なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

熟年なんだけれど

2010-11-22 00:00:32 | Weblog
 土曜日の朝は予定通り近所の公園の池で鳥を見ながら過ごしました。
  その日の天気とか、季節的な事を考えて朝は8時過ぎでないと私のデジカメでは難しいと考えツツ・・・実は少し早めに行ってしまう性格なのです。
 確かに目的の鳥は朝早くても来る。
  実際池に着いて今日のポイントを定めて準備をしようとしている時に、池の真ん中の岩にソノ鳥はとまっていました。
 三脚の準備が出来ないうちに岩の陰に回ってしまいましたので、慌てて手持ちスタイルで場所を移動して撮影・・・8時前なのでカメラに写っても、結局はパソコンで確認した後に削除することになるのに、慌てて撮影する必要はないのに。
 結果的に写ってはいたけれど保存する気にはなれないものでした。
  
 その時は池のまわりにはカメラを持った人は私だけ、それと双眼鏡を持った(時々見かける)婦人が二人でしたが、8時を過ぎるとぼちぼち同好の仲間が増えて来ました。
 いつも手持ちカメラで場所を変えながら写すベテランの年配の人、カメラ歴40年と言う大ベテラン、それと私と同じくらいのキャリア(つまり最近始めた)人・・・皆顔馴染み。
 この池での大先輩(年令は私と大して変わらないと思う)は今日は珍しく欠席。
  
 写真を撮る時に、器材の能力はともかく、私自身の未熟さを感じながらやっていました。
  私が感じているのは、写真を撮る時の間合いと言うか気持ちの集中は、他のスポーツとか武術みたいなものに似ているのではないかと思うのです。
 私としては目的の鳥の飛ぶ所、空中でのホバーリング、ジャンプ、木の枝や岩にとまる所など動いている所を撮りたい。
 ですから、まず鳥が来るまで注意して待ち、どこかにとまる事をイメージしてピントを合わせている・・・この待つ時間が30分の時も有れば1時間の事もアリ、時に空振りも有る。 
 そして、たいていの場合やって来た鳥はまず池の周りの松の木の中に入り・・・この確率高い・・・そして回りに危険が無い事を確かめてから小魚などの餌を獲る事が多い。
 あるいは枯れ木の枝とか岩にとまった時もそうですが、そこから飛び出す瞬間を撮ろうとシャッターチャンスを待っている、、、この状態での緊張感。
 これが相撲の立ち会いと言うか、剣道の勝負と言うか・・・気がつくと息を止めて右手の指はシャッターにかかり半押し状態で待つ。
 
 松の木の中に入った鳥がなかなか出てこない場合、本当にそこに居るのか、もしかしたら木の裏側から抜けてしまってそこには居ないのではないか、、、と、疑心暗鬼になってくる。
 そうなると私の集中力は緩んで来るそし、こういう時に限って他の鳥が良く現れるのです。
 昨日の場合は、池の中にコサギがやって来ました・・・周りの松の緑とマッチして割合絵になる。
 私がジッと座っている直ぐ傍にはハクセキレイの番いらしい二羽が・・・ホンノ2,3メートル先で何やら餌を探している。
 そうそう、池の向こう岸で動いているのは遠目ではキセキレイに見える。
  松の木のてっぺんには数羽の鳥が、、、オナガのようにも見えるし、、、向こうの色ずいた木の枝にはカワラヒワ?。
 大きな池からカモが数羽こちらの池に移動してきたり。
 これですから私は集中力がだんだん無くなって行ってしまう。
  
 本当は何処に鳥が居ようと、初めに想定したポイントで取る事に集中していないと、何回やっても上手くいかないのは分かっているのに、何ヶ月経ってもそれが出来ない。
 頭の中で分かっているつもりでも、イザ現場では気持ちが。
  そこへ行くとカメラ歴40年のベテランは凄い。
 口径の大きなカメラと言うのも憧れですが、シャッターをリモコンにして離れた場所で撮影する、、、つまり、初めに想定したポイントにセットしてあるわけで、それは動かない。
 時折日差しなどの変化で調整をするくらいで、場所は変わらない。
  鳥がどの松に止まろうと、そこからポイント地点に移動する事を想定して「待つ」。
 この「待つ」が出来ない素人は、先輩のカメラのモニターを見せて貰い己の未熟さを痛感するのでしたジャンジャン。

 と言う事で、日曜日も朝は公園の池に出勤。
  女房殿は日曜日なのに何かの行事で日曜出勤、息子は関西方面に大学の編入試験・・・つまり私はいつもの「無用の介」以上にドフリー。
 今日は昨日よりは1ミリくらい進歩出来るだろうか?
 昨日の先輩の技と気持ちの持ち方を目の前で見ているのですから、、、。

 しかし、この辺り囲碁の進歩の停滞具合とよく似ている。
 いや何事につけ高段者と、初心者の違いと言うか・・・。
  初めは何処が悪いのか分からない、、、その内直さなくてはいけない点などおぼろげに見えてくるものの実行できない、、、進歩が止まって『マア、アマだからこんなものさ』と言う開き直り+諦めの気持ちになる。
 『素人のお楽しみ』なんだから良いではないかと思う反面、少しでも上をと思う気持ち、、、実年令は熟年でレンタルビデオ店では半額のカードを貰っているし、公共機関の入場パスもそう遠くではない年令なんだけれど、気持ちは全く熟していない。
 この「熟す」部分は、ある年令に達する頃には熟す物なのか、あるいはそういうものとは関係なくその人の持っている物によって熟すものなのか・・・。
 私はどうも後者のような気がしている、、、年だけとっているのにいつまでも青い=未熟ジイサマ。