なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

正着率?

2010-05-03 01:08:41 | Weblog
 今年は我が贔屓サッカーチームは過去に記憶が無いくらい好調を維持しています。
  マアそれでも全てに満足しているわけではないので、サポーターと言うものも贅沢であるし、ある意味では身勝手なんでしょうね。
試合の後にサポーターの意見が寄せられる掲示板を見ると、人の考え方は様々なこと、同じ試合の同じプレイを見ても感じる事考えることが違うと言う事が良く分かります。
 結果が良ければ全て良しと言う事では無いので常に反省は大事ですが、逆にパーフェクトを望むあまり超辛口になる人もいる。
 ディフェンダー、ゴールキーパーの失敗は1度で敗因になりかねないのに対し、フォワードの場合は10回に1回の成功でもヒーローに成れるかもしれません。
 野球の場合では打率なら3割以上なら立派な成績とされていますが、実は7割弱の失敗があるのですね。
 立場をかえてみるなら、投手が打者に3割以上安打を打たれているようでは困る。
  四死球とかエラーとかも考えられるので自責点・失点が多くなる筈です。
 それと考えなければいけないのは、打者にとって絶好級を空振りしたりファールになったりも失敗の筈なのに、記録の正面には出て来ませんし、投手の場合は打者の打ち損ねとか味方の好守に救われる事もあります。
 ところがサッカーの場合は多少見る方の印象が違ってきます。
  ちょっとしたテクニック上のミス、味方との連携の判断ミス、全体が見えていないミス・・・こういうものが映像に映し出されてしまいます。
 ボールに絡むプレイが多ければいい方も悪い方も映像に記録・記憶に残ります。
 更に画面に映っていない、あるいは映ってこない動き等の評価もあります。
  そういう事でミスしたり、上手にプレイできない場面は記録され、放映されます・・・
 でも、思うのですが全てのプレイで、全ての機会でミスをしないと言う事は大変な事なんでしょうね。
 ましてや相手がある事でガチンコにぶつかりあい、競り合い、相手に失敗させるように意図している人と戦うのですから。
 それに、映像に移る機会が多いと言う事はそれだけ活動量が多いわけで・・・

 これをスポーツではなく囲碁に置き換えてみると・・・無理やりですが。
  もし仮に、次の一手形式で「正しい手」(少なくとも考えられる手)を最後まで打ち続けられるのなら神の手には及ばないまでもプロに近いレベルの筈です。
 (神の手は人間の知恵が及ばないレベルと言う事で)
 マア細かな事を言うと間違わなければ「プロ」と言うのも少し乱暴な考え方かもしれません・・・何かの意思に沿った戦い方の中で高レベルの着手と言う事だろうと推測するので。
 ともあれ、アマのザルにとっては何処で失敗するかが問題です。
  失敗の罪の重さとか、回復可能の失敗かどうか、相手にそこを利用されるかどうかなどが関係してきます。
 それとミスショットの時期。
  もし一度ミスと評価されるような手を打つと、その後の手は常に捻じれを含んだ感じになって行くので、そこからは単純な次の一手問題集とはならなくなる。
 
 あるいはミスショットの頻発度も問題。
  自分が悪い手を打った時に相手がそれを上回る悪手で応酬する場合もあって、その場合はマイナスのマイナスは強烈にプラスになったりするからヤヤ複雑。
 少々乱暴な味方ですが、そういう事で囲碁の勝敗がどちらかに傾いて行きます。
  さて棋力の事を考えると。
 基本的な部分でミスをするかどうか。
 あるいは全体的なものの見方での基本的なズレは無いか。
 ミスショットの頻度。
 相手のミスについての正しい対処。
 大きな失敗を重ねる・・・
  上手いとか優れているとか+の評価で棋力を見るより、「ミス」の方が物差しになりやすいでしょう。
 
 普通はハンデの置き石の数で棋力が表わされるけれど・・・この場合例えばプロレベルに2子位をアマの6,7段と言うような気がしていますが、他にも見方があると思っています・・・数値化が難しいので実用は出来そうもありませんが。
 変な例えですが、幾ら上手相手の碁でも1手で敗勢になることは無いわけで30手くらいは打てているか?、あるいは50手まで?それともヨセの前までなどなどで棋力を計れるかもしれない。
 あるいは、打率ならぬ正着率と言うか失着率。
  尤も一局を左右するようなミスは率では表わせないですね・・・