昔は今みたいにネットだのコミュニティなどは無いから、勤め先の仲間・近所のご隠居さん・家族などと打つか、、、それに何と言っても碁会所ですね。
碁を覚えてその趣味にのめり込んでいくと、憧れの職業が席亭と言う風になります・・・人にもよるかな?
マア現実には、商売として儲かるものではない割には気苦労もあるから、誰でも踏み切れるものではないでしょう。
それにある程度の棋力も必要かも、、、
勿論県の代表を争うクラスでなくては席亭にはなれないということではありません・・・私はそう考えています。
それは強いに越したことは無いけれど、それが絶対条件ではないでしょうね
寧ろ席亭になってから強くなるということもありそうだという話をしたいのです。
その前に席亭になっても強くなりそうも無い人もいるという話から
私が上級クラスの頃、一年発起して町の碁会所を訪ねました。
普通の家を改造したような形・・・土間で靴を脱いで座敷に上がるタイプの碁会所で、寺子屋みたいな長い机が並んでいる形で、タタミに座布団と言うスタイル
戸を開けると何人か打っていましたが、座敷の真ん中に大の字になって寝ている老人・・・それが席亭でした。
碁会所というものは戸を開けるのにエネルギーが要るところです、、、まして級位者にとっては。
何も揉み手をして迎えて欲しいとは言いませんが、かなり印象が悪い
そしてぶっきらぼうに「どのくらい?」と訊かれて「多分2級くらいです」と答えると「では、アノ人と打って」と指名されました。
マア、ほったらかしにされたわけではないからまだ良いですが、しかし席亭自身は自分の相手と碁を打つのに熱心で・・・
こういう人って、ある程度強くて、、、自分が打つことに気をとられていて、、、級位者など目に入らないタイプ、、、更に悪口を言うと力碁で筋ワルで勝ち負けに拘る(根拠薄弱ですが)。
席亭って、教えることもあれば客の世話をする部分もあり、その客の世話と言うところが問題でしょう。
商売柄対局数が増えるでしょうから、そういう実戦で鍛えられるところはあるはずです。
仮に10時間営業で、3局程度打ったとすると、年間では凄い数になります。
また、打たないまでも目にする対局は更に膨大な数です。
囲碁が好きで席亭になったのでしょう、だから打ちたくてたまらないタイプの席亭も居ます。
囲碁が好きだから席亭になるわけで、そこまでは問題はありません。
さて、しかし席亭がそれほど棋力が高く無い場合、、、高段者みたいに教えるということは出来ないわけです。
それでも自分と同じくらいのひとの相手をしたり、あるいは高段者に教えてもらうという形でお付き合い願う。
そしてこの時の囲碁に対する気構えが大事ですね。
絶対条件として「良い碁を打ちたい」と考えることのようです
それは単に勝ち負けではなく、気持ちの良い碁と言うか・・・
例えば”馬鹿な手を打って相手をがっかりさせない”と言うか・・・
綺麗な碁と言うか・・・どうもうまく言えないのですが「勝っても負けても気持ちの良い碁」「この人とはまた打ちたい」と思われるような・・・
ともかくそういう碁を志すと、対局・観戦の経験値とあいまって必ず棋力が上がるはずですね・・・アマチュアとしてはこれ以上は難しいという人は上がらないでしょうが。
突然席亭話をしましたが、実はある人からどうしたら強くなれるかを尋ねられて、その答えの一部です。
本当に確実に強くなれる方法があれば苦労しないし、自分がやって人には教えませんがね。
誰でも席亭になれるわけではないし、せいぜい仲間うちでの世話人くらいにはなれる程度、、、それも難しいならば”心は席亭”で相手を楽しませる良い碁を目指すことでしょう。
囲碁を打つ事の充実感を味わえる碁を目指すことを忘れないという事なんだろうと思うわけです。
そして本当は”偉そうに人に言う前に自分でやれ”と言う訳で、逃げ道が無いように、自分で公言したと言う事実を残すために、、、
碁を覚えてその趣味にのめり込んでいくと、憧れの職業が席亭と言う風になります・・・人にもよるかな?
