愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2025.1.29)
NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、
観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施しております。
【次回のワンコイン・サポーターズ事務作業】
2025年2月22日(土)13時~ 東別院会館地下106教室
※予定分が終わり次第解散となります。
NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、
観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施しております。
【次回のワンコイン・サポーターズ事務作業】
2025年2月22日(土)13時~ 東別院会館地下106教室
※予定分が終わり次第解散となります。
代表の久田です。
10年前の2011年3月25日(金)、
東別院境内のお茶所に応援物資の受付、集積場所として、
愛知ボランティアセンターを開設しました。
そして、26日(土)から春物新品応援衣類の受付を始めました。
任意団体としての愛知ボランティアセンターの設立は2011年3月17日ですが、
3月25日は実際の活動を開始した日です。
初日の活動風景をご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/aichiborasen/e/23ba46e48166b5e1f5ecbd47b4512bf8
以来10年間、丁寧に被災者応援活動を続けてきました。
「当事者と非当事者」ではなく、「当事者と準当事者」の関係であると
作家の平野啓一郎氏は「悲しみとともにどう生きるか」(集英社新書)で、興味深いことを書いています。
震災の時にもう一つ思ったのが、「当事者」と「非当事者」という分け方を当たり前のようにしているけど、実際は「当事者」と「準当事者」と考えるのが正確なのではないかということです。というのは、「当事者」という存在が概念として成り立つのは、「当事者ではない人」との相関関係においてです。ということは、もう少し俯瞰した視点から見ると、当事者周辺にいる人も「当事者ではない」というあり方でその問題に関与している。つまり、「当事者」と「準当事者」というかたちで問題を捉え直すべきではないか。社会の中には、「当事者」がいて、その同じ社会に住んでいる以上、「非当事者」というのはいなくて、それ以外は「準当事者」がいると考えるべきなのではないかと思ったのです。
これまで私は被災者が「当事者」で、被災者ではない者は「非当事者」だと考えていました。
しかし、東日本大震災に関していえば、私たちは復興税を払い、ずっと心を寄せています。
したがって、当事者ではない「非当事者」ではなく、当事者に準ずる「準当事者」である、
と平野氏の文章を読んで認識を新たにしました。
私たちは直接の被災者ではありません。ですが、同じ時代に生きる「準当事者」なのだと思います。
そして、復興に心寄せ、被災者を応援し続けることが「準当事者」としては当たり前のことなのだと思います。
以下、2021年3月11日に開催しました「東日本大震災犠牲者追悼式2021」で、
実行委員会を代表して愛知ボラセンの田中涼子が述べた趣旨説明の全文を掲載します。
マグニチュード9.0、最大震度7.0を観測した東日本大震災。
震災で亡くなられた方は15,899人、
まもなく10年の月日が経とうとしていますが、
未だ行方が分からない方、ご家族のもとへ帰ることができない方は2,526人もいらっしゃいます。
10年という今日のこの日を「節目」と表現しがちですが、終わりなど まるで見えません。
被災した地域やそこに住む方々が受けた大きな爪痕は、
まだ癒えることなくこの先も続いていきます。
2011年以降、災害危険区域の指定が広がり、
自宅に戻ることも再建することも出来なくなってしまった方も多くいらっしゃいます。
原発事故により41,000人もの方が全国で避難生活を強いられ、
福島県では内部被ばく検査も続けられています。
時間は経過していきますが、被災された方にとって まだ「節目」ではないと思うのです。
「東日本大震災犠牲者追悼式 あいち・なごや」は、震災支援活動を続けている14の団体で構成され、
立場や考え方を超え一堂に会し、
ただ純粋に東日本大震災の犠牲者に哀悼の誠を捧げるために毎年手作りで開催している式典です。
震災から10年。
