愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
お申し込みフォーム
NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。
災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について
こんにちはー、スタッフさえです^^/
くぐなりでの様子は、わたくしが。鮎川の作業は久世くんが報告しますー。
今回はボランティア80名の参加。活動は十八成と鮎川とわかれて行うことになりましたが、
鮎川作業班にはくぐなりへ帰るのが数か月ぶり、中には1年ぶりという方もいて、まずは十八成に「ただいま」と言いたいという声もあり・・
鮎川作業へむかう前に、全員で朝のミーティングを行いました(^^)
くぐなり食堂
~お品書き~
ねぎ塩昆布ごはん
白菜と干しえびの中華スープ
鶏の竜田揚げ
ブロッコリーの豆腐あんかけ
にんじんの酢醤油和え
じゃこピーマン
初料理長・藤井さんはうまくできるかドキドキ(><)
料理なんて普段しないという大学生たちは、慣れない包丁にそわそわm(..)m
なんとかなるでしょっ!と料理長をサポートする伊藤さんはテキパキと・・
なんとも言えない絶妙なチーム感で、
ちょっと心配で私が調理場に戻った12時には片付けも含めて終わりかけていました。スゴすぎる!!
調理も終盤になってきた頃、
なんと!3姉妹のパパ・けいいちさんが獲れたばかりの天然あなごを持ってきてくださいました。
急きょあなごの天ぷらもプラスすることに!
今回も大好評でした☆
こころ配り
1軒1軒ていねいにまわるとへとへとに・・
でも、「また来たの~?」「あがって~」と声をかけてもらうと、その疲れもとぶんだとか。
食堂の注文もとってきてくれた班も。
「きちんと報告して、メニュー担当に反映してもらわなきゃね!」 ・・・(^^;)
よろづや~チーム恭一~
「このあたりは鹿がたくさんいて、仮設住宅付近も草が生えたままになると食べにくる。鹿が飛び出して交通事故になるから危ない!
たかが草刈りだけど、今いちばん必要なこと!!」
朝のミーティングのときに邦子さんもおっしゃっていました。
「ひまわりデカっっ!こんな大きいの愛知にはないよ」「木みたい。全然切れないー」
「これ一人だったら絶対ムリだよな。」「これは鹿も来るわ」
「ここまで津波がきたんだよ」と、恭一さん。 「こんなところまで・・」
必要だけど住民では普段なかなかできないこと、一緒に作業するからわかったことなど・・
されど、チーム恭一。
お茶っこ
高校の同級生で参加した5人。参加するなら何か自分たちにできることないかな・・
と、部活でやってきた合唱を披露してくれました♪
おねえさんたち上手だなぁ・・
「あ、ふるさとだ。知ってるー!」と、ひなちゃんも最後は大きな声で一緒に歌っていました。
リクエストやアンコール、犬の鳴きマネのサプライズもあって、とっても盛り上がりましたー。
鮎川活動報告
ここから久世が書きます
【鮎川小学校仮設】
山口さんを先頭に2人のボランティアさんと鮎川の皆さんとで、
「さしこ」や「編み物」の作業を、笑いあい、語り合いながら行いました。
「私は仮設にいてもやることないからこういう場があるのは本当に嬉しい」
「いつまで生きていけるか分からないから好きなことをやれて嬉しい」の声が続出!!
これは、山口さんはじめ、須賀さんや長谷川さんが
何度も鮎川に足を運び信頼関係を築きあげてきた結果だと思います。
鮎川の方が作った「さしこ」は、名古屋での10月28日、11月23日のイベントでも販売予定です。
ぜひお求め下さい。
またブログでもご報告致します。
【鮎川作業】
昨年5月からお付き合いのある、斎藤さんの崩れた納屋の撤去を行いました。
今年の8月、9月と斎藤さんの敷地の竹や草刈りを行っていたら、手つかずの倒壊した納屋が出てきて・・
「久世さんなんとかならないかな?」と相談されたので、
「やります!!」と、即答。
即答できたのは、
なぜかその時、昨年から一緒に汗をかいてきたボランティア仲間の岩下さんや磯部さんさんの、
とてつもなく強力な戦力が脳裏に浮かんだからです。
そして、お二人に「ぜひお願いがあります!!NOの返答許されません」と迫ったところ、
「分かりました!」と快いお返事を頂き、今回実現しました。
お二人が牡鹿半島に帰ってきたのは、昨年8月以来でした。
さすがにお二人の力だけでは到底出来ませんので、
ボランティアの追加募集をかけ、30人の力で一緒に作業することになりました!
瓦の撤去、木の撤去をやるうちに
30人は意気投合して、あっという間に納屋がなくなっていきました。
皆さん真剣で休憩時間も忘れるくらい・・・
さすが!!
