なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

囲碁フライト

2007-02-20 02:51:56 | Weblog
 私はリアルで打つ時はサウスポーです。
 理由はこれまでに何度も書いていますが、マアまだ10年にも満たない俄かサウスポー。
 右でも左でも出来るといえばそうなんですが・・・若い頃野球ではスイッチヒッターだったし、投げる方は右でしたがソフトボールではフリーバティングのピッチャーが出来たりしました。
  今はそういうことは到底無理でしょうけどね。
 走れない投げられないですから
  いつも通勤途上で中学校の横を通るのですが、帰宅時間に通りかかると部活の時間帯で、グランドでは野球・サッカー部が活動中ですからつい目がそちらに行きます。
 自分でも昔やっていたり、今でも興味のあるスポーツだからどうしても見たくなります。
 そしてその向うのグラウンドの隅では女子ソフトボール部が練習をしている。
  ランニングしているところを見ると少人数で、何とギリギリの9人に見える
 いつもそうだから間違いないだろうな
人数はともかくフリーバティングや素振り練習の時に見ても、どうやら左バッターがいないようです。
 右でやれるのに無理に左の練習をすることは無いとも言えるけれど、ソフトボールに関しては打つ時に右と左ではかなりの優位性が変わります。
 指導者の先生も充分分かっているのでしょうが、中学生の時期なので基礎作りに主眼を置いているのでしょうか?
 おせっかいなことを考えながら通過します。

さてそのサウスポーですが、昔N囲碁センターにも一人いました。
 今でこそ「書く事も鋏も料理も本人のやりやすい方で良い」みたいな感じですが私の子供時代は右手のことを「箸を持つ手」左手は「茶碗を持つ手」と言っていたのですから右手と左手の機能は決められていたようなものです。
 そういう時代ですから本来の左利きでも、社会のルールみたいに強制的に右利きに変えられていたこともあったようです。
  時代劇で侍が右の腰に刀を差すのは見たこと無いし。
 だから囲碁でも右手で打つのが圧倒的な多数派・・・というより「左手」は例外だった気がする。
 (今でこそ左で打つ人も珍しくないですが)
 そういう時代彼Iさんはサウスポーでした。
ルール違反ではないし別に咎められることは無い、多少困る事と言えば整地や石を収める時に向かい側の人と利き手が違うとぶつかることがあるくらい・・・でしょうか。
 碁笥の置く位置、ハマを入れる蓋の位置が違うくらいで、手合い時計の場所などは寧ろ喜ばれるくらいです。
 私の手元に(自分で書いたのですから当たり前ですが)「Nスケッチ」というタイトルでここに集まるメンバーの一人ひとり、碁に関することなどを書いたものがあります。
 昔のデスクトップパソコンで、薄型の5インチFDを使っていた時代のもので、プリントしてあったので残ったという感じです。
 今ではこのFDでは再現できるパソコンを持っていませんから、もしプリントしていなかったら諦めていたかもしれません。
  その原稿からここでも「棋士銘々伝」的に使ってきましたが、Iさんのことも書いてありました。
  ある意味では彼は凄い碁キチなのかも知れない。

彼は大手の旅行会社に勤めていました(現在のことは知らないので過去形にして置きます)。
 当地の勤務が長かったのですが、沖縄とか南の方の島に現地駐在員として転勤した時のことです。
 沖縄の時は何と2週間に1回は碁会所に姿を見せたのです。
  まあ囲碁と同じくらい「馬」も好きだったから現地にいては生で見られないから帰ってきていたらしいから、馬と碁がどちらが本命ということも無かったでしょうが、月に2回も飛行機で来るエネルギーになっていたようです。
 私などはからかい半分に「沖縄にも碁会所はあるでしょう?」と聞いたことがありますが、彼の答えは「勿論ある」
 「碁会所はあるのだけれど、慣れない場所で打つのは、そこの雰囲気に慣れ、人の中に溶け込んでいくのに相当な時間と努力が必要」とのことだった。
 確かにそういう傾向はある。
  しかし月に2回飛行機に乗って碁を打ちに来るエネルギー!!
   
 「あちらでは金額はともかく賞金を載せているところが多くて、そういうところでは”ヨソモノ”は敬遠される」のだそうだ。
 その点ではここN囲碁センターは顔見知りばかりだし「賞金打ち」は」断固拒否しているので、かなり明るい雰囲気ではある。
 だから「中山」「東京」が無くても彼は息抜きに当地に碁を打ちに来たでしょうね・・・ここは成田に近いですから。
 そしてそういう彼の「行動パターン」は海外駐在でも変わらなかった。
  海外と言ってもヨーロッパではないですが、比較的近いといっても太平洋にある島です。
 頻度としては最低2ヶ月に1度くらい。
  競馬のクラッシックレースに合わせることが多かったのですが、囲碁センターに碁を打ちに来たものです。
 これは国内に転勤するまで数年続いたのです。
   彼の人生は馬と碁を中心に回っているのかも知れません。
  そして国内に転勤、と言っても隣の県の県庁所在地ですから、ここに来るには一旦東京に出てから、JRで乗り換えてくるので相当手間と時間がかかる。
 そういう障害をものともせずにほぼ毎週顔を出していたのだから、呆れるというよりやはり頭が下がる。
 マア飛行機に乗って打ちに来たくらいの人ですから、電車の数時間はなんとも無いのかも知れませんね。

さて棋風は、行動パターンと関連があるか、こうと決めたら断固押し通す感じ?
 かなり急所に迫る棋風(そういう表現で分かるだろうか)
  つまり私みたいな生ぬるい手を嫌い、相当きつい手を打つのです。
 但しその棋風は両刃の刃でもあるので・・・ポカも多い
  一杯一杯の碁を目指しているので、自分で躓くのでしょうね。
だから藤沢秀行さんではないけれど「ポカさえなければ」と嘯いていますが・・・まあレベルの問題はさて置き、そういう面はある。
 尤もそれを言ったら皆当てはまる

彼の出身地は東京近郊の中央線沿線の市で今でもそこに親御さんの家がある
 だからN囲碁センターの帰りはそこになるのか、直接勤務地に帰るのか・・・
  N囲碁センターでは碁の後は将棋というのが彼のパターンです。
 こちらの方は彼は筋が良いらしい。
  囲碁でいじめられた上手を将棋ではギューギュー言わせている。
    互角以上のようです。
 さて、そんなことだからお嫁さんが見つからなかったのか・・・いや本人の視野に無かったのでしょう。
  それにしても懐かしい
 私の俄かサウスポーから見るとサウスポーの本家みたいな人です。