被災した皆さんのために私たちに出来ることを探し続けた10年でした。
本当に被災地の皆さんの支えになっているのだろうかと 問い続けた10年でした。
東日本大震災が起きなかったならば、と今も何度も思います。
しかしまた、多くの出逢いがあり、多くのことを学び続けた10年でもありました。
昨日も今日もそしてこの先も、私たちは何年経っても、東日本大震災が起きたことを忘れません。
そして多くの亡くなられた命のことを、被災された皆さんのことを、
大切な方を亡くされた皆さんのことを忘れません。
今年もまた、その想いひとつに ここに皆様と集い、
ともに被災地へ心を寄せられることに 感謝いたします。
今日のこの追悼式典が、残された私たちを 未来へと繋ぐ時となりますことを願い、
趣旨説明とさせていただきます。
2021年3月11日
NPO法人 被災者応援愛知ボランティアセンター 田中涼子
この趣旨説明に、これからの愛知ボランティアセンターの被災者応援活動への思いがこもっています。
これからも私たちは「準当事者」として、
あるいは私たちも「当事者」になることもあるかもしれませんが、
被災者応援活動を続けて参ります。
おはようございます。スタッフ田中です。
3月7日、緊急事態宣言、愛知県独自の厳重警戒宣言及び厳重警戒措置が解除されたことを受け、
今週末のワンコイン・サポーターズ事務作業を実施いたします。
とはいえ、換気、手指消毒、ボランティアの皆さんのソーシャルディスタンスに気を付けながらの実施です。
皆様、ご協力よろしくお願いします。
3月27日(土)13:00~ 東別院会館地下106教室
※予定分が終わり次第終了
内容:ワンコイン・サポーターズ応援金1月、2月分の照合
※今年の応援金申請書の照合につきましては、コロナウイルス感染症により先の確実な予定が立てれないため、事務局にて随時進めております。
十八成浜からアーモンドのお写真が届きました☆
蕾が膨らんでいます!!
アーモンドの花言葉は「希望」
今年もお花が咲くのが楽しみですね。
先日の東日本大震災の余震ではないかといわれる大きな地震、
そのあとも何度も続いた余震と、不安な毎日が続いております。
「命を守る」行動について、改めて考え備えたいと思います。
代表の久田です。
3月11日に開催した「東日本大震災犠牲者追悼式あいち・なごや」からもう1週間。
午後2時から開催した鶴舞公園普選壇での追悼式。
会場には500人ほどの方々がご参加され、丁寧な追悼式を開催することができたと思います。
午後5時からの東別院でのキャンドルを灯しての第二部の追悼式にも
学校帰りの高校生約80人も含めて、500人ほどの方々がご参加されました。
これまでの追悼式にはない好天で、キャンドルの灯火がいつもより大きく見えました。
キャンドルの片付けが終了した午後8時48分、
私は「一人駅伝」をスタートさせました。
この日の目標は東別院から豊橋駅、約66㎞。午前7時頃到着の目標でした。
20㎞の豊明市あたりまでは順調でしたが、その後、ペースが落ちていき、
35㎞をすぎた岡崎市ではほとんど走れなくなりました。
午前5時04分、名鉄藤川駅(岡崎市)の45.28㎞で、「一人駅伝」1日目は終了しました。
私のフルマラソン(42.195㎞)のベストタイムは3時間59分35秒(2年前)。
2月14日の練習では50㎞を約7時間で走りました。
それからすると、45㎞は6時間ほどで走れるはずですが、8時間以上もかかってしまいました。
個人的には「惨敗」でした。
次回は、来週中に藤川駅からJR二川駅(豊橋市)までの31㎞を走る予定です。
そして、豊橋に宿泊し、翌日は豊橋→蒲郡→半田→名古屋→瀬戸の約100㎞を走る練習を計画しています。
県外での走行は、コロナ感染を考慮しつつ、ゴールデンウィークを考えています。
できれば、5月2日(日)から9日(日)の8日間で、
二川駅からJR富岡駅(福島県)までの約530㎞を走れるといいなと思っています。
そのために必要と思われるトレーニングをはじめました。
原因を自分なりに分析し、新たに負荷をかけてトレーニングをしています。
子どもたちのために、そして子どもたちを応援してくださるサポーターの皆さんのために・・・
と思い2011年からやってきましたが、
サポーターの皆さんはもっと近いところで、一緒に子どもたちの未来を応援してるんですよね。
愛知ボランティアセンターが応援を続けている子どもたちは(卒業生含む):1,420人(2020年5月17日現在)
おはようございます。スタッフ田中です。
明日は愛知ボラセンの過去の映像や、ボランティアさんのご活躍の様子がテレビで放送されることになりました!!
