なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

一手目は何処に打てば善い?

2007-03-30 03:22:36 | Weblog
 「このような局面では何処に打てば良いのか」そんなことに応えられるような棋力は無いのですから、この件に関しては自分のことで手一杯状態です。
 何処に打つのが最善・最強なのか?・・・それがいつも分からないので困っているという現実ではあるが、まずは第一手についてです。

 初めに囲碁を新聞で見ていた時、まずは第一手目は右上小目です。
  殆ど全ての棋譜がそれに近かったような気がします(昔の話です)。
 一手目右上星は記憶が無い・・・但し単なる思い込みかも知れないけれど。
  ともかくそういうものだと思っていた。
 小目の位置は見てくれでは2ヶ所あるけれど、これは対象形ですからどちらの小目でも同じことですね・・・ということは2手目から変わっていく。
  そういうものらしいとは薄々感じてはいたが・・・
 さて、碁らしいものを打てるようになって、第一着を打つときに何故小目に打つのか分からなくて迷ったことがありませんか?
 私にはそんな記憶があります・・・マア今でも似たようなものかも知れませんが
 プロの棋譜を新聞で見ていますから、小目自体が悪い手では無いのだろうということは推測できるのですが、何故そうなのかが分からない
 星に打つか小目にするか、はたまた高目、目外し?
  これらの違いは、違いが分かっていて打つのではなくて「なんとなく」「気分」です。
 漫画チックに一手目を打つ前に、ガマの油のカエルではないが碁盤を前にしてタラーリタラリと脂汗・・・そこまではいかないけれど。
 それでも1手目ならまだ良い。
  1手目が悪手で敗着は無いの筈ですから(1の1などは敗着ですが)・・・
 いずれにせよ、その時期の私は小目専門で、理由は”プロが打っているから”以外にはありません。

 そういうことで、碁を始めたばかりの初心者はこの1手目で”迷っている”というか”しっくりしない”というか「訳が分からないままに打っている」ということを感じながら打っているのではないだろうか?
 一手目を19×19の広い碁盤の何処に打つのか?
 ”何処に打っても良い”という先生もいるけれど、そもそも”何処でも良い”ということ自体理解できない筈。
  ともかく黒が打たなくては碁は始まらないから、分かろうが分かるまいが打たなくてはいけない!
 だから、初めは理由など分から無くても、形を真似るしかないのです・・・プロも先輩諸氏もやっているように、それらしく・・・それでも”面白い”という人は少ないでしょう。
 この訳が分からずに石を置いている時期は誰にもあるのではないだろうか?
 そこを通らないと「囲碁初心者」のスタートラインにつけないような気がしている。
 「誰しも初めは分からないのだから初めは真似で良い」とか「全ての習い事は真似から始まるのだ」と言いたいのですが、「碁は面白いという誘い文句を使った以上”何だかつまらない”と言われたくは無い。
本心で言うと、超初心者でもあってもいや超初心者だからこそ棋譜並べから始めさせたいのですが・・・恐らく今風の民主主義というか自由が尊重される現代では無理でしょうね。
  訳など分かろうが分かるまいがスパルタみたいなことは出来ません。
 趣味の世界で強制は出来ません(碁の初心者は金の卵です)から、この時期を通過できるかどうかが大問題のようです。
 私は家族に教えるときに、この関所を通すことが出来なかったのです。
  ここで大失敗をしています
彼らから「何が何だか訳が分からない」という反応を受けて対処できなかったのです。
 その頃既に私は自分が初心者だった時のことを忘れていましたから「何がわからないのかが分からない」だったので、手の打ちようが無かったのです。
 訳が分からなくても、暫くは続くようにするか?何か面白い要素を付け加えるかしないと、超初心者は初心者になれ無いかもしれません。
 「ポン抜きゲーム」などのネーミングそのものも、こういう”モヤモヤ”を薄れさせる効果があるのかも知れません。
 まずは”一手目の違和感解消”が大事ではないだろうか