なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

眠りたくない夜

2007-03-07 05:37:22 | Weblog
 先日「眠れなくて困ったことは無い」と書きましたが、それは普通は”眠りたいのに眠れない”状態で、それは無いのです。
 但し、眠りたくないとか、”眠くても眠りたくない”はあるのです。
  徹夜マージャンとか、何かのイベントの追い込みとかではなくて、普段の夜の話です。
 若い頃は、眠るということはなにやら人生を無駄にしているように感じた時期が有りました。
 例えば他人は1日24時間のうち8時間眠るのが理想的だとか(今は7時間かも知れませんが)、ということは人生の三分の一は寝ていることになる
 だから90才まで生きたとして30年は寝ている
  当然というかもったいないというか・・・
 最も今では反動で、暇があれば寝てしまいます>>>案外バランスが取れている?

 眠れないというより眠りたくないという感じでしょうか
眠ることに罪悪感を感じた時期、あるいは眠ったまま二度と目が覚めないのではないかという恐怖感を持ったこと・・・
 そして先日みたいに寝ていてドライアイのアクシデントに遭いそうになって眠るのがためらわれる時などあるのです。

さて、そのドライアイ事故になりかかったのが朝4時半頃でした
 痛みは少しで済みましたが、目の中が何だかゴロゴロしています・・・何とか目薬ですみましたが、このまま眠るとまたドライに見舞われるかも知れないという心配があった。
 時間が時間だから「マア好いか」でパソコンを立ち上げてネットに接続です
  (こういう生活態度が原因の一つかも知れないけれど、これは死ななきゃ直りそうも有りません)
 そしたら、偶々同じくらいの点数の他人が「対局待ち」でした。
  向う先・黒2目半コミ出し・・・未明の対局です
 碁の中身としては、贔屓目でしょうが白なかなかよく打てたと思います。
  寝ていて目が覚めて間もないにしてはというオマケも有りますが・・・
 私は例によって隅を中心に実利を稼ぎまくって、相手は大模様
  私の方は余り減らない地なので、後は黒の大模様を制限するか、多少値切れるかが勝負のようです。
  ここで私の大チョンボが出た!!

 最近・特に感じるのですが、ある場所を打ち切っていると考えている時、その部分に無感覚になってしまうのです。
 打ち切ったとはいえ、周りの条件が変われば手が生じることはあるわけで、この条件の変化に鈍くなっているのかも知れないのです。
 だから相手が”狙いの準備工作”に弱い
  ”何やってんだろう、そんなところで?”なんて変に余裕を持って見ていると
「あっと言ったがこの世の別れ」みたいな場面になったり・・・
 実はこういう仕掛けは、私が得意とまではいかないけれど好きな作戦です
  一見余り関係無さそうな手の狙いが、実は別のところだったり、何だかマジックみたいな作戦が好きなんですが、やはり格言通り(私の格言か?)「弱点は自分の得意技」みたいなことになっている。
 それは「押し相撲は押し相撲に弱い」とか、私みたいに「地を稼ぐタイプは、地を稼がれるのに弱い」みたいな感じです。

 大チョンボはあったけれど、この碁はまだ細かそうで、大寄せ・小寄せと局面は進みます。
 目算では、私が撥ねっぱなしとか、半コウを何箇所も放置してあるので、計算が面倒でしたがどうやら半目勝負のように見える。
 私に半目残るか?
実際には半コウのコウ立てに間違いがありました・・・2コウ足りない!
 現実の地の計算で”半”は無いから1目計算間違いだから、逆に半目足りない
この時点で粘るのも変だから「首を洗って、終局要請」です
 相手が半コウを繋いで、パソコンが地の計算です。
  結果・・・何と白半目勝ち!・・・どうして?
 パソコンが計算間違いをしないだろうから、私がどこかで間違っていたらしい。
何度も数えているのに、同じ人間の計算は同じところでミスをするのでしょうね
 全く半目勝ちは運がいいのだけれど、手放しでは喜べない複雑な心境です。
  相手は読みどおりだったのだろうか?