皆さんが力を合わせれば、1年7カ月手付かずの納屋がその日のうちに無事に撤去できました。
暑い中、本当にありがとうございました。
斎藤さんも大喜びでした。
のれん街にて・・
「あの~、邦子さんの話聞けますか?16時からって聞いてたので・・」
その声に応えるべく、
魂のこもったおはなしをしてくださいました。
邦子さんの語り
「助かってよ!!!」
邦子さん、肋骨骨折で脇腹や腰が痛いなかありがとうございました。
今週末は愛知だからいたわる時間少ないけど・・お大事にしてくださいね。早く良くなりますよーに。
(大切な人には「ありがとう」って言わなきゃですもんね^^/)
あっという間に1日が過ぎ・・
活動報告 > いい意味で、みんなちょっぴり疲れた感じ。充実した1日がうかがえました。
エール > 岩下リーダーのもと、腹の底から「オー!」
けいいちさんがあなごの経緯を話してくださいました。
本当は仮設の方に配ろうと思っていたそうです。でも草刈りを頑張ってくれている姿を見てボランティアさんに食べてもらおうと思って・・・と。
「牡鹿は有数の漁場!あなごやわかめ、来年には牡蠣も。いっぱい宣伝して食べてください!!」
くぐなり(牡鹿)の今後を熱く語るけいいちさん、最後には娘2人と同じ名前のボランティアさんを呼んで・・
パパですね~ニンマリ顔でした。さくらちゃん、もえちゃんの大人になっていく姿を重ねたのかな(^^)
こどもたちが大きくなっていく姿、
くぐなりの皆さんがもっともっとこれからの十八成を描けるような暮らしに寄り添っていきたいなぁ・・☆
久田です。
阿部邦子のがれきに咲いた花48 復興とはをアップしました。
「復興」とは…、難しいことだと思います。いろいろな考えがあります。
一般的に「復興」と「復旧」は混乱されているように、私には思えます。
復旧=壊れたり、傷んだりしたものを、もとの状態にすること。また、もとの状態にもどること。
復興=いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。また、盛んにすること。再興。
「被災地の復旧は進んでいる」はインフラなどを考えれば、正しいことと思います。しかし、「被災地の復興が進んでいる」といえる被災地はほとんどないはずです。
「十八成の復興」が愛知ボラセンの課題です。それは「十八成を盛んにすること」だと考えます。
「十八成ビーチ・エコパーク構想」を実現し、十八成を盛んにできれば…。
故・後藤前区長さんに復興した十八成をお見せできれば、と思います。
みなさん こんばんは☆
山田です。
ご無沙汰しております。
大阪へ引っ越しましたが、元気に過ごしております。
愛知ボラセンでもちゃーーーんと活動しておりますよ!!
タイトルのままですが・・・
10月6日(土)と7日(日)にエール1stで使用した【 追悼キャンドル 】の お片付け を実施します!!
次回も使用できるように、数を数えたり、使えない蝋を溶かしたり・・・。
亡くなられた方の数のたくさんのキャンドル。
実際に見ると、本当に本当にたくさんあって、
心がぎゅっと苦しくなります。
命の灯火が来年も再来年もずっとす続きますように。
エール1stのキャンドルチームを筆頭に、2ndへ向けて準備をしていきたいと思います
っていうか、エール2ndってあるの??
って声も聞こえ始めていますが、エール2ndをどういったものにしようかと
現在スタッフで話し合いを始めておりますので、エール2ndについてはまた改めてお伝えしますね☆
【 追悼キャンドル 】のお片付け
ご参加・ご協力よろしくお願いします!!
日時:10月6日(土)10:00~16:00
10月7日(日)10:00~16:00
場所:東別院 お茶所前
持ち物:特になし
※ 今回は持ち物はありませんが、今後コンロやいらないお鍋が必要になってきます。
みなさんのご自宅に貸してもいいコンロやいらないお鍋がないか一度探してみてください。
もしありましたら、今後の活動日にご持参・ご寄附いただけると助かります。
よろしくお願いします。
エール2ndへ向けて。
たくさんの仲間と心をこめたキャンドルを一緒に作りたい。
心ひとつに。
2013年3月11日
あたたかいキャンドルを灯しましょう
みなさん こんにちは。愛知ボラセンの久世です。
後藤前区長さんの訃報を聞き、火葬-お通夜-葬式と参列させて頂きました。(牡鹿では、お通夜の前に火葬にするのが一般的だそうです)
後藤前区長さんが調子を悪くし、入院されている事を聞いていたので、16日(日)の午前中は石巻にいる予定でしたので、、前区長さんの元気な顔を見に、お見舞いに行こうと思っていたのですが、その思いが届くことなく亡くなられてしまいました。
長文・乱文ですが、1年3ヶ月本当にお世話になった後藤前区長さんへの伝えられなかった「感謝」の気持ちを書かせて頂きます。なお、後藤前区長さんは、私の中では「区長」さんです。以下の文章では「区長」さんとして書かせて頂きます。及川現区長さん、ご理解ください。
2011年
5月から牡鹿半島の約30の避難所へ応援物資を持って回っていました。
十八成に初めて入った時に、丁寧に震災の様子を話してくださったのが後藤区長さんでした。
それから、私と区長さんの関係が始まりました。
2011年6月11日
高校生の焼きそばの炊き出しが大幅に遅れてしまい、十八成の皆さんにお昼に提供ができずにいたところ、区長さんが終わりがけに、「気にしなくていいから。やきそば美味しかったぞ」と、一言笑顔で言ってくださいました。その時の笑顔、忘れません。
2011年6月25日
初めての瓦礫撤去。休憩ごとに「ありがとうね。綺麗になたっちゃー」と何度も、区長さんからお礼を言われました。そして、作業が終わりバスに乗ろうとした時「久世さんはいるか?」(十八成の方に初めて、私の名前を呼んでくださったのも区長さんでした)
「はい」と、バスから降りて行くと、目を赤くして帽子を取って握手しながら、
