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なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

1局を楽しむ

2008-06-08 15:47:20 | Weblog
 先日娘から電話がありました。
 母親であるバアサマと相談と言うか、悩みをぶつけるというか、マア愚痴の捌け口だったとおもわれます。
 「今は俺しか居ない。母さんならもう少ししたら帰ってくるよ」
 「お父さんでもイイカ・・・」
 要するに親なら、いや聞いてくれれば誰でも良かったかも
  しかし、娘がオヤジでも良いというのは大変な変わりようです
  中学に入った途端に「授業参観に来ないで」「運動会を見に来ないで」となったから、楽ですが寂しい感じ。
 生活でも余程娘が機嫌がいいときしか話す機会が無かったので「オヤジなんてそんなもの」と思うようになっていた。
 娘が幼い頃は寝付く前に添い寝して本の読み聞かせや落語などを聞かせていたし、熱を出した時など一晩中膝の上に居たこともあるのに、娘から見るとある時からオヤジは薄汚い生き物に見えるようになるらしい。

 話を聞いてみると、要するに根源は娘自身が打ち込むものが無いためと思える
 別の見方をすると”ぜいたく””勝手にしろ”なのだが、流石にそうは言えない
  一言で言ってしまえば、「囲碁を教えてやるから覚えろ」なんだけれど、、、
 そういえば子供の頃、この娘と近所の女の子を騙して、知り合いの人が講師になって市の委託で開かれた”囲碁講座”に通わせたことがあるけれど・・・
 全10回のうちの8回目でエスケープしたことがある
  記憶の中に残片でも残っていないものだろうか?・・・無理だろうな
 ともかく「お前の母さんはいろんなことをやってみて、気に入ったものを続けているよ。例えば太極拳、手話、バドミントン、ハワイアンダンス、韓国語会話、、、やってみて面白ければ続ければいいし、一寸違うと思ったらやめればよい、、、何かも始めるという事が大事だろうな」
  「ともかく自分が何かアクションを起こさないと何も変わらないし、動けば周りの景色も少し変わって見えるかもね」
 囲碁が一番お勧めだけれど、今ならまだ趣味で楽しみながら、ある程度は強くなれる年令なんだけれど、、、何時の日か碁石を持つ日が来て、碁盤を挟んで座る日が来れば最高なんですが
 まあ夢物語ですし、私の持ち時間も残りが分からないし

 ところで休場明け2戦目を打ちました。
 今度は白番でコミは黒から3目半、同じ地方に住んでいる人らしい。
 そういえば、その方の苗字と同じ地名があるから、その辺りの人かも知れないなどと考えながら対局開始です。
 前の対局のときも感じたのですが「私の打ち方が少し変わったかも」と思いながら打ちました。
 良くなったとか悪くなったとかではなくて、強いて言えば”1局を楽しむ”ようになったというか、巧く言えませんがそんなことを感じながら打ちました。
 無いそのものに以前と大きな違いがあるとは思えませんが、、、マアその辺りが暫くインターバルを開けた効果かも知れません。
 結果は連勝ですが、しかしこれは点数が下がった分を返してもらっているだけかも知れませんから手放しでは喜べませんが、それでも結果が逆よりは良いですね。