こんばんは。ご無沙汰になっております、スタッフのさえです。
今回も無事に十八成浜へむけてバスは出発しました。
お見送りに間に合わず・・ごめんなさい!
みなさま、気を付けて活動してきてくださいね☆
さてさて。
大変遅くなってしまいましたが、先週10月16日の現地報告<渡波小学校>編です。
十八成浜での活動報告はコチラ
くぐなり食堂の報告はコチラ
渡波小学校は宮城県石巻市街地と牡鹿半島との間あたりの場所です。
愛知ボラセンは5月中旬頃から約2か月半ほど、
サラダの炊き出しや校内(避難所)の清掃を中心に渡波小学校で活動させていただききました。
そして、震災から7か月目の2011年10月11日をもって渡波小学校の避難所は閉所されました。
また石巻市内の全避難所も閉所されました。
実は10月のはじめに渡波小学校からのラブコールをいただきました。
「避難所は閉所されるけれど、みんな出て行ってしまったらそのままの状態になってしまう。
学校は閉鎖されるかもしれないけれど、まだそうと決まっていない。だから校内を綺麗にして返したい。
そこで、ぜひ愛知ボラセンに力を貸してほしい!」
私たちはその気持ちに応えたい思いで、活動させていただきました。
震災前は、子どもたちの笑い声であふれていた場所。
震災後、ピーク時には2000人近くの方が避難されていた場所。
この日は少ししーんとしていて、何かもの悲しい感じがしました(天気のせいかな?)。
教室や廊下などのはき掃除にモップがけ、毛布の片づけや衣類の仕分けなどなど。
私自身、こんなに真剣に1つ1つ想いを噛みしめながら掃除したのは初めてです。
最後の荷物をとりにみえているある若い女性の方とお話ししました。
「毎週愛知から来てたよね?あのときは自分も必死だったからそのまま過ぎちゃったけど、
こうやって今でも来てくれるなんて、本当にありがたい。」
避難所の閉所式にも出席させていただきました。
現在は仮設住宅で生活されている方々もわざわざ足を運んでこられていて、久しぶりに会う顔に喜んでみえました。
みなさん、抽選で当たったところの仮設住宅へ順番に移ったためバラバラだそうです。
実は近くに住んでいたのに知らなかったという方もみえました!
これまでの感謝とそれぞれの門出に、“わたママ“による最後の炊き出し「ちらし寿司」がふるまわれました。
私たちも一緒に・・☆
なんと、わたママさんたちはこれから仮設住宅を中心に配食を行っていくそうです。
避難所はなくなっても、わたママ スマイルでつながり続けていくというのは素敵です!
個人的には。
大好きなKちゃんに久しぶりに会えて、すごく嬉しかったです!少し大きくなってた(^^)
Kちゃんママによると、子どもたちは震災後スクールバスで分散して学校に通い始めたけれど、仮設住宅に移りまた新たな学校に通うことになった。
友だちともバラバラで…みんな渡波小に戻りたがっている。
活動の最後には、館長さんの被災体験のお話を伺いました。あまりに壮絶すぎて・・
でも、避難所の閉所という機会に携わらせていただいて、どれもこれも本当に貴重な経験になりました。
改めて、ゴールではなく、新たなスタート。
渡波小学校という避難所はなくなってしまったし、それぞれの場所でのそれぞれの生活になったけれど、困ったことがあればまた気軽に声をかけてほしいなと思います。
私たちができることは微力かもしれませんが、
この出会いがつながってさまざまな方のこれからの生活に
私たち愛知ボラセンのことを思い出してもらえたら嬉しいですね。
最近の私。
ブログはもちろん(笑)、すっかりご無沙汰になっています。
次はいつ現地へ行けるかな・・。3.11への動きなど、ボラセンはめまぐるしいです!
体力、気力蓄えて、また元気に登場したいと思いますので。しばらくお待ちくださいませ(笑)
いまい さえ
渡波小については
ワタママスマイルHPへこちら
協力隊OV有志による震災支援の会さんのブログもご参考に
今回も無事に十八成浜へむけてバスは出発しました。
お見送りに間に合わず・・ごめんなさい!