是非ご覧ください☆
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愛知ボラセンが応援を続けている十八成浜へ、毎月自家用車やレンタカーに乗り合わせて
毎月お手伝いに通い続けているボランティアの皆さんや、東北に移り住んだボランティアさんを取材していただきました!
十八成浜の最近(先月末)の様子も見ることが出来ます。
★メ~テレ「UP」15:40-内 2回
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追悼キャンドル(夕方の部)
会場に来ることが出来ない方、是非皆さんにご協力いただいたキャンドルの灯をご覧ください。
★NHK「まるっと」18:10-内 生中継2回
★メ~テレ「UP」17:40-内 生中継2
★テレビ愛知「5時スタ!」17:00-内
★東海テレビ
※追悼式典もほかのテレビ局さんで放送されるかもしれませんが、愛知ボラセンにご連絡頂ている正確な情報のみをお知らせしております。
また各新聞社様よりお問い合わせ頂いております。掲載は翌日になるかと思います。
10年の月日が経っても、決して終わりではありません。
追悼式典を開催すること、キャンドルを灯すことで、忘れていないこと、そして応援のメッセージから名古屋から発信できたらいいなと思います。
【あなたと十八成浜と・十八成浜での活動②】
スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、
この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
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仮設住宅に引っ越しをされてからは、くぐなり食堂・心配り・よろずやチーム恭一と3つの班に分かれて
活動を行っていきました。
2011年9月。仮設住宅に引っ越ししてすぐのボランティアに
9歳の子がヴァイオリンを携えて、十八成浜ボランティアにお母さんと一緒に参加しました。
彼女が演奏する童謡「ふるさと」に合わせて、集会所に集まった人で大合唱、涙を流していた人も。
あの時、愛知ボラセンを始めてよかったと心から感じました。
そして、人のちから、音楽のちからを力強く感じました。
「音楽への道の原点は、あの初めて参加したボランティアの日なんですよ!あそこで目にした光景、活動、涙を流していた人々、
全ての事から何となく...何となく進むべき道が見えていったようです。
だから親としても私も本当に出会った皆さまに感謝の気持ちでいっぱいなのです。
そして何より、幼いあの子をイチ参加者として、いつも温かく迎え入れて下さったボラセンの皆さんには格別の感謝です。」
(9年後にお母さんから頂いたメッセージより)
(写真は2017年4月第154回十八成ボランティア)
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「はなちゃんは宝」阿部邦子
2011年09月26日 23時33分14秒 (愛知ボラセンブログより)
またおじゃまします。9歳の子が参加と聞いて、心がほわほわしました。
仮設の我が家の玄関前で、青空コンサートをしてくれました。仮設住宅の談話室でコンサートをしてくれました。ボランティアの方々にも聞いてほしいと思いました。
いつぞや 長渕剛さんが、赴任して活動してくれている自衛隊の皆さんを応援するコンサートをやったって聞いて、私は「よくやってくれた!」と思いました。
はなちゃんは長渕剛さん以上のことをしてくれる。ボランティアの皆さんと被災者がともに楽しめるなんて。
十八成浜からの出発式に、舞台で演奏してほしいと、身もだえするほど熱望しました。
はなちゃんの透明な演奏は、そこに集ったみんなの心を、言葉以上に一つにしてくれました。
お母様が目を真っ赤にして、「私は何もできないけれど。そして、連れて行っていいのだろうかと迷ったけど、良かったんですよね」とおっしゃいました。
「何言ってるの!あんないい子を産んでくれたってだけで、あなたはすごいことをしてくれてるよ!」はなちゃんは お母さんだけの宝ではなくなった瞬間でした。愛知ボラセンの宝。
私たち被災者の宝。そして日本の、地球の宝。
人はどんな人生を歩むようになるか、誰にも、本人にもわかりません。
高校や就職や結婚や友人や。・・・自分で決めているようだけど、実は 偶然や必然や出会いや不可抗力や理不尽や幸運や・・・様々な要素が絡み合って今の自分があるのだと私は思います。
つまり、視点を変えれば、今の阿部邦子のマイナスもプラスも、それがあるからこそ、阿部邦子。
がんを三度もやって、子供もできなくて、それでも、そういう経験があるからこそ、今の私がある。つまりは、すべてが、私を形作っているパーツ。そのことに、私は誇りを持っています。
でも人は、足並みを揃えることを求めてきがち。
あの人、なんで結婚しないの?あの人、なんで子供がいないの?