「久世さんのお陰だ。こんな綺麗になった。ありがとう」と言ってくださいました。
2011年7月~8月
畑や道路などで瓦礫撤去をしていると、憩いの家(元避難所)から、私たちの作業を見ていてくださっていて、「久世さん、久世さん」と呼ばれて、区長さんのところへ行くと、「いいから、お茶っ子して、休憩していきなさい」、「暑いから疲れるでしょ」といつも笑顔で声をかけてくださいました。そして、冷蔵庫から色々な物を出してくださいました。いつも私を心配をしてくださった区長さん。
朝のミーティングでは、必ず「先週のボランティアさんはよくやってくれた」と褒め、帰りのミーティングでは「今週のボランティアさんもすごい。綺麗になった。皆さんのお陰だ」と必ずボランティアさんを褒めてくださいました。
区長さんと、次週の活動場所を見に車で行きました。憩いの家に戻り、帰りのミーティングを行おうとすると、区長さんが「久世さん帽子忘れた。家見てくっから」と。私は「帽子は後で一緒に探しましょう」と言いましたが、区長さんは家へ。帽子は車に忘れてあったので、「ありましたよ」と言うと、とても喜んでいらっしゃいました。後から邦子さんに「どうして区長が帽子取りに行ったか分かるか?区長いつも帽子取って挨拶するでしょ。それが区長の愛知ボラセンへの最大のお礼の気持ちなんだよ」と教えて頂きました。区長さんは本当に愛知ボランティアセンターを大切にしてくださっていました。
淀川沿いの道路を作るとき、真っ先に行政と掛け合い、業者から土を確保されました。区長さんと一緒に土を取りに行った時、「久世さん。何で業者が協力してくれると思う?それはな、俺が役場にいる時地元業者を大事にした。石巻の業者より。そして今の役場の人も若い頃は本当に大事にした」、「地震の時に、昔の恩が十八成のために返ってきてるんだなー、嬉しいよ」とおっしゃっていました。
2011年9月からの「くぐなり食堂」、「こころ配り」に際して
朝のミーティングでは、食堂班・こころくばり班を労らってくださいました。ただ、労いのい中にもユーモアがありました。、それでも、初めての料理長にとってはプレッシャーを感じることもおっしゃいます。「先週は大変美味しかった。今週も期待している」と。邦子さんが、「先週もでしょー、美味しかったのは」とまぜっかえすと、笑いがおきます。そこでいつもプレッッシャーが和らぐ瞬間でした。
もしかして区長さんは計算済み?笑
朝のミーティング後、必ず「久世さんは今日忙しいか?」と尋ねられ、「いろいろ回らないと」と言うと、「いっからうちんへきなさい。待ってるから」とおっしゃってくださいました。鯨が入った時は「昨日、鯨入ったから必ずきなさいよ」と。
昼になると、家の前で私を探して、おいで、おいでのジェスチャーを。代表がいる時は「先生と一緒にきなさいよ」と言ってくださって、豪華な鯨料理をご馳走になったこともありました。こころ配り班の人も、鯨を食べさせていただいたこともありました。
「憩いの家は元々は行政の持ち物で、借りたり施設を使うのに、本来ならお金がかかる。だけど、愛知ボラセンが自由に使っていい。行政から何か言ってきたら、俺が跳ね返すから。十八成の為にやってくれているボランティアさんからお金なんか取れるか」とおっしゃって全面的な区長さんのバックアップでくぐなり食堂が出来ることになりました。
「久世さん。一番辛い時に愛知ボランティアが来てくれた。だから、ボランティアさんにお茶や鯨を出すことになんのためらいもないんだよ。久世さんも毎回来たらいいちゃー」
いつも優しい目で、私たちを見てくださっていた区長さんでした。
2012年2月 豊田市立前林中学校のリコーダー演奏で。
「久世さん。立派な中学生だな。あのリコーダー練習大変だっちゃー」、私は「十八成で弾きたいと練習してきたみたいですよ」。「嬉しいな。また来た時は聞けるのかな?」と大変楽しみにしていらっしゃいました。
もう、その音色が直接聞いていただけないと思うと寂しいです。でも、前林中学生は10月に十八成に帰り、天国の区長さんにも届くように、一生懸命にリコーダーの練習しているそうです。
楽しみにしていて下さいね。
2012年3月
3月11日に東別院で開催した「エール1st」にお越し頂くことになっていました。しかし、体調を崩され、名古屋へ来られなくなりました。それまでは「久世さん名古屋は何十年前に行ったことがある。今はどんな風に変わっているか楽しみだ」と本当に楽しみにされていました。
十八成から名古屋まで走った「チームすずRUN」は区長さんが入院されている病院の前を走りました。偶然でした。区長さんは病院の窓から、ランナーにおもいっきり手を振ってくださいました。区長さんは泣きながら手を振っていらっしゃった、と後から聞きました。
5月に区長の職を交代された後も、「久世さん。いいからうちきなさい」と声をかけて頂きました。私が活動で迷っているのを感じると、「久世さんがやりたいようにやればいいさ。自由に。十八成で。どんな時も力なるから」と笑顔でおっしゃってくださいました。
どんなに体調が悪く横になってても、私が行くと起き上がって、「待ってたよ」と笑顔で応えてくださいました。
「高台移転したら、この家より広くなっから、久世さんもうちに泊まったらいいちゃ」と、高台移転を待ちわびていらっしゃっいました。
最後に会ったのは8月の終わり
「来週あたり、鯨が入るから必ずきなさいよ。ご馳走するから」と。また会えると思い「はい。じゃまた来週」と話したのが最後でした。一番の後悔は一度も区長さんに対して、心から「今までありがとうございました」と言えなかったことです。まだまだお元気で、いつでも会えるからと思っていましたから。
いつも私の背中を押してくださった区長さん。
そんな私は区長さんの為に何が出来たのだろうか。
自問自答し、涙を流しながらこの文章を打っています。
何もできていなかった・・・
悔しい・・・涙