マア現実には、商売として儲かるものではない割には気苦労もあるから、誰でも踏み切れるものではないでしょう。
それにある程度の棋力も必要かも、、、
勿論県の代表を争うクラスでなくては席亭にはなれないということではありません・・・私はそう考えています。
それは強いに越したことは無いけれど、それが絶対条件ではないでしょうね
寧ろ席亭になってから強くなるということもありそうだという話をしたいのです。
その前に席亭になっても強くなりそうも無い人もいるという話から
私が上級クラスの頃、一年発起して町の碁会所を訪ねました。
普通の家を改造したような形・・・土間で靴を脱いで座敷に上がるタイプの碁会所で、寺子屋みたいな長い机が並んでいる形で、タタミに座布団と言うスタイル
戸を開けると何人か打っていましたが、座敷の真ん中に大の字になって寝ている老人・・・それが席亭でした。
碁会所というものは戸を開けるのにエネルギーが要るところです、、、まして級位者にとっては。
何も揉み手をして迎えて欲しいとは言いませんが、かなり印象が悪い
そしてぶっきらぼうに「どのくらい?」と訊かれて「多分2級くらいです」と答えると「では、アノ人と打って」と指名されました。
マア、ほったらかしにされたわけではないからまだ良いですが、しかし席亭自身は自分の相手と碁を打つのに熱心で・・・
こういう人って、ある程度強くて、、、自分が打つことに気をとられていて、、、級位者など目に入らないタイプ、、、更に悪口を言うと力碁で筋ワルで勝ち負けに拘る(根拠薄弱ですが)。
席亭って、教えることもあれば客の世話をする部分もあり、その客の世話と言うところが問題でしょう。
商売柄対局数が増えるでしょうから、そういう実戦で鍛えられるところはあるはずです。
仮に10時間営業で、3局程度打ったとすると、年間では凄い数になります。
また、打たないまでも目にする対局は更に膨大な数です。
囲碁が好きで席亭になったのでしょう、だから打ちたくてたまらないタイプの席亭も居ます。
囲碁が好きだから席亭になるわけで、そこまでは問題はありません。
さて、しかし席亭がそれほど棋力が高く無い場合、、、高段者みたいに教えるということは出来ないわけです。
それでも自分と同じくらいのひとの相手をしたり、あるいは高段者に教えてもらうという形でお付き合い願う。
そしてこの時の囲碁に対する気構えが大事ですね。
絶対条件として「良い碁を打ちたい」と考えることのようです
それは単に勝ち負けではなく、気持ちの良い碁と言うか・・・
例えば”馬鹿な手を打って相手をがっかりさせない”と言うか・・・
綺麗な碁と言うか・・・どうもうまく言えないのですが「勝っても負けても気持ちの良い碁」「この人とはまた打ちたい」と思われるような・・・
ともかくそういう碁を志すと、対局・観戦の経験値とあいまって必ず棋力が上がるはずですね・・・アマチュアとしてはこれ以上は難しいという人は上がらないでしょうが。
突然席亭話をしましたが、実はある人からどうしたら強くなれるかを尋ねられて、その答えの一部です。
本当に確実に強くなれる方法があれば苦労しないし、自分がやって人には教えませんがね。
誰でも席亭になれるわけではないし、せいぜい仲間うちでの世話人くらいにはなれる程度、、、それも難しいならば”心は席亭”で相手を楽しませる良い碁を目指すことでしょう。
囲碁を打つ事の充実感を味わえる碁を目指すことを忘れないという事なんだろうと思うわけです。
そして本当は”偉そうに人に言う前に自分でやれ”と言う訳で、逃げ道が無いように、自分で公言したと言う事実を残すために、、、