みなさま、気を付けて活動してきてくださいね☆
さてさて。
大変遅くなってしまいましたが、先週10月16日の現地報告<渡波小学校>編です。
十八成浜での活動報告はコチラ
くぐなり食堂の報告はコチラ
渡波小学校は宮城県石巻市街地と牡鹿半島との間あたりの場所です。
愛知ボラセンは5月中旬頃から約2か月半ほど、
サラダの炊き出しや校内(避難所)の清掃を中心に渡波小学校で活動させていただききました。
そして、震災から7か月目の2011年10月11日をもって渡波小学校の避難所は閉所されました。
また石巻市内の全避難所も閉所されました。
実は10月のはじめに渡波小学校からのラブコールをいただきました。
「避難所は閉所されるけれど、みんな出て行ってしまったらそのままの状態になってしまう。
学校は閉鎖されるかもしれないけれど、まだそうと決まっていない。だから校内を綺麗にして返したい。
そこで、ぜひ愛知ボラセンに力を貸してほしい!」
私たちはその気持ちに応えたい思いで、活動させていただきました。
震災前は、子どもたちの笑い声であふれていた場所。
震災後、ピーク時には2000人近くの方が避難されていた場所。
この日は少ししーんとしていて、何かもの悲しい感じがしました(天気のせいかな?)。
教室や廊下などのはき掃除にモップがけ、毛布の片づけや衣類の仕分けなどなど。
私自身、こんなに真剣に1つ1つ想いを噛みしめながら掃除したのは初めてです。
最後の荷物をとりにみえているある若い女性の方とお話ししました。
「毎週愛知から来てたよね?あのときは自分も必死だったからそのまま過ぎちゃったけど、
こうやって今でも来てくれるなんて、本当にありがたい。」
避難所の閉所式にも出席させていただきました。
現在は仮設住宅で生活されている方々もわざわざ足を運んでこられていて、久しぶりに会う顔に喜んでみえました。
みなさん、抽選で当たったところの仮設住宅へ順番に移ったためバラバラだそうです。
実は近くに住んでいたのに知らなかったという方もみえました!
これまでの感謝とそれぞれの門出に、“わたママ“による最後の炊き出し「ちらし寿司」がふるまわれました。
私たちも一緒に・・☆
なんと、わたママさんたちはこれから仮設住宅を中心に配食を行っていくそうです。
避難所はなくなっても、わたママ スマイルでつながり続けていくというのは素敵です!
個人的には。
大好きなKちゃんに久しぶりに会えて、すごく嬉しかったです!少し大きくなってた(^^)
Kちゃんママによると、子どもたちは震災後スクールバスで分散して学校に通い始めたけれど、仮設住宅に移りまた新たな学校に通うことになった。
友だちともバラバラで…みんな渡波小に戻りたがっている。
活動の最後には、館長さんの被災体験のお話を伺いました。あまりに壮絶すぎて・・
でも、避難所の閉所という機会に携わらせていただいて、どれもこれも本当に貴重な経験になりました。
改めて、ゴールではなく、新たなスタート。
渡波小学校という避難所はなくなってしまったし、それぞれの場所でのそれぞれの生活になったけれど、困ったことがあればまた気軽に声をかけてほしいなと思います。
私たちができることは微力かもしれませんが、
この出会いがつながってさまざまな方のこれからの生活に
私たち愛知ボラセンのことを思い出してもらえたら嬉しいですね。
最近の私。
ブログはもちろん(笑)、すっかりご無沙汰になっています。
次はいつ現地へ行けるかな・・。3.11への動きなど、ボラセンはめまぐるしいです!
体力、気力蓄えて、また元気に登場したいと思いますので。しばらくお待ちくださいませ(笑)
いまい さえ
渡波小については
ワタママスマイルHPへこちら
協力隊OV有志による震災支援の会さんのブログもご参考に
自分は渡波に行く機会はなく、十八成浜の瓦礫撤去でずっと活動してたので、実際の状況はわかりませんが、いつも、さえちゃんから渡波の様子を聞いていて、渡波と愛知ボラセンは本当に良い関係にあることを感じていました。
最後の片付けに声がかかるのは、さえちゃんというパイプ役がいてのことなんだと思います。
腕白?な少年は元気にしているのでしょうかね?
最近、お疲れの様子だから無理はしないでくださいね。
出来るひとが、出来るときに、出来ることをする。
これは参加者だけでなく、スタッフも同じですよ。
震災から、まだ、たったの7ケ月を過ぎたばかりです。
愛知ボラセンのスタッフのみなさんは、これからも長丁場での活動となりますから、くれぐれも無理のないようにして欲しいと思います。
皆さん無理は禁物。長く一緒に頑張りたいのでよろしくです!!