区長さんが入院された時にお見舞いに行くべきでした。
「おらほのうちきなさい」と言われた時、忙しさを理由に行かなかった事も何度もありました。行くべきでした。
もっと日頃から「ありがとうございます」と言うべきでした。
未熟な私です。
本当にお世話になった区長さんが泣くなり、自分が十八成に行く意味を見失った気がてしまいました。
葬式の時「お父さんは久世さんが来る事を喜んでましたよ。ありがとうございました」と、ご遺族の方に言っていただきました。そして、「しっかりやろう」と心に誓いました。
活動を疎かにすると、区長さんから「しっかりやれよー久世さん」と言われそうで、天国から「疲れたらいつでもお茶ちゃこ飲みにきなさいよ」と言ってくださるまで頑張ります。
また区長さんとお茶っこできるのを楽しみに、十八成に帰ります。
愛知ボランティアセンターを大変な時も辛い時も今まで通り見守っていて下さい。
そして私が怠けていたら、「しっかりやれよー」と怒ってください。
また「お茶っこきなさい」と誘って下さい。
その声を聞きに十八成へ帰ります
言えなかった言葉。文章になりましたが
「今までありがとうございました。ゆっくりお休み下さい」
合掌
代表の久田です。
阿部邦子のがれきに咲いた花47 風化させないとは をHPにアップしました。
時が経過して、人々の記憶から震災のことが薄れていく…。そのことはしかたがないことだ、と私は考えています。
だからこそ、「大震災でお父さんお母さんを亡くした中学生高校生に奨学金を贈る中学生高校生の会」は、阪神大震災以降、毎月17日に栄で街頭募金を続けてきました。この活動は孤児遺児応援金募金が表の意図ですが、裏の意図は毎月17日に名古屋の皆さんに震災ことを思い出してもらうことを意図しています。
風化を少しでも緩和するために、私たちがどんなことができるのか、私自身がどうそれに関わるのか、そこが問われているのだ、と私は考えています。
愛知ボラセンの現地ボランティア活動をできるだけ続けること、邦子さんをはじめとして被災者の語りを多くの方に聞いていただくこと、震災孤児遺児ワンコインサポーターズの活動をずっと続けていくこと…。
この1年半、愛知ボラセンが行ってきたことを、いろいろと工夫しながら、これからもできるだけ継続していくこと、それが、風化防止に愛知ボラセンができることだと考えています。
代表の久田です。
悲しいお知らせです。
かねてより病気療養中だった後藤正信さんが、9月15日にお亡くなりになりました。
朝と帰りに、暑い日も、寒い日も、必ず帽子をとって、私たちに丁寧にご挨拶をしてくださいました。
昨年の夏、淀川沿いの陥没道路を修復するのに、その場で役所に電話を入れて、10トンの砂利を手配されました。
すずRUNの時には、病院の窓から涙を流して、手を振って、応援してくださいました。
仮設は狭いからウチで泊まればいいとおっしゃっていただきました。
お宅におじゃまするといつもおいしい漬け物を頂きました。
元気になったら、またボランティアの皆さんに挨拶するとおっしゃっていました。
白山神社の鳥居を再建し、そしてその横にそえられた添え書きに愛知ボラセンのことを丁寧に書いてくださいました。
大震災の後、ご高齢にもかかわらず、十八成のために誠心誠意ご尽力された姿はすてきでした。
後藤正信さん、ありがとうございました。安らかにお休みください。
合掌
なお、お通夜は17日(月)午後6時~、ご葬儀は18日(火)午後1時~
ともに、メモリアルホール菩提樹・石巻にて
愛知ボラセンからは、久田がお通夜に、久世がお通夜とご葬儀に参列させて頂きます。
9月11日で東日本大震災から1年6カ月が経ちました。
震災関連の報道は当時に比べ減ってきています
しかし、愛知ボラセンを通じてボランティアに参加したいという
ボランティアさんからの申し込みは報道とは関係なく増え続けて
あっという間に各回が締め切りになる状態です。
そこで、9月21日から23日の
第69回のボランティアバスを大型バス1台から
もう1台増やし、応援活動を行いたいと思っています。
この回は、十八成浜の活動と同時に
鮎川浜でも、倒れた納屋の撤去作業も行います。
●まだまだ力が有り余っている方
●この回に行きたいけど締め切って諦めていた方
ぜひこの機会に申し込み下さい
活動班などは、メールにて相談させて頂き、決めていきたいと思っています
第69回9月21日(金)~9月23日(日)(追加募集)定員30名 締切:9月16日(日)定員になり次第締め切ります。
参加費12,000円(バス代・高速代込み)
(応募して頂いた方は全員参加出来ます。
今後の愛知ボランティアセンターからの連絡は持ち物などの確認のメールになります)
皆さんの応募お待ちしています
こんにちは
愛知ボランティアセンター
事務局長 久世です
お知らせです
明日9月13日(木)
中京テレビ
18:15から
キャッチ
の中で10分間くらい放映されます。
愛知ボラセンへの同行取材は半年ぶりです。
名古屋では最近、震災関係の報道が少なくなってきている中
愛知ボランティアセンターの活動を取り上げて頂けるということで
嬉しく思っています
ぜひ、皆さんご覧ください^^
そして良かったら感想も下さい
まだまだ愛知ボラセンは十八成を応援していきます
これからもよろしくお願いします
こんにちは
白山神社で朝のお参りをした
久世です
今週は中京テレビさんが急遽同行取材となり
慌しい一日となりましたが
名古屋では最近、震災関係の報道が少なくなってきている中
愛知ボランティアセンターの活動を取り上げて頂けるということで
嬉しく思っています
【くぐなり食堂】
今回はくぐなり食堂、記念すべき1周年☆
【~お礼~】
一年前の食堂は、炊き込みご飯/具だくさん味噌汁/もやしのおひたし
という3品でしたが、【十八成の皆さんにもっともっと喜んで頂きたい
温かくて美味しくて、数多くのおかずを届けたい】という思いで、
今回はなんと6品に!
