なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

一条寺下り松

2009-03-21 15:12:27 | Weblog
 一条寺下り松と言えば・・・私は子供の頃にいとこの持っていた吉川英治の「宮本武蔵」の印象が強い。
 小学生時代のことなので全巻読んだかどうか記憶はあいまいなのだが、本の体裁が紺色で和綴じのような記憶がある。
 しかし大分曖昧なのでもしかしたら間違っている可能性は大きい。
  間違っていると言えば「一条寺下り松」という名前を「一条下り松」と覚えていたのですから・・・大きな間違いとは言えないまでも正確性に欠けているわけで、特に地名とか固有名詞を記憶する時にこれではいけませんね。
 
 そう言えば、少年時代の本から得た知識などは記憶の底に残るようです。
  特にこの武蔵の本などはいくつも映画になっているので、記憶に残る本の武蔵と映画監督によるそれぞれの武蔵など比較したものです。
 少年時代から映画をそういう風に見ていたかも知れません。
  沢庵和尚とのエピソードも・・・和尚が武蔵に「弱くなれ」と言う場面など何故か記憶に残っています。
 この時代に沈殿した沢庵和尚のイメージと後に読んだ歴史上の人物としての沢庵和尚などの違いも面白いです。
 そして子供時代の密かな楽しみとしては、他の子は「武蔵」=「ムサシ」と言うのですが、心の中では『あれはタケゾウなんだ』と思ったり、『宮本武蔵では無くて本当は新免武蔵』なんだと・・・

 ところで一条寺下り松とは多少の縁があったみたいです。
 いや武蔵とは関係ないのですが、私が大学受験でお世話になった先輩の下宿がそこにあったのです。
 当時、3月の3,4日で関東で受験して、その足で一旦帰郷し翌朝・5日には京都に行き、7,8日が試験だったと記憶している。
 先輩と言うのは実はそれまで知り合いでは無かった人・・・私のすぐ上の姉が3年上で同じ高校の卒業生で、その同級生が京都の大学に通っていたのでその人の下宿に泊めて貰ったのです。
 そして、その先輩の妹が私とは同級生。
  これが友人以上の関係ならなんだかドラマ仕立ての物語ができそうですが、これがただの友人ですから、田舎出身の助け合いみたいなものです。
 京都に着いて先輩の下宿に連れて行ってもらったのですが「出町柳」[叡山線]「一条寺下り松」と言う単語とともに記憶に沁みついています。
  試験の出来が悪くて、早めに教室を出て試験会場の近くの京都御所の芝生に寝転がっていた記憶などなど・・・

 試験から帰郷して先輩・同級生の家にお礼に伺った時に、その家がミカン農家だったので帰りにナップサック一杯にミカンをお土産にもらって帰りました。
 そう、当時は収穫したミカンを熟成させてから出荷していたミカンです。
 3月・一条寺下り松・宮本武蔵・貯蔵ミカン・・・こういうキーワードで記憶が繋がっているのです。
 あれから40年以上経つのに3月になると思いだすのですから相当しつこい性格であるらしい。