なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

ある訃報で

2007-03-15 00:09:02 | Weblog
私は母親を数年前に亡くしましたが、最近同じ世代の同僚の母親の不幸が多い・・・そういう年代なんですね。
 信長の時代なら”人生五十年”ですから、既に余りで生きているようなものですからその親は相当な年なのです
  私らは現代では仕事は一応現役世代ですが、昔風に年令だけを見たら既に余生年代なんでしょう
 マア、いてもいなくてもさほどの差は無いでしょうが・・・
  これが昔のNHKの朝ドラで「箸置き」です:つまり”あっても無くても好い”
 ところで私の母親も最後の数年はそうでしたが、同僚たちの母親も皆”認知症”だったとか・・・偶然にはちがいないが。
 認知症は死因では無いでしょうが、昔より長生きになっているので、認知症になる率が高いのでしょうか・・・
 
 碁を打つ人は認知症にならないと聞きましたが、”絶対”ならないとは聞いていませんから、”なりにくい”程度と解釈しています。
 しかし、もし病気にも体質やDNAが関連しているなら、私の場合は母のDNAを継いでいるので、それほど安心もしていられません。
 ”なりにくい”ということの中身が、常に脳を活性化しているのでということなら、私もそれなりにではあるけれど、一応使っているのでなりにくい状態ではないかとは思っています・・・が
 そういう意味では、同じ相手と何局も打つのだけれど、いつも同じような形で、しかも猛烈な早碁だったり・頭が考えているのか指が考えているのか分からない碁ばかり打っているのでも脳は活性化できるのだろうか疑問ではある
 
 さて一度認知症と診断されると、せいぜい現状維持で止めることだと言われていた。
 まだ治療薬も無いのでしょうし
  ところが先日TV放送で、改善の方向に向かうという”奇跡”を見ました。
 認知症が一気に吹っ切れていくみたいな奇跡ではないのですが
  相当重症な人が徐々に改善されていく様子が見れた。
   完全に直ると言うものでは有りませんが、何が違うかと言うと”意欲”の面で変わっていくのです。
 単純なテストを受けて・・・簡単な足し算、漢字の読み方をテストして、出来ると「100点」をもらえるのです。
 出来ると褒められるし、本人も嬉しいから意欲が出てきます・・・それが生活のいろんなところに良い影響が出て来るのです。

 そうだ、私の母が認知症になった時に考えたものです。
  母は、家事など一切を息子の嫁さんに任せることで”解放”されたのだけれど、思考も体を動かすことも少なくなったようです
 これが結果としていけなかったのですね。
  私など子供が小さい頃は、子供には本を読ませるために「日本文学全集」とか「世界文学全集」などなどいろんな本を購入契約して、子供には本を読む習慣を付けさせていました。
 だから、私などが「本を買うのでお金をくれ」と言えば必ずもらえたのです・・・しかし本人は読んでいなかった。
 そこが残念ですね
  本に囲まれていても読まなくてはいけません
 母の認知症を考える時いつもそのことを考えます。

ということは、私は碁を打つと言っても、タダ打つだけでは効果は少ないかも 
 指の運動も脳には効果があるとはいっても、単なる指の運動の碁より、頭の活性化の碁の方が好いに決まっているでしょうね。

何だか纏まりの無い話でしたが、同僚の母親の訃報で考えたことです。