらい配ったと思います。他にも商工会議所に行ったり、友人知人に聞いてくれたりとか、いろいろ骨を折ってもらって、そのおかげで、歩いて10分弱くらいのワイナリーのゲストハウスに間借りすることができ、師匠と共に寝起きする日々は終わりを告げました。それでも、自分の車を持つまでは、どこに行くにもリベッキーに連れて行ってもらうしかなかったですし、いろいろ相談できる人は基本的には彼しかいなかったので、本当に親代わりに面倒を見てもらった、という感じです。
半年くらい経つと、日常的な事にも技術的な事にもだいぶ慣れて、車を持って自由に動けるようになったり友人知人もボチボチとできたりすると、だいぶ過ごしやすくなって、環境的にはかなり恵まれてはいたのですが、やはり言葉や文化の壁があり、食べ物も合わなかったりで、次第に胃の調子がおかしくなり始め、痛みとか不快感を感じるようになっていました。紹介してもらってヒールズバーグの町医者にしばらく通ってみたものの、症状を的確に伝えきれないこともあるためか、今一つ改善しませんでした。そこで、サンフランシスコに居る日本語OKの中国人医師を受診することに決めて、週一くらいで通うことになりました。ちなみに、ヒールズバーグからサンフランシスコまでは、余裕を見て車で2時間くらい、行くとなったら半日では厳しいので、丸一日必要でした。
何度目だったか忘れましたが、夕方サンフランシスコから帰り工房に入って、受診の状況等を説明しようとしたところ、リベッキーがすまなそうに「実は、謝ることがあるんだ…」と話し始めました。何事かと思いきや、作業を進めていた私のサイドユニットを割ってしまったというのです!
この写真は当時撮ったものですが、天井の梁にモールドや(自作のものではない)古い安いギターをオブジェとして引っ掛けているのが常でした。私のサイドユニットも、ご多分に漏れず引っ掛けていたのですが、何かの拍子にぶつかって落としてしまったようでした。
平謝りする師匠に悪気があるわけではないし、世話になっているわけだし怒るわけにもいかず、仕方ないねで終わりましたが、リベッキーはすぐに気を取り直し「これで、いいシンラインのギターを作ろう!」と言って、木目に沿って割れた部分をテーブルソーで切り落とし、薄くしてしまいました。通常は3インチくらいある幅が、2インチになりました。
その後、木目を横断した割れを補修し、ライニングと割れ止めをやり直し、シンライン用のサイドユニットになったのです。
しかし、本来は通常の厚みで作る計画だったので、別の材料で新たにサイドユニットを作り、ギターを完成させました。それが#004 "インプレッション" です。
シンラインのサイドユニットは、その後の展望があるような無いような状態で日本に持ち帰りました。活用する術を探しながらも、なかなかそのきっかけをつかめないままま、時間だけが過ぎていきましたが、ここにきてようやく、無駄になりかけた努力が報われて、復活の日が訪れました。リベッキーとオーダーいただいた方に、改めて感謝申し上げたいと思います。
蛇足ですが、その時の胃の不調は投薬だけでは改善せず、結局内視鏡検査を受けることになりました。これまたリベッキーに丸一日付き合ってもらってサンフランシスコに行き、通っていた医師とは違う、日本語の通じない中国人医師に検査してもらいました。人生初の内視鏡検査で結構ビビッている私を、黒人看護婦がやさしく励ましてくれました。結果は、全く問題なし。精神的なものじゃないの?で終わってしまいました。結局のところ何が原因だったのかは、今でもわかりません。