人とあまり交われない人を疎外し、障害のある人を横目で見る。
はっきり書きます。 けっこうそういう視点は多いと思う。
はなちゃんのお母さんははなちゃんとお兄ちゃんを、そうは育てないだろうなと思えました。
はなちゃんは、相手のことを、受入れ、受け止めてくれる人になってくれるだろうな。
ううん、もうそうなってるよ。
はなちゃんだけじゃない。ボランティアに行こう、そう思えた人は、きっとそういう人たちだと私は思います。
たとえ実際には来られなくても。愛知ボラセンのリーダーは、そういう人たちを育ててくれるために立ち上げてくれたような気さえ、してきました。
ねえ。
認め合おうよ。
受け止め合おうよ。
そして自分を知ってもらえるように、心を開き合おうよ。
愛知ボラセンで、人と人との付き合い方を学んで、それを自分に生かそうよ。
なぜって あなたがたには胸を張って生きて行ってほしいから。
3月11日、リセット釦を押されてしまった私は、その日から新しい自分を生きています。
胸を張って生きていこうと思っています。ただ、肩の力は抜こうね、無理は長続きしないから。
肩に力が入りそうなときは、はなちゃんの演奏を思い出そうね。
はなちゃん、海辺の町の邦子『お姉ちゃん』は、また会えるのを楽しみにしているからね。
お姉ちゃんってあまりにも図々しいって?ほらほら 相手の思いに添うって、そういうことなんだもんね~~
阿部邦子
スタッフ田中です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。
3月1日から10日まで、10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
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【震災孤児遺児応援ワンコイン・サポーターズ 20,000人プロジェクト】
「震災発生時にお母さんのお腹の中にいた赤ちゃんを含め、すべての震災孤児遺児の子どもたちが高校を卒業する19年後(2030年)まで、応援金をお贈りする。 」
2011年4月に私たちスタッフはそう決意し、全国にサポーター協力を呼び掛けました。
知名度が低い私たちに変わり、著名人の皆さんが応援団として全国各地で呼びかけをしてくださいました。
新型コロナウイルス感染症拡大により、プロジェクトの継続が厳しくなった昨年、応援金の8%を運営費へと内容を変更いたしました。
解約される方もいらっしゃるかもしれない。
子どもたちの応援サポーターを失ってしまうのでは。
そうなってしまったら、本末転倒なのではないか。
本当に苦渋の選択でした。
しかし以降サポーターの皆さんから届いたお手紙やお電話は解約どころか
「1口から3口に増やしたいです」「まだまだこれからですよね。一緒に頑張ります」
「8%で足りるんですか?大丈夫ですか?」
といった内容のものばかりでした。
子どもたちのために、そして子どももたちを応援してくれるサポーターの皆さんのために自分たちで何とかしなければ、
と思ってやってきましたが、違ったのだと。
「サポーターの皆さんはもっと近いところで、一緒に子どもたちの未来を応援しているのだ」と心強く思いました。
事務所に子どもさんの保護者の方からお電話やお手紙を頂くことがあります。
子どもたちが元気に過ごしていること、
夢を見つけ頑張っていること、
学校を卒業できたこと、
そのご報告のひとつひとつを一緒に喜べる関係であることを本当に嬉しく思います。
「もう10年も経ったんだからみんな忘れちゃうよね?」
少し前にあるお子さんがくれた1本のメールです。
震災から間もなく10年、今もワンコイン・サポーターズ は増え続けています。
これからも、子ども達そしてその保護者の方たちに寄り添える活動を皆さんと一緒に継続していきます。
こんばんは。スタッフ田中です。
まもなく東日本大震災から10年が経とうとしています。
愛知ボラセンは、2012年の「エール1st」からはじまり、
追悼キャンドルを作製し、灯し、犠牲になられた方に哀悼の意を捧げ続けてきました。
昨年は新型コロナウイルス感染症拡大によりオンライン開催に変更となり、残念ながらキャンドルを灯すことも叶わず、それぞれがいる場所での追悼となりました。
今年は開催出来ますか?とお問い合わせを頂いております。
今年は、2会場に分け、コロナ対策をとりながら開催をいたします。
オンライン生配信もいたしますので、会場に来ることが出来ない方にもご参列頂けます。
下記HPのTOPページにアクセスいただきますと、YouTubeが見れるようになります。
※今日現時点ではご覧いただけません。