多いときで300食、平均で180食(食堂班の参加者はのべ約500人)
初対面のボランティアさん同士が包丁をにぎり、意見を出し合い
「一つ」になって食堂を作り上げていきました。
一年間、ほとんど大きなトラブルもなく、続けてこられたのも
ボランティアさん、そして十八成の皆様のご協力のお陰だと思います。
後藤前区長さんからは「十八成の為にやってくれているくぐなり食堂
憩いの家の調理場を自由に使っていい!!」という言葉を頂いた時は、涙が出ました。
十八成の皆様の優しさに本当に感謝します。
一年経ったからと気を抜かず、今まで以上に愛情を込めて
くぐなり食堂を作っていきたいと思っています
これからもよろしくお願いします
【メニュー】
炊きこみ風ごはん
具だくさん味噌汁
もやしのおひたし
豚肉のさっぱり炒め煮
ブロッコリーのひじきサラダ
大学いも
今回は料理長 二回目の竜ちゃん
食堂班はほとんど初めての方
そして毎回何人かいる大ベテランの主婦のボランティアさんも
今回に限っては「0人」
女性より男性が多い中で始まった調理
12時提供を目指していましたが
慣れない調理場で出来上がりは13時頃
いつもより遅れて提供となってしましました。
とても遅くなってしまい、皆さんもうしわけありませんでした。
【こころ配り】
ボランティアの筒井さんが
バルンアートを訪問宅で作成
珍しい風船に笑顔が・・・
食堂の出来上がりが遅くなったので
こころ配り班もお弁当をお持ちする時間が遅くなりましたが
皆さん笑顔で出迎えてくださいました
ありがとうございました。
【チーム恭一】
今回も草刈
上にと伸びる草との戦いの作業でした
ヒルにかまれたボランティアさんもいましたが
恭一さんの絶妙の「はい!!休憩」の号令に
大きな怪我もなく作業が綺麗に終わりました
休憩中
は恭一さんの「今後の十八成について」の話し
大変勉強になった時間でした
【阿部邦子さんの語り合い】
金曜日の出発前に
「体調がよくない。ただ語り合いを楽しみにしてくれるボランティアさんも
いるから、やる。声がいつもより出ないからマイクを」
と連絡が入り、「大丈夫かな?心配だな」
と思っていましたが、朝のミ-ティング、語り合いと
話し始めると、いつもと変わらぬ迫力!!
さすがです
1時間以上、地震、津波の恐ろしさの話し
参加者からも「もう一度、家に帰り家族と相談します」という
感想を頂きました
邦子さん体調悪い中ありがとうございました
【のれん街】
今回、じゅんこママ(魚屋さん)が
「蟹茹でたから、ボラセンの方にサービス」と言って頂き
蟹を頂きました
名古屋では味わえない甘さ!!
そして、じゅんこママの優しさに
何匹も食べるボランティアさんも
「22日はバス二台で来ます」と伝えたら
「じゃ何か用意しなきゃね」と笑顔で。
楽しみにしています。
そんなこんなで
慌しい一日も終わりに近づき
毎回恒例のエール
今回はくぐなり食堂班全員と、邦子さんがチョイスしたボランティアさんが
ステージの上に。
下にいる少ないボランティアさんで一生懸命手を叩きました
最後の写真
皆さん笑顔!!
15日はお休みですので
次回は22日
いってきまーす
追伸:最近十八成の仮設に来た新しいお友達
島岡さんがすっかりおじいちゃんの顔になっています
これからは一緒に沢山遊ぼうね!!
