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以前、私が投了した時に「パソコンの調子が悪いので投了させて貰いました」みたいなコメントを送ってくる人がいるという話をしました。
これは例えば、相手にとって「お前は形勢が悪いのに、粘りすぎ!」のペナルティー的なことだろうか?
形勢が悪い=即投了・・・は判断が難しいはずですね。
それでも打ち続けるのは、相手が間違えるのを期待して打ったという判断での怒りをぶつけているのだろうか?
でも「即投了」しかないなら、逆転を目指して頑張るということは否定されてしまいます。
”粘り過ぎ”かどうかの判断も私らクラスでは、難しいと思うのだけれど・・・
さて今回は、頑張って矢尽き刀折れて投了(と本人は思っているが、相手はやっと投げたか”諦めの悪い奴”でしょう)した時。
こちらからは「ありがとうございました」の挨拶に、返事は
「時間が無いので投了させて頂きました」!!!
こんな挨拶ならば無い方がましです。
口先だけの投了に、揶揄・皮肉が込められている
しかもこれは定型文には無い言葉だから自分で作って置いてあるに違いない。
先日のNHKテレビで、ネットゲームでの5つの注意点の内、2つまではマナーに関することだった・・・これが基本ということです。
TVでは「相手を思いやることが最も大切・・・」
思いやりは期待しませんが、こういう確信犯的なマナー違反は何だろう?
これがIDネームのネットではなくて、実名ですから「私そんなに悪いことをしたのですか?」という気分です。
この方は、「相手に嫌味な言葉を投げつけることで、勝利の喜びを増幅させているのでしょうか?」
私に対する「投了が遅い!」という非難より「死者を鞭打つ」言葉にも思えるのは、私もまた自分勝手な性格があるのだろう。
私が逆の立場の時、相手の頑張りに足を滑らしたり躓いたりもたまにはあることです。
したがって、私のミス云々では無くて、「頑張る」も故無しでは無いと考えています。
こういうときひっくり返されるのは、非常に悔しいけれど・・・
「頑張る」「粘る」はあることです!
問題は程度問題ということでしょう。
この、程度の判断はアマでは難しいはずだし、主観的ですからね
他人に対局結果を訊かれた時に「幸いしました」と応えるのとの気持ちの差は大きい
昔、中国で紅衛兵の嵐が吹き荒れていた時に聞いた格言で
「おぼれている犬は棒で叩け!」みたいに(少し使い方が違うけれど)対局に負けた相手は精神的にも叩け!みたい
「言われるのが嫌なら負けるな」でしょうか?
囲碁を楽しむということは、負けた相手を盤外でも叩くということなのだろうか。
もしそういう気分があるのなら、囲碁を楽しんでいるのでは無くて、勝負事で勝つことを楽しんでいるのでしょう。
この人も負ける時はあるはずです、もし同じ言葉を相手に投げられた時
「自分がいつもしていることをやられた」=「負けた時は仕方無い」と思うだろうか?
もしそうならそういう形で”勝負事を楽しむ人”とはいえるのかもしれない
しかし何だか確信犯的なバッドマナーです
そして彼とは違う感覚のものにとっては決して愉快な話ではありません
対抗手段は無い・・・せいぜい対局しないこと
「対局拒否リストに入れて当面は対局しない」事がもっとも手っ取り早い・・・しかし心の中ではリターンマッチでリベンジしたい。
但しリベンジに成功しても彼みたいな言葉は投げません
何だか自分で自分を汚すような気がすると思うのだけれど、ああいう言葉を投げる人はそういう気持ちを持っていないのでしょう。
ところで彼は、”きれいに”投げる棋風なんだろうか?
観戦してみたいけれど、それは嫌味に過ぎるかな?
また、囲碁でそういうことをする人の日常は?・・・考えると怖いので止めておきます
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