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(昨日昇段のお祝いを述べさせていただいたばかりで、またまたネタ元みたいに使ってしまい申し訳ありません)
新垣武九段の「死活反復トレーニング」の本に出題されている問題の話です。
模範解答が示されているけれど、初めは何の疑いも無く読んでいたが、何度目かに回答の間違いに気がついたということです。
これは凄いことです。
本に書かれている=活字になっていること・しかも”先生”が書いたものですから、ほぼ100%の信頼というか、盲目的といったら言い過ぎかもしれないけど信じてしまうことが多い。
ですから、自分で出した答えが模範解答と違えば自分が間違ったと思い込むわけです・・・解答と模範解答の間に相違があればそう思うところです。
普通は”問題が間違っているのではないの?”と感じる時は、要するに”出来ない”という現実=”自分に解く力が無い”と、「模範解答」が存在する矛盾?を合理化することです・・・つまり自分が出来ないのは問題のせい・・・
詰め碁の問題なら正しい道筋がいくつもあってはいけない、基本形の問題ならば正解は複数ある場合もあるにはあるけれど。
さて私も同じ本を持っています
そして何回か本を読んで、問題を解いている筈なんです・・・
でも、気がつかないということは何だったのか!?
先生の模範解答に合わせているだけなのかも知れない(良い事では無い)。
非常に不安になり問題を確認しましたところ、多分問題となる出題はこれだなというものを見つけたが、見るとブログで示されたものとはダメが違っています。
なるほどダメが1つ違えば結果も違うが、この違いは何なのか?
ブログの方に他の方からの書き込みがあり
「第1版の図に間違いがあった」が「第3版で図が訂正されている」との事だった。
なるほどそうだったのか!!
彼は第1版を見たのですね・・・版を重ねる時に訂正があったということで、私は更に後ろの「第5版」だから図には間違いが無かった
マア、なんとなく一安心しました。
でも、活字は為になると同時に信じすぎてもいけないという教訓でしょう。
”考え方の違い”、”単なる印刷ミス”などなど原因はいろいろあるから判断は難しいです。
さて本題「おいでおいで」
言葉では同じでも、いろんな意味がある言葉です。
(辞典では調べていませんが、自分の”感じ”で話しています)
人を寄せる時の言葉で通行人に声をかけるときにも使いますが、「物の怪」が人を身近に寄せる時の言葉・しぐさ。
マア美形の物の怪なら寄せられても好いか?・・・
招き猫も「おいでおいで」の一種かも
そういうのもあるらしいが、私としてはこれは若い頃に興味を持っていた=実は嵌りかかっていた「競馬用語」の方が親近感がある。
そこでは「逃げ馬」の作戦を表した言葉なのです。
馬によって性格が違っているのは当然ですが、逃げるのは余程勝気か、反対に気が小さい馬らしい。
レースが始まって、ポンと先頭に立って一気に他を寄せ付けないほどのレースが出来るならば、それは絶対能力に違いがあるということ。
普通は作戦・流れ・運などに左右される事が多いから
「おいでおいで」は後続の馬との距離を適当な間に保って逃げ切る作戦。
馬が走る競馬と囲碁とを比較するのはおかしいけれど、”一気の逃げ”は後の急激な体力ロスを招きやすいように、囲碁でも”一気の逃げ”=薄かろうが足早に先行する”のは後にあちこちの薄みを突かれて破綻しかねないもの。
碁で強い人は「相手を逃がすような先行はさせない」か「先行されてもジックリついていってキッチリ差す」事が出来る人のようです。
もっとも同じくらいの仲間で打っているわけですから、馬で言えばレース展開、碁で言えば(私の場合は)その日の運でしょうか、そい言うものに左右されるようです。
そして、競馬的に言うと私は”逃げ作戦”が好き
そうは言っても碁の場合は同時スタートではないから、白番なら一気の逃げは無い。
トラック1周レース(例えば中山1800m)なら、2コーナーから向う正面辺りで競りかけて先頭を奪うことができれば、後は追い抜かれない程度にリード保てれば理想的
このときの自分のキーワードが「おいでおいで作戦」
例えば辺に相手の30目の地を固めても、見返りに中央に20目の自分の地が出来れば差し引き10目の話。
相手に自分の三3に飛び込まれても、その反動で相手の地も荒れるのなら釣り合いが取れる・・・
そんなようなことでバランスを取りながら、ある程度ドライに進めると、相対的な差は保ったまま手数が進む=ゴールラインに近づく・・・勝手に名付けた「おいでおいで作戦」というわけです。
先日の対局で、序盤でかなりの大チョンボをしてしまいました。
これはクリックミスで打った瞬間に「待った!!」と叫びたくなるような情け無い状況です。
本来の着点の隣をクリックしてしまいました。
1路の違いが天国と地獄
勿論「待った」など無いし相手が許してくれるわけが無い。
お目こぼしなども期待するだけ無駄
さてそこから追い込みを開始した(要するに粘っただけかも知れないが・・・)
相手の弱点を見つけて一気に襲い掛かるか、あるいはゴール前までに相手より半目でも前に出るかの二本立てです。
展開は後者のかたちになった。
相手は大きな崩れは無いけれど、徐々に差は詰まって行く・・・
結論から言うと半目及ばず。
棋譜を調べると、小ヨセで私が1目儲け損なっているところがあった
もしそこを間違えなければ結果は逆のハナ差だったかもしれないのだけれど
それを言ったら、相手も小さな損を重ねているかも知れないから・・・どちらも負けないことになってしまう。
さて結果から見て、もしかしたらこれは相手の「おいでおいで作戦」で逃げ切られたのかも知れない
上手く追撃をかわされたような気がしました。
さて先日の「投了」話と関連して
最初に「大チョンボした時点」で投了しても、最後まで打って半目負けたのも勝敗は変わらなかったのだから、後半は無駄な対局と見るのだろうか?
それとも、あの碁をここまで追い詰めたのは「なかなかやるワイ」なのか
相手にとっては迷惑なだけだったか?
内容とか程度問題でしょうが、妥当性というものは当事者ではかえって判断しにくいかも知れません。
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