写真提供:島岡さん、飯田さん、植田さん
ありがとうございました
代表の久田です。
阿部邦子さんの「がれきに咲いた花46 仮設住宅にて11」をアップしました。
半年の連載予定がほぼ1年近くなりました。連載の内容はなんとなく最終章の雰囲気が漂ってきています。好評の連載もそろそろ終わるかもしれません。しかし、もしそうなったとしてもそれは終わりではなく、「がれきに咲いた花」が一冊の本として、世に出る準備だと確信しています。そして、そうなった時には愛知で「阿部邦子のがれき咲いた花」出版記念講演会をする心づもりでいます。
この連載は私たちが被災したときにどんな気持ちになるのだろうか、どんな行動をとるのだろうか、というようなことの一つを具体的に教えてくれています。もちろん一人ひとり違うこともあるでしょうが、一つの具体例としてはとても示唆に富むものです。
仮設住宅での生活はまだまだ続きます。そして復興住宅での生活も続きます。ですから、きっと次の新しい連載がいずれ始まるのだと思っています。「がれきに咲いた花」が、「仮設に咲いた花」、「海の見える丘に咲いた花」…というようになることを期待しています。
代表の久田です。
十八成ビーチ・スポーツエコパーク構想が、河北新報、中日新聞で報道されました。
新聞の記事を補足し、皆さんに「十八成ビーチ構想」について改めて説明させて頂きます。
十八成ビーチ構想は高台移転とセットです。
「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」は、定款で、「十八成浜の振興を目的とし、その目的に資するため、次の事業を行う。(1)地域住民が安心して暮らせる高台移転とそれに伴う諸事業 (2)十八成ビーチ・スポーツエコパーク構想を実現するための諸事業」としています。従って、新聞報道ではあまり明確には書かれていませんが、「十八成ビーチ構想」は高台移転とあわせて進めていく事業です。
工事の順としては、県道と高台移転地へのアクセス道を作ることから始まり、高台移転の土も利用して、津波で流された土地を整備する。高台移転の工事と平行しつつ、津波で流された土地に砂を入れて、人工ビーチエリアを作る。現在の県道を廃して、自然ビーチエリアを作る、と考えています。
自然のビーチを回復させることと、人工ビーチを作ることの2つがセットです。
これも新聞報道ではやや不明確なことですが、一番の目的は鳴き砂で有名な十八成の砂浜を取り戻すことです。地震による地盤沈下で、砂浜は無残にも消滅してしまいました。しかし、1年半たった今、砂が少しずつ戻ってきています。淀川の河口には今までなかった砂がついています。
現在の県の案は、高台移転の後背地に県道を移設し、現行の県道は市道にして残し、さらに6mの防潮堤を作ることとなっています。安全のためには防潮堤は必要です。ですが、このままの案では、十八成と海は完全に分断されてしまいます。そこで、県道は高台移転地の前近くとし(あわせて後背地に高台移転地のアクセス道路を設ける)、現行の県道は撤去することによって、自然の砂浜を回復させたいと考えています。
新しい県道は奥にすることで4m程度の高さに抑えられます。そして、県道の山側には樹木を植えて、津波対策を施します。県道の海側は階段状にして、ビーチスポーツ観戦用としたいと考えています。
自然の砂浜を回復させるためには、多少の砂を入れる必要はあるようです。ですが、これは他地域で問題になっている人工ビーチとは違うと考えています。問題になっている人工ビーチは治水特別会計などの税金を投入して人工ビーチを作ったものの、砂は流出してしまい、税金の無駄遣いとなっているというものです。十八成浜は海の流れによって砂がついているものですから、波によって流出していく可能性は低いと考えられます。自然のビーチへの砂の投入と、まったく砂のない場所への砂の投入とは別のものでしょう。
海岸工学を専門とされる神戸大学院准教授の内山雄介先生は、十八成浜の砂浜再生について、もともと砂浜ができる地形だったので、その地形に沿って砂を投入すると再生できるのではないか。ただし、震災後の海底地形の測定が必要、とおっしゃっています。
本当に砂が戻るかどうか、それは不確定です。しかし、前述のように砂が戻ってきている状況に希望を見いだしていきたいと考えています。
「十八成ビーチ構想」での「人工ビーチ」は、流されてしまった地域に砂を入れて「人工ビーチ」にしようというものです。自然ビーチと人工ビーチは遊歩道で明確に区分することを考えています。どこかの砂で十八成浜を壊してしまおうというような無謀な計画ではありません。
宮城県議、石巻市議、宮城県、石巻市の担当部局の皆さんと話し合いを重ねています。
こうした計画は、これまでに3回、宮城県議会議員の斉藤正美先生、石巻市議会議員の阿部和芳先生、阿部欽一郎先生、石森市雄先生、阿部正敏先生、石巻市牡鹿総合支所、石巻市本庁、宮城県東部土木事務所の担当部局の方々にも会議にご出席して頂き、ご意見を伺いながら、地元の案としてまとめているところです。そして、十八成浜→石巻市→宮城県という形で地元の意向として上げていくことになっています。また、9月14日には亀山石巻市長にお会いして、高台移転、県道、十八成ビーチ構想について懇談する予定になっています。
なお、牡鹿半島は国定公園内ですが、県、市の担当者ともに、国定公園内なので建設できない、ということは一言もおっしゃっていませんので、大きな支障にはならないでしょう。
役員 会長:沼倉憲一 副会長:及川伸太郎 事務局長:久田光政(愛知ボラセン) 監事:後藤秀敏 広報:阿部邦子 役員:阿部栄悦 役員:平塚二三江 委員(アイウエオ順) 上原啓五(作庭舎) 奥田弘幸(OPEN JAPAN牡鹿担当者) 城戸崎和佐(アーキエイド、神戸大学) 久世義晃(愛知ボラセン) 黒田清志(みちのくやまづと研究所) 後藤昂(牡鹿漁協十八成支部長) 後藤文吾(一級建築士)
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十八成の皆さんが活動の中心です。
