自分で書いていて自分で言うにも変ですが、「具合が悪い」と言うのは曖昧な表現ですね。
大まかに言えば”都合が悪い”とも取れるし”体の具合が悪い”とも言える
そういえば韓ドラを見てると、役者さんの台詞に「あらっそー」と言う台詞がよく出てきます。
対してその返事も「あらっそー」となることが多い
初めの「あらっそー」後ろに?が付いて語尾が上がり、後の方の{あらっそー」は語尾が下がる。
意味は「分かった?」と相手に訊いて、「分かった」と返事をする場面です
語尾の上げ下げ、言葉のニュアンス・強く、渋々などで気持ちが伝わるところが、なんだか日本語と似ている感じがあります。
ところで会話はそれで良いのですが、これを文字にするとどうなるのでしょうね
マア、今のところドラマの台詞を聞いていて、部分的に分かるフレーズとか単語があると喜んでいる程度ですから、、、
話は本題に戻って、「体の具合の悪い時」
野生動物ならば、恐らく敵となりうるものから身を隠し、穴倉のようなところでジッとしているに違いない。
それは単に動けないということだけではなくて、危険を回避しつつ無駄なエネルギーの浪費を抑え、且つ自分の自然治癒能力を信じているのだろう。
”信じている”は擬人化かもしれませんが、ともかく本能的な知恵でしょう
ともかくジッとしている・・・時の来るのを待つ・潮が満ちるのを待つ・・・「もしもこのまま直らなかったらどうしよう」とは考え無いのでしょうね
そこが野生動物の野生たる所以?
煩悩の塊の人間なら、アチコチの病院を訪ね歩いたり・・・藁でもすがる的にアヤシイ物にすがったり・・・
さて囲碁で調子が悪い時・・・実はこの表現にためらいを感じます
プロ・アマ高段者レベルならいざ知らず、私の属する?ザルクラスでは調子のいい悪いは結果で言われることが多いようです
どういうことかというと、「調子が良い」から勝てる・勝ちやすいのではなく、勝率が良いのは調子が良い証拠みたいな・・・
囲碁は絶対値としての点数を争うテストではなく、1対1の勝負なので相対的な力量と運の差で勝敗が左右されやすい
ということは、比較的短期間では、碁の内容は悪くても勝率が良いこともあり得る・・・逆もあるわけで、、、マ、それは別の機会に。
内容が悪くても勝ち続けていると、何か自信の様なものが付いて「強くなったような」錯覚が生まれないだろうか。
事実勝敗だけで言うと、そのレベルでは通用する強さが身に付くかも知れない
しかし、なまじ自信を持ったことで超短期的には良いことがあっても、「悪い要素を身に着ける」と言う阻害要因を身に纏うかも知れません。
偉そうなことを書いてきましたが、「そういうお前は?」と訊かれると・・・「自分のことが分からない」レベル・・・良いとか悪いとか
ですから健康に例えると、「慢性愁訴症」と言うか「不調シンドローム」と言うか・・・なんとなく不具合を感じながらも、お医者様が匙を投げているスタイル
ともかく、自分で何処と無く「調子が悪い」と感じた時・・・名医のように的確な診察と投薬が出来ないので・・・
私が思うに(自分にとっては)、こういうとき特効薬は「打たないに限る」
弁解がましく聞こえるかも知れませんが、「打たなければ負けない」などというセコイ了見ではないつもり
「どこか悪い」と感じる時はやはり「どこか悪い」ところがあるのでしょう
(アマですから悪いところだらけですが、程度問題としてです)
こういうときは野生動物ではありませんがジッとしているのが良いと
動物ではありませんし、囲碁ですから棋譜を並べたり、人の対局を見たり、、、そういう期間を意識的に作るのが良いと思って居ます
決まったインターバルではないけれど、「打ちたい」というエネルギーが溜まった時が対局復帰時期ですね
オーバーに言いましたが1週間か半月か、1ヶ月ということはないですが(私の場合)
それの何処が良いのか・・・分かりませんが
私にとっては、惰性みたいに対局してはいけないという自粛ではあります
そういうことで現在10日程、ネット場所休場中、、、そろそろ復帰です。
