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全くボンヤリと暮らしている割には真剣に考えることもあるのです・・・但し夢の中ですが。
こういうことは・つまり睡眠は体とか神経とかのリラックスとか疲れを取り除くものだと思うのですが、その睡眠の最中で脂汗を流すような場面が出てくるのは、疲れを取るどころか”増す”ようなことになるのだろうか?
夢の中では真剣に考えているのではなくて、真剣に考えているところを、映像で見ているようにその姿を見ているだけだから、本当の”真剣”の疲れは無いかな・・・
つまりそういう夢で疲れが増すということは無さそう
しかし逆はあるかも・・・疲れているからそういう夢を見る。
この方が納得しやすい
「精神的・体力的に疲れている時は疲れる内容の夢を見る」?
マア仕事ではいい加減なことはしていませんが、疲れるほどでもない?から、「何時疲れた?」とからかわれそうですが
ところで、あの夢に関して妙なことに気がつきました。
昔見たコミックの「ヒカルの碁」でも確か出てきたと思うのだけど・・・何巻だったかは憶えていない・・・確か六段くらいの売り出し中の棋士の話しだったか・・・「一色碁」と言うのが出てきたと思う。
碁を白黒の石で打つのではなく両者白石で対局するものです
この夢はそれではなかったけれど・・・つまり、はっきりと両者が白石ではなかったけれど、色が無かったと思うのです。
モノトーンと言うのだろうか、白でもないし黒でもない
中間の灰色と言うことでもないのです・・・色についての記憶・考えていた碁盤のに置かれた石の色の記憶が無いのです。
囲碁の対局の棋譜を例えれば分かりやすいかも知れませんが、棋譜には数字だけを記録するのであって、石の形の丸は書かないのが普通。
それで記録は白石のほうは赤、黒石の方が黒か青ということになっていて、その色の違いで白か黒かは分かる。
でももし、鉛筆が一本しかなくても数字が奇数が黒で偶数が白だから、視覚的には煩雑でも再現は出来るはずです。
そういうことに少し似ていたかも
夢の中でああでもないこうでもないと考えていた内容は、夢の中での碁盤の上で並べては崩していたのですが、座標的存在と言うか、位置はあるのだけれど、石はない。
その場所に石を置いて見た、視覚的な絵で考えていなかったと思われる。
これは寧ろ当たり前のことのような気もする。
実戦で考える時、碁盤を見ながら・既に石が置かれている場面をベースにして、これから起こるであろうと言う近未来の変化を重ね合わせている時、未来分については位置を認識することで、現実に既にある石と同様な感覚で見ている・・・と言うか頭の中で認識しているのでしょうね。
そう考えると、夢の中で石に色が無くても不思議ではないかもしれない。
昔推理小説に出てきた少女・・・全盲だけれど、特殊な石を使って碁が打てる。
位置を読み上げることで頭の中の棋譜にインプットされていくらしい(小説ですが)
それで進行が分かり、コウも処理出来、地合い計算から勝敗まで分かる・・・そういう設定でしたが
その場合、石の”色”と言う概念は無いはずだから、「自分の石」「相手の石」という区別だろう・・・となると、位置が分かればいい。
昔中山先生の「実録囲碁講談」で読んだ・・・真っ暗闇の中での棋譜並べの話も次元はともかく似ているかな?
珍しく部屋の片付けをしたら、その「実録囲碁講談」を見つけました。
昭和52年刊行のハードカバーです。
もう何度も読んでいるはずですが、久しぶりに読み返しました・・・何度読んでも面白いので、近いうちにその本の話をしたいと思います。
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