なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

負けパターン

2007-02-16 00:43:34 | Weblog
 寄せては返すさざ波・・・ならまだ良いのだけれど、時には板子一枚地獄の底へ引きずりこまれそうな大波も来る。
 ネット仲間というか(名前しか知らない)顔見知りのMさんなどは、やや私と似ているが、アチラの大波は持ち上がる時も凄い高さまで持ち上がる。
 うかうかすると2つは置かなくてはいけないかという勢いです。
  マアその逆もあるわけで、「Mさん、向う先で逆コミは困ります」と愚痴を言いたくなるときもある。
  ともかく、上にも下にも大きく動く。
 さて私の場合は上に行く大波は無い!!
  少しずつ上がっていって・・・ドンと落ちていくのです
   この間も例えたように、砂丘の崖登りです。

さて、勝った数と同じくらい、当然負けたことがある。
  それで勝因を考えると、口に出すのはおこがましいというか、「勝因」なるものがあるのかどうか疑わしい。
 反対に、相手の敗因とか私の運が好かったところはある
  ということは、少なくとも私に限って言えば「勝った時に、好い気持ちで勝因らしきものを振り返ろうとすることは間違い」ということです。
  実際に棋譜を再現していくと、「ここでこう打たれたら逆にやられていたかも」とか「相手が急戦に来ないで、ジックリやってきたらどうなっていたかわからない」などと背筋が寒いことは日常茶飯時なのです。
 これは決して謙虚さとは関係なく実際そうなのです。
   ということは、中盤以降で「必勝手」というものが存在する場面はあるかも知れませんが、一般的には必勝手は無いでしょうね。
  そういうものが布石段階にあったら、つまらないゲームになってしまうでしょう。
  必勝手は無いけれど、その反対に「負ける」「形勢を損じる」手はある。
 「常に悪手になりそうな手」「その場面ではよくない手」・・・
あるスキルを身につけて棋力が上昇することもあるかも知れませんが、実際には「負ける手を排除する」事が上達には重要のように思います。
  
 そのような偉そうなことを吹いていますが、実際には同じような敗因を繰り返しているようで内実は大変情け無い
① 緊急性の低い手を打つ
   何か碁盤のどこかにこだわりがあったり、打っても相手は困らないのについ打ってしまったり。
  手抜きされて困ったり
② 大きな手を打ったつもりが他にもっと大きな手があったりする
③ 狙いを重視しすぎて、取り返しのつかない犠牲が大きすぎたり
    犠牲を顧みずに取りに行って、取れなかったり
④ 尻尾抜けに気がつかず攻め続けたり、自分の石が切れているのに気がついていなかったり
 全く情け無いものです
こういう失敗を何年も繰り返していることになる・・・
 懲りない人間というか、進歩が無いというか。
  しかし考えてみると(考えなくても)こういうパターンは弱い証拠
   弱いのだからしょうが無いけれど、森の石松=馬鹿は死ななきゃ直らない
  死んでも直りそうも無いかな?

「足が遅くてもしっかりした手」と「とりあえず足早に展開」の区別をする”心がけ”の気持ちはあるけれど、実際に適正かどうか
 気持ちだけが先走っていたり、なにやら意地みたいな手だったり
  そして相当に状況が悪くなって「結果はともかくやるしかない」という状況になった時には逆転の可能性は限りなく0に近い。
 
  そういう恥ずかしいことの繰り返しですが、中でも最近多いのは・・・
 相手が考えている間に当方も考えて(?)いて、相手が打った時その手と関係なく、自分が考えていた次の手を打ってしいてまうのです。
 つまり、相手の手を見ていない!
   どこかで勝手な進行を描いている・・・
 全く自分で自分に「困ったジイサマだ!」というしかない。