なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

口は出せない!?

2007-03-05 04:11:29 | Weblog
 土曜日にはコミュニティに行ってきました。
 図書館が併設されているので、この日を待っていたのです・・・イベントでは有りませんが。
 2月の途中からなにやら本の整理とか、パソコン関連でソフトなどの変更があったらしい・・・3月1日リニューアルオープンです。
 仕事の関係でその日が私のオープンデーです
   さて、建物の入り口で「キャラメルポップコーン」の店が有りました。
 店といってポップコーンを作る機械とテーブルだけですが
  出来立てのポップコーンが大きな紙コップ(+サービス)で100円なので並んで買いました。
 これは近くのマリンスタジアムでの紙コップだそうで、あちらでは300円なのだそうです。
 綿菓子とか、こういうものはなんとなく縁日みたいで、手に持つだけで何だか楽しくなりそうです。
  融通の利かない頭で説明?すると、これは原因と結果が逆コース→つまり、縁日に綿菓子など売っている→綿菓子を食べると縁日見たいな気分になれる
 マアそんなことを考えながら並んで待っていると、前の老婦人が「いつもは見かけませんが、これはいつもやっているのですか?」と質問した
 この問いはなかなか鋭いと思う。
  何故かと言うと、私などは”ここでキャラメルポップコーンを売っているから並んだだけ”なのです。
 どうしてここで売っているのか考えなかった(どうでもいいかも知れないけれど)
 店の人の答えは「今日は(その日は)3月3日なので雛祭りだから」だった。
  その時は「ああ、そうなんだ」と納得したのですが、今このブログをタイピングしていると(今になって気がついたのだけれど)なんだか変です。
  どうして雛祭りだとキャラメルポップコーンなのか・・・その組み合わせではないのですが、ここは図書館併設だしコミュニティの原則として飲み物食べ物は原則禁止です。
 例外はホールで自動販売機の飲み物を飲んで(持ち込みの)サンドイッチなどは食べられるけれど、囲碁将棋の部屋では飲食禁止!・・・ホールのテーブルと椅子に座ってならOKらしい。
 綿菓子やポップコーンは歩きながら食べるのが楽しい>>>だから建物の入り口で買っても、中では食べないで持ってお帰りです。
 そんなことを連想して、老婦人が「いつもは売っていませんが?」という質問を「鋭い」と感じたのです。
  手に持って歩き回りたいけれど
 どうでも好い?事に引っかかりながら年をとっています

 どうでも好いといえば、ずっと以前に「気になる少年」というタイトルで話した少年に久しぶりに会いました。
 このコミュニティの図書館で本を借りて、いつもの娯楽室に寄ってみました
  (正しくは娯楽室ではなくて「安静室」というのですが、碁将棋の部屋が安静室だなんてどういうセンスの人が名付けたのだろうか?。もしかしたらコミュということで”お役人的センス”で娯楽室と名付けられなかったので、その代わりに捻り出した名前のような気もする)
 土曜日の午前は子供と大人が打つ日ですから、久しぶりにどうなっているのか寄ったのです。
 この時打っていたには2組でした
一組はいつものメンバー・・・会長のジイサマと年配の人
 もう一組は少年と余り見かけないお爺さん
  その少年の座り方で思い出しました・・・あの「気になる少年」でした
 子供には違いないが大分しっかりした顔に変わって来ている・・・成長している
体つきも何だか絞まってきて、しっかりしてきているようだ
 だが座り方は変わっていない!あの独特の片胡坐みたいだ。
  
 「大人に教わっているのにそれは無いでしょう」と思うところなんですが・・・
  みると少年が白で碁盤から察するとどうも置き碁みたいだ。
 これでは少年が教わっているのでは無い
  しかも・・・さっきは少年の座り方云々と言ったけれど、このジイサマも帽子を被ったまま碁を打っている。
 私には何度見てもこのスタイルには違和感を感じます。
  建物の中では男なら帽子を取れと躾けられて来た・・・しかも建物の中の更に和室の部屋で碁を打っているのに
 更にどうでも好いようなことかも知れないけれど、私としては更にショックがあった
  猛烈な早打ち!!
    少年の早打ちは”少年ならこんなものだろう”と思うことも出来るが、相手のジイサマの早打ちには”これは一体何でしょう”と言う感じでした。
 先程”打つ”と言いましたが、実は石を置いているだけです
  親指と人差し指で置いていくのです
 少年が打つと1秒以内には置いている・・・これがある程度考えた末の着手だとしたら物凄い性能のコンピューター搭載なんだろうけれど
 そして少年も早い・・・
  私は少し離れて座って見ていましたが、まさに見ていただけで疲れそうです
 盤面を追いかけるのは至難の業です
  まさにあっという間に1局は終わって少年の9目勝ちでした。
   ジイサマはまた碁盤に石を置きます・3子局でした
 
 この少年に座り方を初め、棋力はともかく年令の上の人にはどのように接したら好いかなど話たり教えなくてはいけないだろうとは思いましたが、次の1局まで見る気は無いしで腰を上げました。
 本当はこの少年にものを言うのなら、相手のジイサマから始めなくては少年だって納得するはずが無い!。
  寧ろ私はジイサマに文句を言いたかった。
 年恰好でいえば私より10か15は上なので人生では大先輩なのでしょうが、対局を見ていると何だか気持ちが沈ん行きます。
 それは棋力の問題ではないのです。
  打つ姿、碁盤に向かう姿勢の問題だと思うのです。
   棋力では少年に劣っても態度振る舞いは少年の手本でなくては困る
  少年たちをプロにしようとか、大それた企画ではないけれど、この対局はジイサマの暇つぶしになっているみたいです。
  私が立ち上がった時にその少年の視線がチラッと私の方も向いた・・・それはある意味で”助けてくれ”だったか?
 少年にとってこの対局はどんな意味なんだろうと思うと何だかやりきれなくなってきましたが、その場で口に出して言える問題かどうか・・・
 何だかジレンマ