皆様こんばんは
事務局長の久世です。
今日からグーンと寒くなってきました。
宮城も朝・晩は寒いです。
夜中から早朝のSA(那須高原SA・菅生PA辺りは)は寒くて、
トイレまでダッシュしてます。
これからは本格的な冬を迎えます。
寒さで、十八成の方、参加者の方が体調を壊すのではないかと本当に心配です。
さて31回はなんと東北のテレビ局に取り上げられました。
今までは愛知のテレビ局は同行取材をして頂きましたが、
今回は東北放送
9:30~ウォッチン!プラス-絆みやぎ-
で放送されます。
それも、ディレクターさんが、金曜日に名古屋に来て、
夜一緒にバスに乗り、土曜日は日中活動を取材していました。
東北放送が見られる地域の皆様
土曜日 9:30から東北放送を見てください。
そして感想を下さい。
32回の皆さんで、携帯ワンセグをお持ちの方は十八成で見られます^^
仮設の談話室にテレビがあるといいのですが…。
さて先週の活動報告です
くぐなり食堂は
・ゆかりごはん
・わかめとあげのお吸い物
・アジフライ
・れんこんのごま和え
でした。
出来上がりはこんな感じ。
アジフライはしっかりフライヤーを使ってます。
アジフライなどを含めて先週も大盛況でした。
今週も頑張ります。
瓦礫撤去班は
○及川さんの畑の石取り
○阿部さんの側溝掘り
○仮設住宅の側溝作り
でした。
石取りは、台風で石が畑に流れてきたので、
その石を取る作業です。
大量の石が畑に流れ込み、先の見えないキツイ作業でした。
しかし、声を掛け合い、楽しく作業をしていました。
作業後の畑では「俺は3日後に筋肉痛だ。俺は明日筋肉痛だ」という声が聞こえました。
そろそろ今日くらいからですか?筋肉痛。気持ちいい痛みだと思います。
しかし、あまり無理をしないで下さい。
阿部さんの側溝掘りは、畑を作業している姿を見て、
「あそこの側溝もお願い出来ないかな」と依頼がきました。
そういう声は非常に嬉しいです。
十八成浜の方々が愛知ボラセンの活動を見ていて、認めていただけたという事だと思います。
これからも、当日の依頼は、現地スタッフ恭一さんと相談しながらも、
出来る限り応えていきたいと思ってます。
仮設住宅の側溝作りは先週作った側溝の脇に土嚢袋300個を
並べる作業でした。300個の土嚢造りは予想以上にキツイ仕事。
しかし、皆様の力であっという間に終わらせました。
ありがとうございます。
これで、雨が降っても、山から仮設住宅へは雨水は流れないと思います。
愛知ボラセンの功績ですね。
という事で31回も無事に終わりました。
これも、十八成の邦子さんや恭一さん、区長さん、美奈子さん、泰子さんをはじめ、
多くの方々のご協力のおかげだと思っています。
いつもありがとうございます。
今週も元気よく十八成に帰ります!
事務局長の久世です。
今日からグーンと寒くなってきました。
宮城も朝・晩は寒いです。
夜中から早朝のSA(那須高原SA・菅生PA辺りは)は寒くて、
トイレまでダッシュしてます。
これからは本格的な冬を迎えます。
寒さで、十八成の方、参加者の方が体調を壊すのではないかと本当に心配です。
さて31回はなんと東北のテレビ局に取り上げられました。
今までは愛知のテレビ局は同行取材をして頂きましたが、
今回は東北放送
9:30~ウォッチン!プラス-絆みやぎ-
で放送されます。
それも、ディレクターさんが、金曜日に名古屋に来て、
夜一緒にバスに乗り、土曜日は日中活動を取材していました。
東北放送が見られる地域の皆様
土曜日 9:30から東北放送を見てください。
そして感想を下さい。
32回の皆さんで、携帯ワンセグをお持ちの方は十八成で見られます^^
仮設の談話室にテレビがあるといいのですが…。
さて先週の活動報告です
くぐなり食堂は
・ゆかりごはん
・わかめとあげのお吸い物
・アジフライ
・れんこんのごま和え
でした。
出来上がりはこんな感じ。
アジフライはしっかりフライヤーを使ってます。
アジフライなどを含めて先週も大盛況でした。
今週も頑張ります。
瓦礫撤去班は
○及川さんの畑の石取り
○阿部さんの側溝掘り
○仮設住宅の側溝作り
でした。
石取りは、台風で石が畑に流れてきたので、
その石を取る作業です。
大量の石が畑に流れ込み、先の見えないキツイ作業でした。
しかし、声を掛け合い、楽しく作業をしていました。
作業後の畑では「俺は3日後に筋肉痛だ。俺は明日筋肉痛だ」という声が聞こえました。
そろそろ今日くらいからですか?筋肉痛。気持ちいい痛みだと思います。
しかし、あまり無理をしないで下さい。
阿部さんの側溝掘りは、畑を作業している姿を見て、
「あそこの側溝もお願い出来ないかな」と依頼がきました。
そういう声は非常に嬉しいです。
十八成浜の方々が愛知ボラセンの活動を見ていて、認めていただけたという事だと思います。
これからも、当日の依頼は、現地スタッフ恭一さんと相談しながらも、
出来る限り応えていきたいと思ってます。
仮設住宅の側溝作りは先週作った側溝の脇に土嚢袋300個を
並べる作業でした。300個の土嚢造りは予想以上にキツイ仕事。
しかし、皆様の力であっという間に終わらせました。
ありがとうございます。
これで、雨が降っても、山から仮設住宅へは雨水は流れないと思います。
愛知ボラセンの功績ですね。
という事で31回も無事に終わりました。
これも、十八成の邦子さんや恭一さん、区長さん、美奈子さん、泰子さんをはじめ、
多くの方々のご協力のおかげだと思っています。
いつもありがとうございます。
今週も元気よく十八成に帰ります!
