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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

リフォーム直前

2007-03-23 00:48:26 | Weblog
 前にも話しましたが、我が家は外国人には笑われそうですが日本だけでは通用する「マンション」でして、住み初めは子育ての時期で畳の部屋が多いのが都合がよかったのです。
 もう子供たちも成人して、壁や襖、畳にのいたるところに傷みが目立ち、使い勝手を今風に変えるためにリフォームを始めたのが昨年のことです。
 一度に全部やるのが効率が良いのですが、そうなると一時期引っ越さなくてはなら無い・・・そんなことで、ここに住んだまま部分的に進めたのです。
 台所・洗面所、息子の部屋、居間、妻の部屋・・・全部終わって最後が私の部屋。
 この3月末だか4月初めの予定だそうで・・・
  私は詳しいことは知りません(昔風にいえば一家の主なのに)。
 自分の家の、しかも自分の部屋のことなのに相当無責任なオヤジです。
  これは自分で言うのも変ですが私の性格上どうしようも無いのです!。
 これまでのリフォームに関してもそうでしたが、いろんな相談ごとで「善きに計らえ」ではないけれど、自分の希望とかは言うにしても、メクラ判で済ませてきた感じですから、今回も壁の色というか模様をどうするか程度の話にしか参加していない。
 押入れを改造して、流行のウォークイン何とかにするとか・・・噂程度に聞いているけれど適当にやってよという感じです。
 工事の時期も「いつでも良いよ」です・・・但し、息子に言わせると「春と秋が良い」のだそうで「この時期はラッキーなのだそうです」
  音とか匂いとかが問題らしいが、彼の方がこの件では先輩なので、きっとこの時期は部屋主(?)としては工事に都合が良かったに違いない。
 但し、無責任な態度のしっぺ返しは来ました。
  押入れの中に和紙とかクラフトの材料などがかなりあったのですが、それは何とかダンボールに詰めてお目こぼしでしたが、本の類は処分と決まったらしい・・・
 自分でどうしても手元においておきたいもの以外は・・・
  囲碁関係の本、植物・自然についての本は除外したが、実際に白い荷紐で縛られた山を見ると寂しいですね。
 もう少し抵抗すべきだったかも知れないが、そういう恐ろしいことは考えにくいし、抵抗活動も疲れそうなので、いつもどおり流されていく・・・
 現実的というか合理的に見たら、確かに手元にあっても今後読む予定の無い本を抱えている方が無駄とまでは言わなくても、狭い我が家現状からスペースに限度があるのは確かです。
  もし事情が許したら、余裕のある部屋に大きな本棚を置いて、ずらっと本を並べて「これは全部読んだよ」って言う感じとか、自分の経験というか経歴みたいに背表紙を眺める・・・これは贅沢な夢のようです。
 それでなくても今後も購入する新刊本はあるでしょうし、増える一方になってしまうわけで、「読みたい本で、図書館にあるのなら、それを利用する」のが合理的ということらしい。
 
 ともかく私には自分の部屋とはいえ、いま一つリフォームに興味が無いので、「権利?」も主張せずに居間に移動してパソコンを叩いている・・・
 自分でそのように行動したというより、そのように「指示?」されたのだから、全く当てにされていないことがよく分かる・・・マア「役に立たないのだから、せめて邪魔にならないようにしていなさい!」だろう。
 確かにその通りのような気がするから情け無い

 ところで片付けの途中で2冊の囲碁の本が見つかった
2冊といっても同じ本が2冊です。
 1冊はカバーも綺麗なままですが、もう1冊はカバーなしです。
「こども囲碁教室」 九段 大竹英雄監修 二口外義著  初版は昭和54年 
 カバーの無いほうの本は 昭和60年・第4刷のようです
  ということは娘に教えようと思って買ったに違いない・・・表紙の裏に鉛筆とクレヨンのいたずら書きが残っているので違いないだろう。
  もう1冊の綺麗な本は1993年・第11刷とあるから、これは息子に教えようとした時のような気がする。
 教えたいと思っただけで実際には使わなかったのが、この綺麗なままなのだろう。
 全く同じ本を2冊持っているのは何だか間抜けな気もしますが、二人の子供に教えたいと思った時に、テキストとして使用するのと、何を教えたら良いのかを勉強するために買ったのです。
 実際には子供に教えるのに役に立たなくて、自分の気持ちの記録みたいなものとして残っているみたいです。 
 しかしこの2冊とも処分はしません。
 もしかしたら、私が教えることが出来なかった子供たちの子供・孫に役立てたいという希望を捨てていないのです。