なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

語り継がれる試合を見たのかも

2010-05-29 07:46:40 | Weblog
 ネットではポイント制で1局ごとに結果によって上下します。
  ○○点は概ね△段と言うような換算表が有りますが、これには幅が有る。
  例えば290から310までは初段、305から320までが二段と言うようにダブル部分があって、○○点を越えたら昇段と言うような区切りでは無い。
 要するにネットではあくまで点数で打つのであって、段位換算表は「○段と言うのは自分で判断して下さい」と言う感じです。
 プロは全て401点でアマは399点以下で打っています。

 さて自分でいつも彷徨っている点数と言うものがありまして、[自分の標準ポイント]+-3点くらいと言うイメージが有ります(自分にだけでしょうが・・・他人はそれほど他人の点数など気にしない筈です)。
 ですから、その生息域6点の範囲を越えてー5ポイントなら危険領域に踏み込んでいて、+5なら珍事領域なのでネットで出会う人に記念品を配りたいような気分です(誰も褒めてくれないので)。
 それが自己標準点より10点も下がったのですから「緊急事態発生」、パニック寸前。
  マア、実際には発狂はしませんが・・・(イヤ普段から狂っていると思われているかも)
 コミが6目半ですから、先と2子の距離は12,13ポイントと言う事になりますから、普段の自分に間もなく2子置く領域に近づいているから「お尻に火がついた」ようなものです。
 10点降下と言っても下がるのには殆ど苦労はしませんで、「囲碁の内容が悪い時ほど打ちたい」「打てば打つほど負ける」状態ですので、真っ逆さまに急降下したような感じ。
 この落ちていく感じには逆らえなく落ちて行く。

 そうです例えるとプロペラ機で急降下した時のように、「気持ちよく滑り下りて行く」。
  映画・戦争映画などで戦闘機が上空から地上すれすれまで降りて行くシーン・・・羽を少し左右に振ったかと思うとサット傾いて横に滑り下りる感じ・・・
 話は横道ですが実際に一度経験しました。
  シアトルでバンクーバー行きの乗り換え便に乗り遅れて、15人乗りのプロペラ機でビクトリアに向かいました(行こうと思えば車でも行ける距離です)。
 かなりの高度から着陸するのは映画のシーンみたいで、空の中で機体が横滑りに一気に滑って高度を下げる感じ。
  またまた話が逸れますが、プロペラ機のランディングはソフトなので好きです。
 大型ジェットなのでは降りると言うより落ちる感じで、プロペラ機の場合はふんわりと滑り降りる感じ・・・推進力ではかなわなくても浮力は相当。

 私の碁はジェット機並みの落ち方で、何処で着陸なのか不安に感じます。
  良くしたもので、落ちるところまで落ちると落下は一時ストップしますが、それはそれで別の不安材料でもある。
  「安値安定」でそこが安住の地になってしまうとか、ここが更に下がる階段途中の踊り場だったりとか・・・
 幸い反発に転じまして・・・と言っても上昇は深海の潜水士が水面に戻るみたいなもので、急激な上昇は出来ない。
 一直線に落ちて上がるのはジリジリ。
  負ける時は10連敗しそうな勢いで落ちますが上がる時は2-1とか3-2ペースの事が多いので、ここは辛抱が肝心。
 止まない雨は無い、あるいは明けない夜は無いと言う事で、気がつけば”標準点”を3,4点越えていまして、自己MAXに後3点・・・忙しい変化です。
  
 こういう時は実戦心理が負け続けている時と全く違います。
  勝ち負けに拘らなくなる・・・「負けても次に勝てば良い」とか『勝ち負けを意識せずに”打ちたい手”を打つ」ように変わりまして、恐らくそれが好い方に影響する。
 反対の状況は「ヒンスレバドンス」

 ところで昨夜は金曜日で良かった。
  世界卓球の中継を見ていて、あまりの凄まじさにTVの前に釘付け状態。
 5試合マッチの初めの4試合が全てフルセット。
  しかも「促進ルール」と言うものまで見ることになりました・・・第一試合では80分を越える戦いで、第三試合ではゲーム0-2から3-2に逆転し、第4試合では3時間を越えて行く。
 4試合フルセットの戦いで、最終第五試試合では放送枠オーバーで中継終了・・・あとはネットで結果のみチェック。
 それをゲームカウント3-1で、、、これはきっと語り継がれる戦いになると思われる。
  そういう試合を中継で見ることが出来ました・・・中継が終了しなければ最後まで見た筈ですがそれでも夜中の12時マデ・・・金曜日の夜の試合で良かった。
  普通の週日なら好い試合を見た事と引き換えに翌日は地獄の事務デスクとなった筈(若い頃とは違います)。
 