「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」の役員と委員は左表の通りです。役員と委員の役割については、「最終的な決定は十八成に住み続ける地域住民にある。地域住民ではない委員は、いろいろな考え方、新しい視点などを提案し、地域住民の認識を深める役割を果たす」と考えています。「十八成ビーチ構想」の原案は愛知ボランティアセンターが提案しました。しかし、それは原案の提案であって、この事業は十八成の皆さんが中心となって進めていくもの、愛知ボランティアセンターの役割はそのお手伝いをすることと考えています。
50万人の人が訪れ、リピートしてくれるのかでしょうか…
これがこの最大の課題です。工事は資金を投入すればできなくもありません。ですが、ビーチを作ることが目的ではありません。それは入口です。観光施設は施設を作れば人は来るでしょうが、それだけではリピートしてもらえません。繰り返し訪れるような魅力をどう創出するかが最大の課題です。
まずは魅力あるイベントをどれだけ創出できるのか、そして、来られた方々が喜んでいただけるようなホスピタリティを発揮することができるのかが課題と考えています。
さらに、牡鹿半島全体で魅力を打ち出していく必要があります。1000年を越える金華山の歴史と文化、三陸沖の新鮮で美味しい魚介類…こうしたものを来られた方々に、いかに魅力的に提供できるのか、たいへんですが、とてもやりがいのある魅力的なことと考えています。
要は知恵と工夫だと考えています。優れた先例を学び、知恵と工夫を重ねることです。愛知ボランティアセンターは、今も十八成に大型バスで毎週のボランティア活動を継続させています。旅行業者のボランティア活動の他は見当たりません。愛知ボランティアセンターの活動は自然に継続できているわけではありません。災害ボランティアには継続性、持続性が重要と、昨年4月のボランティア開始直後から継続的な活動を続けるために必要なことを考え、手を打ってきた成果といささか自負しています。
もちろん、ボランティア活動とビジターズ産業との違いはありますから、ボランティアでの活動の経験に頼るものではありませんが、人を大切にするという視点は共通するのではないかと思います。これもやりがいのある魅力的なことと考えています。
なお、アクセスは県道2号線の他、コバルトラインが再開されることになっています。しかし、これだけでは足りません。大きなイベントの時には、仙台空港・仙台駅→(シャトルバス)→塩釜港→(高速艇)→鮎川→(シャトルバス)→十八成というルートを作れば、仙台空港から車で2時間半、公共交通機関では3時間以上かかりますが、1時間半ほどに短縮できます。そうすれば、十八成・鮎川を牡鹿半島の入口にすることができます。
住みやすい安全・安心の十八成を創ることが一番の目的です。
新聞の見出しには「にぎわい創出」とありますが、「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」が本当に一番の目的としていることは、「十八成ビーチ」の利益を、高齢者の多い十八成の皆さんが安心して暮らすことができる街づくりに資していきたいということです。
具体的にはディサービスやディケア、養護老人施設、リハビリ施設のある整形外科クリニックなどをイメージしています。その他にも高齢者の皆さんにとって必要なことを、全国の様々な先進例に学びながら導入していきたいと考えています。
「十八成ビーチ構想」の一番の幹はここにあると考えています。人が来て、にぎわいが創出され、雇用が生まれる、それだけではありません。「十八成ビーチ」の利益を地域全体のものとすることが最も重要なことと考えています。
将来の夢は、他地域からの高齢者と若者の移住。さらに、高校建設も夢想しています。
十八成の高齢者の皆さんにとって安心して暮らせる街になるということは、他の地域の高齢者も住みたいと思えるような街になるということです。将来的には周辺地域、さらには首都圏の高齢者が終の棲家として十八成に移住してきたくなるような街づくりを進めていきたいと考えています。さらにビーチスポーツで若者が移住する…。人口が増える。高校がほしい。高校は他の地域からも通いたい、寮に住んでも通いたいという何かの特色のあるものを創り、牡鹿の子どもたちは優先的に入学できればいいわけです。まだまだ夢想、妄想のレベルですが、素敵な学校まで創れれば、子どもから高齢者まで、十八成、牡鹿を安心して暮らせる街にすることができるのではないかと思っています。
たいへんな事業ですが、夢や楽しさがたくさん詰まっていると思っています。十八成の皆さんを応援しながら一歩ずつ実現させていきたいと考えています。
この構想に名古屋から応援するプロジェクトチームの参加を呼びかけています。関心のある方はこちらからお申し込みください。
こんばんは。スタッフ横井です。
直前のご連絡になってしまって申し訳ありません。
今度の土曜日が次回ワンコイン・サポーターズ事務作業日です。
9月8日(土)13時~ 東別院会館 第一教室
*場所は当日 東別院会館入り口のホワイトボードでご確認ください*
あると便利な持ち物:30センチ定規
銀行の通帳と入力データの照合が主な作業です。
時間が空いた場合は、ワンコイン・サポーター企画の現状報告やサポーターの方を増やす方法を話し合います。
1時間のご参加でも構いません。お気軽にお越しください。
今月はもう一度以下の日程でも行います。
9月22日(土)9時~ 東別院会館 第一教室
↑9月29日(土)9時~ の間違いでした。申し訳ございません
また皆さんにお目に掛かれる日を楽しみにしています。
代表の久田です。
十八成浜の砂浜を再生するとともに、流失した広大な住宅跡地に砂を敷き、ドーム球場5個分の大きな人工ビーチを作って、十八成浜を再生(あるいは新生)する「十八成ビーチ・スポーツエコパーク構想」。4月頃の発案から、時間をかけて丁寧に合意を広げ、多くの方々の提案を汲み入れ、未来が見え、元気になれるような構想を創り上げています。推進する母体は「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」(一般社団法人申請予定)。会長は沼倉憲一さん(十八成避難所初代リーダー)、副会長は及川伸太郎さん(十八成行政区区長)、監事は後藤秀敏さん(前十八成行政区長の後藤正信さんの息子さん)、そして事務局長は久田です。高台移転と十八成ビーチをあわせてすすめていく住民主導の組織です。これまでに、県議、市議、宮城県や石巻市の担当者とも協議を重ねています。