温かかった。現地の方だけではありません。愛知ボランティアセンターのスタッフの皆様、第31回のメンバーの皆様・・・本当に多くの方が温かかったです。
私はC班として、瓦礫撤去をさせていただきました。作業中、現地の方から差し入れをいただきました。温かさを感じました。
同じ瓦礫撤去を行ったメンバーの皆様は、班長を中心に楽しく行えました。その中でも、「休憩しましょう」「作業代わりますよ」といった声かけに思いやりを感じました。
今回私は、A、B班の方とはあまりお話をする機会がありませんでした。しかし、“被災された方のために何かしたい”という同じ目的を持っていたので、心ではつながっていたと思っています。
また、邦子さんの言葉でとても印象に残っていることがあります。
「ありがとうを出し惜しみしないで下さい」
僕は「ありがとう」をたくさん言える人間になりたいです。
今回、愛知ボランティアセンターさんのボランティアに参加させていただくことができて本当によかったです。一つだけ後悔することがあるとすれば、もっと早く来るべきでした。しかし、これだけ多くの方が同じ気持ちで取り組めるというのはとても気持ちの良いものでした。このような方々で溢れたらたら日本や世界は素晴らしいものになるのになと思いました。
人とのつながりを感じられるとても良い経験となりました。ありがとうございました。
地元愛知県にいると自分の存在など小さなもので誰かに必要とされたり、感謝されることも少ないけれど…、微力ながら自分より困っている被災地の方々のお役に立てられ、感謝されたり…。また、同じチームの方より声かけて頂ける喜びを知るたび、「本当に参加して良かっなぁ~」と言う充実感が得られるので…、この様な素晴らしい機会を作って下さったスタッフの方々に心からお礼申し上げます!!ありがとうございました!!
尚、今回、十八成浜地区以外の被災当時の惨状を知る場所(谷川小学校)に案内して頂けたおかげで、本当に被災地に来て、活動している実感が頂けたので…、どの班になっても「公平な見学」をさせて頂けるのは被災地ボランティアを風化させない為にも良い企画だと思います。(以前、がれき班の方が女川原発方面で見学された話を伺って内心、羨ましく思っていました。)
行きのバスの中の自己紹介では参加きっかけを話している途中でいろんな感情が込み上げてつい涙が出てしまい、活動前に立ち寄った被災した小学校を目の前にまた涙が込み上げ、到着式で阿部さんの話を聞いて涙、活動中十八成浜の皆さんの笑顔を見て涙、出発式でまたしても涙と、悔し涙、悲しい涙、嬉しい涙・・・いろんな涙を流した3日間でした。泣き過ぎですみません。
自分の親族も福島県で被災し、被災地を訪れるのは初めてではなかったのですが、いざ被災地を目の前にすると、記憶が3.11まで巻き戻り、言葉には言い表せない感情で押しつぶされそうになりました。
私は炊き出し班に振り分けられて、たくさんのお弁当作りも初めての経験で、180人分と聞いてびっくりしました。
でもみんなで和気藹々と手分けして作って、緊張と不安でいっぱいだったボランティアを、いつの間にか楽しんでいる自分がなんだか嬉しかったです。
今回の経験で、震災以降、親族への接し方などで悩んで、ずっと自分の中で抱えてこんでいたもやもやが、少し晴れたような気持ちになりました。
今回限りにせず、また絶対参加したいです。
気恥ずかしくて言えなかった「ただいま」を言いに。
初めて炊き出しをさせて頂きましたが、班のメンバーのやる気、目標とすることが一緒のせいか、十八成の人はじめ、恭一さん、邦子さん皆が美味しかったと言ってもらえた事に嬉しかったことは言うまでもありません。
今回、邦子さんと話す機会があり、ちょっとした不安もこぼしたのが、気になりました。私達参加したものは、少しでも力になりたいという一心で行動していますが、同時に現地では、人の温かさや、邦子さんのパワーもこちらも頂いていると思います。
生きたボランティアという言葉が、気になり、考えながら活動した今回の30回。
ボランティアには、瓦礫撤去だけがすべてではない。真のボランティアは、心の行き交いが一番大切なんだなと、感じました。
ただ十八成浜に行き、話し、笑う。それだけと思うがそれが、半年以上たった今、大切なことなんだなと。
何もとりえない自分、何もできない自分ですが、このボランティア活動がなくならないためにも、風化させないためにも、また十八成浜に戻りたいと思います。
★朝の 『お帰りなさい』のお出迎え 夕の 『行ってらっしゃい』 のお見送り。
