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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

麒麟も駑馬に

2007-03-12 00:34:00 | Weblog
 タイトルは少し大きく出ました。
 私は現在は勿論過去においても麒麟だったことは無いから、その点は過大表現ではある・・・麒麟だって年をとれば駑馬にも劣るのだから、ましてや凡夫の身では行く末は知れている分けです。
  マア今人気のあるの漫才の「キリン」のファンではあるけれど。
 ともかく残念なことに私が駑馬の仲間であることは間違いない。
  結局のところ麒麟ではなかったにせよ、老化によって失われていくものは体力だけでは無さそうで、囲碁などの面でも失っていくものが多々あるようなのです・・・少なくとも私の場合はですが
 逆もあるはずなんだけど、若い頃には無かったものを、年令・経験を重ねて獲得するものがあるはずなんですが、そのバランスシートがマイナスが大きいような気がします。
 失ったものが大きくていろいろあるのに、獲得したものは見えてきません。
  もしかしたら全くマイナスオンリーかもしれないと思う・・・脳細胞が死滅の一途を辿っているらしい
 この点脳梗塞のキャリアとしては恐ろしくもある。
  MRIの写真で「脳が隙間だけではなくて穴だらけです」と言われそうです
 脳の中身の心配しても始まらないから考えないことにしていますが(考えると怖いですから)
 美容整形並みに「脳を若返らせる薬」とか「脳の若さを維持するクリーム」など出来たら大変な人気でしょうね。
 出来たら良いのだけれど、想像するにきっと大変高価でお金持ちしか手が出ないでしょう・・・今から無いもののことで心配したり腹立てたりしています
 それは宝くじを買って、当たった時の心配をすることに似ているし、杞の国の人が空が落ちてくるのを心配するみたいなものです。
  それで、老化について碁に限っていうと
 慢心とか集中力の欠如とかがありそうです、勿論本人としては意識してやっているはずは無い・・・具体的には
 まず、今一歩の突っ込んだと言うか、掘り下げが出来ていない
  例えば死活に関してなら、今までの経験からこれは「凌げるだろう」とかをイメージするとそこで思考がストップしてしまう、相手からのあらゆる手段などの検討が疎かになっているのです
 それはイメージ先行で裏づけが無いとも言えるし、場面・局面が客観的に見えていなくて主観的以前に希望的に見てしまう傾向が有りそうです。
  「勝手読み」で、読みにもなっていないのが情け無い
 こういうとき相手に急所の一手を打たれて痺れるのですがお決まりのパターンですが、相手にとっては急所であってもそれほど凄い手を打ったということではないのに、当方が過剰に痺れているという状態だと思われる。
 まさに手ごたえの無いジイサマになっている。
  ネットですから年令は分からないでしょうが、老人的な頑固さと集中力の無さなどを考えると、きっと年令は盤上に現れているに違いない
 
 さて集中力についても、レベルが落ちているでしょう
  私の場合(分けて考えて好いかどうか分かりませんが)・・・棋力的なものの不足を集中力で何とかカバーしていくタイプ(タイプの話でどれだけ出来ているかは別ですが)
 そこから集中力が衰えたらどうなるか。
  経験とか囲碁年数が持つ蓄えは多少あるにしても、ここと言う時の力が無い
 もっと言うと「ここと言う時」の「ここ」を判断する「ここ」を感じる「アンテナの感度が錆びているようなのです。
 言葉では「円熟」などというものが有り、年とともに豊かになっていくものを指しているのでしょうが、私は「円熟」とは縁が無く「立ち枯れ」の方向に進んでいるようです。
 全く現世の欲から離れらず、煩悩の海でおぼれているような「碁」にドップリ・・・「ザルとか素人は皆そうだ」とことであるなら、私も立派に素人碁客には違い無さそうです。