そして、そのことが9月5日付の河北新報で社会面トップ、9月6日付の中日新聞1面で大きく紹介されました。今は、十八成復興のためのスタートラインに立ったところかと思います。
住民本位の高台移転をすすめるとともに、十八成ビーチを実現させ、軌道に乗せるまで、愛知ボランティアセンターは活動を推進していきます。
十八成だけではなく、牡鹿半島全体、石巻市、宮城県全体に大きな経済効果をもたらします。小さな浜で継続している活動が信頼関係を作り、大きな果実を実らせることができるかもしれません。
さらにこの構想がすばらしいのは、十八成ビーチでの利益を、十八成の高齢者の皆さんが安心して住める町づくりのための資金にしようということです。ディサービス、ディケア、養護老人ホームなどの施設、リハビリ施設を備えた整形外科クリニックの誘致などを考えています。そして、十八成を終の棲家として、移住したいと思えるような町をつくっていこうということを構想しています。
この構想は被災地の復興の上に立って、高齢者が安心して暮らせる町づくりに資することをめざしています。新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する「イノベーション」の、被災地での一つの典型となりうるのではないかと考えています。
この構想に名古屋から応援するプロジェクトチームの参加を呼びかけています。関心のある方はこちらからお申し込みください。
第67回の活動報告です。
久世は木曜日から一足先に十八成へ来ていました。
金曜日に「牡鹿半島沖で地震。津波注意報」のテレビを見て
「もしかして」と少し不安に思っていました。
幸いにも直ぐに解除となり安心して、眠りにつきました。
被災者の皆さんはこうした不安な思いを、これまでに何度もされてきているわけですね。
そして、土曜日の朝は、十八成の皆さんといっしょに、「おかえりなさい~」と出迎えました。
朝から元気な代表がミーティングの司会。
そしてそれぞれの活動に
(67回は代表と久世の二人スタッフ体制、のはずでした。しかし、代表は午後から開催する「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」の
打ち合わせで鮎川へ。結局は久世一人。しかも、チーム恭一の作業や、お弁当の配達などをされてる後藤さん夫妻、車の提供をして頂いてる典子さんがともにご不在で、いつも以上にてんてこ舞いでした^^;
【くぐなり食堂】
今週のメニュー
たらこの洋風ごはん
レタススープ
鮭のムニエル
ジャーマンポテト
夏野菜のりんご酢漬け
キャベツの錦糸玉子和え
今週の料理長は、千鶴ちゃん。料理長デビューでした。そして、女性料理長としては最年少です。
ミーティング後、作業に入ります。
今回も小学生から年配の方と幅広い方がくぐなり食堂班に。
仮設住宅に住んでいる小学校1年のさくらちゃんも教えてもらってます。
ヤングチームでお握り。
【こころ配り】
食堂班が時間内に美味しい食堂を作ってくれると信じ、
「今週も美味しい食堂ですので、ぜひ談話室に来てください」
と一軒、一軒声をかけて回ります
トミコさんのお宅を回った班は
「トミコさんの家にあがったら、美味しい漬物などが沢山出てきて
ついつい長くお邪魔しちゃいました・・・」と笑顔で報告。
他でもおウチにお邪魔させていただいた班も。本当に十八成の方は暖かった、と笑顔でした。
【チーム恭一】
ヤングメンバーへ恭一さんが指導。
「あんた達が主役になるんだ」
先週に続き今回も神社の草刈り
老若男女問わずに真剣に作業
そして真剣に休憩
そして真剣に作業
今回も完璧な出来!!
ありがとうございました。
【談話室】
「スープが美味しい」と何杯もお代りする方も。
どこかで聞いたことがありますが、スープが美味しいという事は全てが美味しい。
なぜでしょうか? スープまで手を抜かずにこころを込めているからです。
ですから、おかずも美味しいと。
今回のお弁当も最高に美味しかったです
お弁当を運び終え一安心の久世(←自分で作ったワケでもないのに)
【阿部邦子さんの「命をつなぐ」語り】
南海トラフの被害状況予想が大きく報道され、
「生きて。ここで学んで!」と語る邦子さんはいつも以上に
熱の入っていました。
聞いているボランティアさんも
「明日は我が身に」と真剣。
ボランティアさんを真剣にさせるほど、邦子さんの話に力強さがあります!
【十八成ビーチ・海の見える丘協議会】
久世も少し参加。
市議会議員さんや、市役所本庁、牡鹿支所の方、建築家、大学院生、アカペラグループRAG FAIRのおっくん(ボイスパーカッション)、牡鹿でボランティアをされている方、画家さんなど、本当に幅広い方が協議会に参加していて、皆さんで力を合わせ十八成が一つになっていく所を見てきました。
一日の活動を終えて
恒例の恭一さんによる手相。行列が出来ていました(バスに乗る時間まで続きました)
そしてエール
若手男子が今回の当番
そして、集合写真
写真提供:千鶴ちゃん、村瀬さん。ありがとうございました。
こんばんは
9月11日で東日本大震災から1年6カ月が経ちます。
震災関連の報道は当時に比べ減ってきています
しかし、愛知ボラセンを通じてボランティアに参加したいという
ボランティアさんからの申し込みは報道とは関係なく増え続けて
あっという間に各回が締め切りになる状態です。
そこで、9月21日から23日の
第69回のボランティアバスを大型バス1台から
もう1台増やし、応援活動を行いたいと思っています。
この回は、十八成浜の活動と同時に
鮎川浜でも、倒れた納屋の撤去作業も行います。
●まだまだ力が有り余っている方
●この回に行きたいけど締め切って諦めていた方
ぜひこの機会に申し込み下さい
活動班などは、メールにて相談させて頂き、決めていきたいと思っています
第69回9月21日(金)~9月23日(日)(追加募集)定員30名 締切:9月16日(日)定員になり次第締め切ります。
参加費12,000円(バス代・高速代込み)
(応募して頂いた方は全員参加出来ます。
今後の愛知ボランティアセンターからの連絡は持ち物などの確認のメールになります)
皆さんの応募お待ちしています
愛知ボランティアセンター
事務局長 久世義晃