愛知ボラセンからは、毎年追悼キャンドル作製にご参加いただいた方のお名前を当日配布の冊子に賛同人としてお名前を掲載させていただいておりましたが、昨年より継続で掲載させていただいております。ご理解の程よろしくお願いします。
東日本大震災犠牲者追悼式 あいち・なごや2021
https://tsuitou-aichinagoya.jimdofree.com/
【走り続けること 問い続けること 想い続けること・東日本大震災被災者応援犠牲者追悼イベント「エール」】
ちょうど10年前の今日、758kmをリレーでつないだ“すずRUN”がスタートしました。
1年に1度、一堂に会して東北を想う。
10年経っても、これからもそれは変わりません。
-エール1st「Smile宣言」より-
東日本大震災から1年。
被災地の皆さんのために私たちにできることを探し続けた1年でした。
本当に被災地の皆さんの支えになっているのだろうかと問い続けた1年でした
東日本大震災が起きなかったならば、と何度も思います。
しかし、多くの出逢いがあり、多くの事を学び続けた1年でした。
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スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、
この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
【がれきはごみではなくて、誰かの生きた証である・十八成浜での活動①】
発災から3か月。。。
避難所として使われていた十八成「老人憩いの家」
私たちも大変お世話になりました(現在はもうありません)
避難所からずっと同じ光景を3か月間、目の当たりにしていました。
ここの瓦礫と呼ばれたもののお片付けから十八成浜との関係がつくられていきます。
「がれきはごみではなくて、誰かの生きた証」とひとりのボランティアさんが言いました。
そのひとつひとつを重機ではなく、ほぼ手作業で活動していきました。
「久々に、希望が湧いてきた」
「愛知ボラセンは、いきたボランティアである」
そして
「おかえり!」「ただいま!」と言い合える素敵な関係が生まれました。
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スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、
この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
【0泊3日“通い”のボランティア】
私たちの被災地ボランティア活動は“通い”が基本
金曜夜にバスで愛知を出発し、土曜早朝に宮城県石巻市に到着
ボランティア活動を土曜のみ行い、日曜の朝には愛知に帰ってきます
平日仕事や授業があっても、ボランティアができる
参加をして下さったのは、7歳から86歳まで、それぞれの経験や特技を活かした温かい活動です
その数、154回。
ボランティアのみなさんが“つないで”くださいました
そのスタイルは今も変わりません。
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スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
【必要な時に 必要な人に 必要なものを】
避難所となった石巻市立湊小学校では、物資が山積みになっていました。
“この中から自分が必要なものを探し、見つけるなんて、、、”
そんな状況の中、私たちが直接持って行った物資はとても喜ばれました。
必要な時に、必要な人に、必要なものを
皆の愛が届いた瞬間でした
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スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
スタッフ徳倉です。
東日本大震災から10年が経とうとしています。3月1日~10日まで、この10年という月日を想いながら
私たちスタッフが撮影してきた写真を投稿していきます。
昨日に引き続き、私が投稿いたします。
「皆の愛を届けよう!!」teamボラセン
多くの人が初めてのボランティア。そして私たちスタッフも手探り状態でした。
けれど、何かしたい気持ちは常に被災地へ向いていました。
「被災地まではいけないけれど、何かしたい」「春物の服を、私のかわりに届けてほしい」
ひとりひとりのちからは微力かもしれないけれど、みんなで集まれば大きなちからになる。
一緒懸命の一枚です。