カレーは御馳走だったので

2010-05-29 01:35:34 | Weblog
 最近家ではカレーライスが殆ど出て来ません。
  現在3人家族なので、この程度の人数で一度の食べきれる程度のカレーはさほど美味しくは出来ないように思えるし、インドカレーの店によく行く事もあり家では作らなくなったかもしれません。
 そうですね、家で作るカレーは名前はインド風だとかジャワ風とか言っても、そこはあくまでも「風」であって、やはりニホンカレーなんでしょう。
  おそらく下ごしらえにに日本酒を使ったり、下味に醤油などを使ったり・・・そういう味がマッチするのですから、やはり日本風。
 インド生まれのインドカレーならあり得ないでしょう。

 ともあれ近所のインドカレー店によく行くと言っても未だ3,4店だけ、、、感じとしては市内にはもっと有りそうな気がしますのでパソコンで検索すると「市内」「インド」「カレー」と言う言葉で10件ほどヒットしました。
 100万人足らずで、10軒ですから人口10万人に1軒と言うところです。
  店の場所による客層とか、家賃的なことなどからランチの価格が店によって変わります。
 「インド料理」と言う感じの店は高級・・・少なくとも値段は・・・なので私などがランチで入るには向いていない。
 セットで1000円くらいの店が多い・・・そんなものかなとも思うけれど
  マアたまにはいいけれど昼に1000円はやや割高感があるし、毎日行くには抵抗感がある。
 3軒ほどは700から800円でお昼を食べられる店がありまして・・・マアこのくらいが手ごろ。
 何と言っても日頃職場で業者のお弁当を頼んでいますが、数社業者があって310円から500円のお昼飯で生活している感覚では1000円以上の店は棄権したい。

 食事をする店ではラーメン店が一番多いだろうか?、次いで蕎麦屋さん、ファミレス・・・所謂「食堂」って減ったと言うか殆ど見かけなくなっています。
  そういう傾向に反してインドカレー店は増えているのかもしれません。

 そう言えば、子供時代にはカレーは御馳走の部類に入ったと思う。
  その頃、家の食事ではステーキなどはまず食卓には上がらない、、、あれはアメリカ映画の世界の食べ物で憧れはするけれど、実感として旨い=食べたいと言う感じでも無い。
  台所は薪の竈でご飯を炊いていた時代です。
 手の届く範囲での御馳走ではトンカツか海老フライのような感じですね。
 ウナギなどは家で作るより専門のウナギ屋で食べるものでしょうから家では出てこない。
  そうそう、小学校時代に兄の給料日に街に新しく出来た餃子専門店で餃子定食を食べたの生まれて初めての初餃子・・・ですから生活の中の食のレパートリーは今とは大違い。
 土地柄もあり普段は魚料理が多かった。
  魚の干物は良く食べたものです・・・これは地元で干して行商が来ていまして、アジが1枚10円の時代。
 私はアジよりサンマの方が好きで、これが8円だから「この子は安上がり好いね」などとからかわれていました。
  レパートリーとしては豊富では無かったけれど、今から考えると贅沢だったのは、親戚に漁師さんがいて、生のシラスとか生のサクラエビを貰う事が多かったから、こういうものは当たり前のように山盛りで食卓に上がる。
 今では出来ないですね。

 脱線しましたがカレーライス。
  高校時代、山岳部の登山でのキャンプではカレーは定番メニューです。
 飯盒でご飯を炊いて大きな鍋でカレーを作れば何とか食事になるしアウトドアの定番。
  さて、高校生の食べ盛りのキャンプの食事・・・1杯目は1年生が皆のアルミのお皿にカレーライスを盛って食事が始まります。
 2杯目は先輩も後輩も無くセルフでおかわりを盛るのが習わし。
  ここでセコイ1年坊主(私)は作戦を考えて実行した。
  皆のお皿はやや大盛り気味に気前よく盛り付け、自分のはかなり控えめに盛る。
   これは遠慮では無い・・・
 当然私が一番初めに1杯目を食べ終わるわけで、最初におかわりを獲得・・・
  考えて見れば意地汚くてセコイ思い出。
 マアそれだけカレーが好きだったと言う事でしょうか・・・単にズル賢いだけだったでしょうね。
  そういうカレーとの付き合いは今でも続いていると言う事ですね。