本来でしたら 集落をあげてさせていただきたいのですが、参加している15~6人は、 集落のみんなからの 『私の分もよろしく』との思いを受け止め、みんなの分の 心 一緒に 手を振らせていただいております。
「行ってらっしゃい」のときは 暗くなっているので、名古屋に向かうバスの明かりが どんどん遠ざかると 寂しい気持になります。
でも、『決して さようなら ではないんだ 行ってきます なんだ』 と思うと 『次につながる』 温かさがあります。
このところ、「噂の阿部邦子さんに会ってみたくて 応募しました」 とのお声が。
う・わ・さ って~~?? (爆笑)
残念ながら 皆さん全員と お話しする時間や機会は そうはとれませんが、 朝・夕のご挨拶のとき お気づきのかたもおられるでしょうが 私は お一人・お一人 の目を見て お話させていただいております。『この思い、あなたに届け』と思って、話しています。 もし お聞きになりたいことなどございましたら お気軽に お声をかけてください。
くぐなり食堂はもう 十八成に定着していると思います。 一週間に一回 上げ膳据え膳で そして みんなと談笑しながらご飯を食べられる。 談話室に来られる人も 来られない人も みんな 「私たちのこと 忘れないで また来てくれて ありがとう」 そう思っています。仮設に入ると 避難所にいたときとは違う不安が胸を締め付けます。 どんなに明るく見えても 私だって同様です。
また お帰り を 十八成住民全員が お待ちいたしております。 『チラシ手渡しの 地図』 を作ってくれましたので 次回からは だいぶ 楽になるでしょうね。 次回につなげる ・・・それは 愛ボラならではの 温かさだと思います。
私から パワーをもらえた と言ってくる方々も多いので、 パワー、受け止めてください。
なぜ 元気でいられるのか 2月の講演で 思いっきり 心のすべてを ぶちまけますので お楽しみに。 今度は名古屋に 私が 「ただいま」と帰りますので、 どうか 『お帰り』と 迎えてくださいね
ウォッチンみやぎ見ましたっ
私も十八成に住んでいましたっ(^ω^)
ですが震災で祖父の家から学校に通っています
たまに十八成に帰るとやっぱり地元は落ち着きます
愛知ボラセンの皆さまが毎週末来てくれてると知ってとても驚きました
ふいに涙が出てしまいました
本当に本当にありがとうございます
感謝でいっぱいです。
私も今度週末に帰って久世さんはじめ、愛知ボランティアの皆さまにお会いしたいと思います☆
また来てくださいね
ウォッチンみやぎでは、名古屋のお見送りでスーツ姿の後ろ姿した映っていませんでしたから、わかばさんには認識していただけませんでしたが^^;
愛知ボラセンは毎週土曜にくぐなりに帰ります。ぜひ、今週末にご一緒を(とはいえ、私は帰れませんが^^;)
行く前は、心のどこかで躊躇っている自分がいたのですが、行ってみて活動してみて現地の人と関わってみて、「来てよかったな」「また来たいな」と素直に思える自分がいたことを嬉しく思っています。
活動をすると、すぐそこに喜んでくださり「ありがとう。おいしかったよ」と、声をかけて感謝してくださる方々がいることが、「来てよかった。役に立ったんだ」と、その場で自己肯定と成就感を味わうことができる-これが「生きたボランティア」なんだな、だから、これだけ続いていくんだなと思いました。
たくさんの準備をしてくださった愛知ボランティアセンターの方々のおかげで、ポッと参加するだけで、特別な思いをもつことができ、自分を見直すいい機会になりました。本当にありがとうございました。
いろいろ感想はあるのですが、ひとつだけ...。行きのバスで阿部邦子さんのラジオを収録したものが流れてましたが、その中で「私、笑えるんだ」という言葉がありました。
環境も立場もまるで違いますが、自分は感情を出すのが下手なのか、うれしいのにうまく笑えず、悲しいのに泣けない。いや、今まで物事に感動して泣いたことなど一度もありませんでした。
ラジオのなかで「自分探しのために参加したという人もいる」とも言ってましたが、自分もそれに当てはまるかも知れない。そんな事を考えながら間もなく着いた谷川小学校を見ていたら…。えっ、うそ!泣いてる。自然に涙が出てました。信じられない。
でも、でも。そのあとのバスで今度は久世さんのラジオを聞き、中島みゆきさんの時代が流れたとき号泣してました。(隣に人に気づかれないよう苦労しました)
そうか、「私、泣けるんだ。」そんな自分を見つけることが出来ました。