どうなることやら
大まかに言えば”都合が悪い”とも取れるし”体の具合が悪い”とも言える
そういえば韓ドラを見てると、役者さんの台詞に「あらっそー」と言う台詞がよく出てきます。
対してその返事も「あらっそー」となることが多い
初めの「あらっそー」後ろに?が付いて語尾が上がり、後の方の{あらっそー」は語尾が下がる。
意味は「分かった?」と相手に訊いて、「分かった」と返事をする場面です
語尾の上げ下げ、言葉のニュアンス・強く、渋々などで気持ちが伝わるところが、なんだか日本語と似ている感じがあります。
ところで会話はそれで良いのですが、これを文字にするとどうなるのでしょうね
マア、今のところドラマの台詞を聞いていて、部分的に分かるフレーズとか単語があると喜んでいる程度ですから、、、
話は本題に戻って、「体の具合の悪い時」
野生動物ならば、恐らく敵となりうるものから身を隠し、穴倉のようなところでジッとしているに違いない。
それは単に動けないということだけではなくて、危険を回避しつつ無駄なエネルギーの浪費を抑え、且つ自分の自然治癒能力を信じているのだろう。
”信じている”は擬人化かもしれませんが、ともかく本能的な知恵でしょう
ともかくジッとしている・・・時の来るのを待つ・潮が満ちるのを待つ・・・「もしもこのまま直らなかったらどうしよう」とは考え無いのでしょうね
そこが野生動物の野生たる所以?
煩悩の塊の人間なら、アチコチの病院を訪ね歩いたり・・・藁でもすがる的にアヤシイ物にすがったり・・・
さて囲碁で調子が悪い時・・・実はこの表現にためらいを感じます
プロ・アマ高段者レベルならいざ知らず、私の属する?ザルクラスでは調子のいい悪いは結果で言われることが多いようです
どういうことかというと、「調子が良い」から勝てる・勝ちやすいのではなく、勝率が良いのは調子が良い証拠みたいな・・・
囲碁は絶対値としての点数を争うテストではなく、1対1の勝負なので相対的な力量と運の差で勝敗が左右されやすい
ということは、比較的短期間では、碁の内容は悪くても勝率が良いこともあり得る・・・逆もあるわけで、、、マ、それは別の機会に。
内容が悪くても勝ち続けていると、何か自信の様なものが付いて「強くなったような」錯覚が生まれないだろうか。
事実勝敗だけで言うと、そのレベルでは通用する強さが身に付くかも知れない
しかし、なまじ自信を持ったことで超短期的には良いことがあっても、「悪い要素を身に着ける」と言う阻害要因を身に纏うかも知れません。
偉そうなことを書いてきましたが、「そういうお前は?」と訊かれると・・・「自分のことが分からない」レベル・・・良いとか悪いとか
ですから健康に例えると、「慢性愁訴症」と言うか「不調シンドローム」と言うか・・・なんとなく不具合を感じながらも、お医者様が匙を投げているスタイル
ともかく、自分で何処と無く「調子が悪い」と感じた時・・・名医のように的確な診察と投薬が出来ないので・・・
私が思うに(自分にとっては)、こういうとき特効薬は「打たないに限る」
弁解がましく聞こえるかも知れませんが、「打たなければ負けない」などというセコイ了見ではないつもり
「どこか悪い」と感じる時はやはり「どこか悪い」ところがあるのでしょう
(アマですから悪いところだらけですが、程度問題としてです)
こういうときは野生動物ではありませんがジッとしているのが良いと
動物ではありませんし、囲碁ですから棋譜を並べたり、人の対局を見たり、、、そういう期間を意識的に作るのが良いと思って居ます
決まったインターバルではないけれど、「打ちたい」というエネルギーが溜まった時が対局復帰時期ですね
オーバーに言いましたが1週間か半月か、1ヶ月ということはないですが(私の場合)
それの何処が良いのか・・・分かりませんが
私にとっては、惰性みたいに対局してはいけないという自粛ではあります
そういうことで現在10日程、ネット場所休場中、、、そろそろ復帰です。
どうなることやら